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ペナンに「TSUNAMI」襲来!
サッカー選手・伊藤 壇 |
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近年、サッカー、野球などで海外のクラブチームに進出する日本人選手の活躍が目立っている。そんな中、アジアサッカー界でプレーする日本人のパイオニアとして知られるのが、現在マレーシアの一部リーグ「スーパーリーグ」で首位を争う「ペナン」に所属する伊藤壇だ。
マレーシア(M)リーグ初の日本人選手である伊藤は1月29日にペナン・シティースタジアムで行われた開幕戦に背番号7番を着け、スタメン出場。キックオフからわずか6分で先制点を叩き出した。日本人としての初ゴールという歴史的なエピソードでデビューを飾るとともに、リーグ全体の今季初得点という記録を残し、チームの勝利に貢献。続く、第2、3戦でも得点を生み出すパスでアシストに回り、シーズン序盤ながら早くもチームを四連勝に導く原動力となっている。
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| ペナンのユニホームを手に気合い十分 |
その伊藤はかつて「ベガルタ仙台」でプレーした経験を持つ元Jリーガー。スポーツが得意で実は子供の頃から地元、北海道では名前を知られる存在だった。小学3年生のときに始めたサッカーでは持ち前の才能を生かしてすぐに頭角を現わし、高学年生に交じって試合に出場。雪でグラウンドが使えない冬の間に遊びで始めたアイスホッケーでは、6年生のときに全日本代表として海外遠征に参加し、スカウトが引きを切らないほど将来を期待されていたという。
結局「競技人口が多く、スタジアムで響く歓声に魅了された」と伊藤はサッカーを選び、道内のサッカーの名門、登別大谷高校に進んで高校選手権に出場した。東北の強豪、仙台大学を経て、1998年に仙台に入団。1年目の開幕戦でいきなりスタメン出場を果たし、念願のプロへの道をスタートさせた。
その後、仙台を退団。2001年から海外へ活躍の場を移した伊藤は、シンガポールを皮切りにオーストラリア、ベトナム、タイなどアジア各地のチームを渡り歩く。当地の代表選手や監督とも親交が深く、今では「アジアで中田の次に有名な男」と異名を取るほどの知名度を誇り、中でも昨シーズンまでプレーしていた香港での人気は特別だ。所属していた「傑志(キッチー)」ではチームの顔として大きな活躍を見せた。1年目の開幕直後、ハットトリックを決め実力をアピール。その勢いでファーストステージでは得点王争いにからみ、果たしてチームをリーグ通算2位に導いた。
「選抜チームで傑志で着けているのと同じ背番号10番を与えられ、責任の重さと同時に誇りを感じました」
こう振り返る伊藤は2004年、毎年旧正月恒例の国際大会「カールスバーグ・カップ」で、香港リーグのオールスター選手で構成される選抜チームの一員に日本人として初めて選出された。ノルウェー、スウェーデン、ホンジュラス各国代表が参加した同大会で初戦の対ホンジュラス戦に出場し、香港代表の監督から「技巧派ミッドフィルダー」と評される活躍を見せる。
また、そのルックスとスター性を買われ、雑誌やテレビコマーシャルにモデルとして登場し、一躍「香港サッカー界のキムタク」と称されるアイドルに。「伊藤壇が案内する北海道」というヤング誌の特集企画では故郷の魅力を紹介して観光振興に一役買い、香港市民の日本旅行ブームに火を着けた。自身もファッション、スポーツ誌にコラムを連載するなどサッカー以外のオファーも精力的にこなし、マルチに才能を発揮している。
伊藤が海外を転戦するのは「1年に1カ国回ってプレーする」との目標があってのことだ。
「香港ではカールスバーグ・カップをはじめ、プレシーズンマッチでイタリア・セリエAのチャンピオンであるACミランに勝ち、英プレミアリーグのニューカッスルユナイテッドとは引き分けるなど国際試合の経験を積むことができた。2年目を迎え一度は残留しましたが、僕はもっと多くの国でプレーしたくて移籍を決めたんです」 特にサッカーが国民的スポーツとして親しまれ、観客動員数が多いマレーシアでプレーすることは海外生活が始まって以来の目標の一つだったと言う。その新天地に乗り込んだ矢先、インド洋大津波が発生。一時帰国していて難を逃れたとは言え、思い掛けない出来事にとまどいは隠せなかった。
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| 支援呼び掛けは馬・港両地で報じられた |
