大 馬 樂 團 特 別 介 紹
許 成 就 専 訪
Introducing
DAMA ORCHESTRA
Khor Seng Chew interview
| DAMAの誕生まで |
| 「シアターコンセプト──音楽劇」の実現 | 歌姫登場 |
| 10年変わらぬメンバー そして変わらぬ情熱 |
 中国の伝統楽器による柔らかな響き。そのハーモニーが現代楽器と出会ったとき、独特の世界が生まれる。華やかでいて素朴、洗練されている一方でどこか懐かしい。本紙でも何回か取り上げてきた「DAMA ORCHESTRA」の印象を簡単に言えば、こんな風になるだろうか。
 同オーケストラの10周年にあたって、音楽監督/エグゼクティブ・プロデューサーの許成就(Khor Seng Chew)さんにお話を伺った。
 
■DAMAの誕生まで
 1978年に琵琶(ピーパー)のコンテストでマレーシア第1位となった許さん。クラシック・ギターの勉強のために1985年ロンドンへ渡った。音大卒の友人たちと「London Chinese Ensemble」を設立し、ロンドンでも伝統音楽に打ち込んだ。また、West End Theatreのプロダクションで、アンソニー・ホプキンスの「M Butterfuly」でも琵琶の演奏を披露するなど、活躍の場を広げた。91年に生まれ故郷のペナンへ帰ってきたが、マレーシアでは音楽を教えること以外に、活動の場がなかったという。ペナンからクアラルンプールに移って、なんとか機会を求めたが、教えることに専念せざるを得なかったという。
 転機となったのは「Chinese Quintet」と題された、中国楽器のための室内楽のスコアだった。中国音楽では、室内楽の形式は非常に希で、その意味では非常に運命的な出会いだったとも言えよう。この作品に触発された許さんは1993年、琵琶、二胡(アルフー)、柳琴(リューチン)、揚琴(ヤンチン)、古箏(クーチャン)の5つの楽器で室内楽を演奏する「Dama Chinese Quintet」を結成した。
 1994年、クアラルンプールの天后宮にてコンサートを行い、これが実質的なデビューとなった。クインテットを中心に総勢13人のメンバーによる「DAMA ORCHESTRA」の誕生である。
 
■「シアターコンセプト──音楽劇」の実現
 伝統的な形式での演奏に専念していたDAMAに、次の転機が訪れたのは1997年だった。オペラや中国の京劇が大好きという許さんは、何とかシアターのようなコンセプトを実現できないか、と考え続けていた。そこで達した結論が「ヴォーカルを取り入れよう」というものだった。また、Mustafa Noorに師事し、俳優として活躍していた潘啓倫(Pun Kai Loon)さんをアート・ディレクターとして起用、コンサートのプロダクションを依頼した。
 また、ヴォーカルの参加によって演奏曲目も変化した。1930年代から60年代に渡って黄金時代を築いた、中国のポピュラーミュージックだ。例えば、日本でも非常に有名な「夜来香」(Fragrance Of The Night)は30年代から40年代の上海を、「不了情」(Love Without End)は50年代から60年代の香港をそれぞれ代表する名曲であり、どちらもDAMAの代表的なレパートリーとなっている。許さんによれば、こういった古い曲はカバーバージョンとしてCDなどで単発的に取り上げられた例はあったものの、コンサートでまとまって演奏されたことがなかったという。
 こうして行われた1997年のコンサート「Spring Kisses Lover's Tears」は大好評を博し、マレーシアの各都市を巡回したばかりでなく、シンガポールや上海でも公演を行うなど、その名声を決定的なものにした。
 卓越した技術で演奏されるチャイニーズ・オールディーズが、ちょっとしたパフォーマンスを交えて「音楽劇」として演出される、DAMAの一つのスタイルが確立されたコンサートでもあった。
 
■歌姫登場
 現在では「DAMA」と言えば同時にその名が出てくるソプラノのTan Soo Suanさん。許さんが彼女と出会ったのは、1998年にペナンで行われたクラシックの歌唱コンテストだった。マレーシアのグランド・チャンピオンとなった彼女の卓越した歌唱力に惚れ込んだ許さんは、早速彼女にコンタクトした。クラシックだけではなく、チャイニーズ・オールディーズも好んで歌う彼女がDAMAにはぴったりの人材とわかり、早速参加してもらうことにしたのだという。
 クラシックの歌手だった彼女にとって、DAMAのコンサートにおける演出は重要ではなかった。また、こうした形のバンドに参加するのも初めてだったため、コンセプトを理解してもらうまでは「いろいろあった」と語る許さん。当初は化粧もマニキュアも拒否、「歌い声が全てよ」と言っていた彼女だが、2000年のコンサート「The Songs In Me」を皮切りにDAMAと共に精力的に活動を行い、今ではDAMAの顔とも言える存在になっている。
(ちなみに、彼女は歌のレッスンも行っている。あの歌唱力の秘密を少しでも知りたい、と思う人はいかがだろうか。)
 
■10年変わらぬメンバー──そして変わらぬ情熱
 DAMAのコア・メンバーである6人のミュージシャンたちは創立以来のメンバーで、10年間メンバー・チェンジなしでやってきた。ほとんどの人が2種類以上の楽器を演奏することができるという。例えば許さんもその一人で、ギターと琵琶が演奏できる。特徴的なのは、フルートと笛といった具合に、比較的新しい楽器と、伝統的な楽器の両方を自在に操れるということだ。そのおかげで、古い曲から新しい曲まで、必要に応じて楽器を帰ることで対応できるし、また両者のサウンドが溶けあって、DAMA独特のサウンドを醸し出すことができるのだ。
 ただ、独特のサウンドと言っても、奇をてらうようなアレンジはせず、なるべく元の形で演奏するようにしているのだという。原曲の持つ雰囲気を壊さないようにアレンジするのは、難しいけれどやりがいのあることだと許さんは語る。
 驚くべきことに、メンバーはそれぞれ昼の仕事を別にもっているのだという。音楽を教えたり、レコーディング・セッションに参加したりして、何らかの形で音楽に関わった仕事をしている人もいるが、自分のビジネスをしているメンバーもいる。「政府のサポートがあれば有り難いのだけれど」と、許さんの口からふと漏れた言葉。前号「アクターズ・スタジオ」の記事でFaridah Mericanさんも同じことを語っている。それでも、企業がプロジェクトのスポンサーとなってくれるなど、状況は良くなりつつあるという。2002〜03年の「夜来香(Fragrance Of The Night)」、2003年の「不了情(Love Without End)」がCameronian Art Awardsでそれぞれ受賞するなど、DAMAに対する評価の高まりも背景にあるのだろう。
 
DAMA ORCHESTRA
Tel: 03-2287 4008
Website: http://www.damaorchestra.com
 
 

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