「何か役に立ちたい」
伊藤はペナン島内の被災地を訪れ義援金を寄付し、ペナンのみならず香港をはじめとする海外にも支援を呼び掛けた。こんな誠実なイメージが開幕を控えたマレーシアで彼の前評判を高め、さらに「海の向こうからやって来た助っ人」という強烈なインパクトが「TSUNAMI」というニックネームが付けられたゆえんとなる。
初ゴールを決めた時、ペナンのサポーターから「アリガトウ」と日本語でエールを送られた彼は、対戦相手の本拠地に乗り込むアウェー戦では激しいヤジによる洗礼も受けた。そのヤジでさえ日本語が聞かれるというのだから驚かされる。移籍したばかりでこれだけ注目を浴びるのはリーグで存在感を示している証拠なのだろう。今季からチームを率いるNorizan
Bakar監督も「連勝は伊藤一人の力ではない」と厳しい口調でありつつも、「彼はグッドプレーヤー」と話し、期待を寄せている。
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| 新年を迎え気合いも十分 |
成功を収め、サッカー専門誌でもたびたび取り上げられるようになった伊藤に影響され、最近はアジアに的をしぼってトライアルを受けに来る日本人が一気に増えた。だが、実際に契約に結びつくケースは極めて少ない。すでに六カ国・地域を歴戦した伊藤も「チームは外国人選手のために手続きが面倒なワーキングビザを所得しなければいけない。その上、自国の選手には必要ない帰省用の航空券代や家賃、自家用車などの好待遇を与えるわけですから、ある程度の水準が要求されるのも無理はありません」とシビアな現状を指摘する。しかも自分が残した実績もミスもみな、日本人選手に対する総合的評価につながるのだから、まるで日本代表がたった一人で戦っているようなもの。「海外組」が背負う日の丸はそれだけ重いということになる。
海外に出たばかりの頃は代理人を付け、すべて人任せだった伊藤だが、今はチーム探しから契約交渉まですべて自分で行っている。「以前はうまくはなかった英語もここ数年で上達したかもしれません。でも、単語を並べるだけなんですけどね」と笑う。統率された日本式サッカーとは全く異るプレースタイルはもちろんのこと、文化、生活習慣、食ベ物と何もかもが日本とは違う。そんな環境で、片言でも東南アジアの言葉を使い、チームメートとコミュニケーションを図る姿勢はサッカー選手ならずとも見習うべき姿だろう。
「将来的には自分がプレーしてきた各国リーグと日本人選手の橋渡し役となるエージェントやアジアチーム専門の解説者を目指したい」と語る伊藤。
「これまでの経験を今後に生かせたらいいですね。でも今はまず、ペナンで一つでも多くの勝利を生み出すことが先決。ここは環境も良く、サッカーに集中できそうです。ぜひスタジアムに足を運んでください」
ペナンのホームグランドには毎試合、現地のサポーターが掲げた日の丸がたなびく。頼もしい一言で締めくくった伊藤が、マレーシアでさらに大きなウエーブを起こす日はもうすぐだ。 |
| (※写真提供も筆者) |
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| ■ 伊藤 壇 プロフィール |
| 1975年11月3日生まれ。身長173センチ、体重68キロ。北海道札幌市出身。仙台大学卒業後、ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)入団。2001年シンガポールへ渡り、以降オーストラリア、ベトナム、香港、タイのプロチームでプレーし、アジアサッカー界で活躍する日本人の草分けとなる。04年は香港で開催された国際大会「カールスバーグカップ」に日本人として初出場を果たす。香港ではモデルやコラムの執筆も手掛けた。現在マレーシアのスーパーリーグ「ペナン」所属。背番号7。趣味のビリヤードはプロ級の腕前。 |
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| ■筆者紹介:杉本麻紀子 |
| 香港在住ジャーナリスト。日本語新聞『香港ポスト』編集・記者。朝日新聞香港返還取材班の専任通訳として来港後、ビジネスマン向け日刊紙『香港ビジネスポスト』、週刊のアジア経済情報誌『アジアビジネスウイークリー』の記者を歴任し、99年より現職。日本人で唯一の香港サッカー協会(HKFA)公式認定記者として香港リーグの魅力を国内外に発信している。 |
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