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| 映画に夢中だった
| ニューヨーク時代 |
| マレーシアへ帰国してカンヌ出品まで | 闘牛師」から最新作まで
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本紙でもたびたび紹介してきたように、最近マレーシア人映画監督の活躍が目覚ましい。そんな中、マレーシア映画界のベテラン、ウ・ウェイ・ビン・ハジサアリ監督が新たな動きを見せている。
同監督へのインタビューなどから、監督のこれまでの活躍ぶり、そして今後の展望を2回にわたって紹介する。 |
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| ■映画に夢中だった■ |
ウ・ウェイ監督が生まれたのは1954年、パハン州のMentakab。小さな頃から映画に夢中だったという。父親に連れていってもらったヒンズー映画がきっかけで、すぐに病みつきになり、自分から映画館通いをするようになった。住んでいた町には映画館が2つ、隣町にも1つあり、映画を楽しむには恵まれた環境だった、と監督は当時を振り返る。
貪るように観た映画はヒンズー映画にとどまらない。マレー映画、インド映画、中国語映画はもちろん、60年代から70年代にかけての日本映画もお気に入りだったとのことだ。
当時すでにテレビは出回っていたが、まだまだ高価で、テレビを楽しめる家庭は限られていた。また、映画の時間は「週に1回だけ」だったので「まさかTVが映画にとって代わるエンターテインメントになるとは思わなかった」という。
ウ・ウェイ少年はまた同時に、音楽好きの、しかも好みにうるさい少年でもあった。自分がいいと思ったもの、例えばモータウン・レーベルに代表されるソウル・ミュージックを中心に聴きこんでいたという。「友達がビートルズに狂っている頃、それには見向きもしないで、ジェームス・ブラウンばかり聴いていたよ」と監督は笑いながら語ってくれた。
また、こんな話もある。友人との間で映画が話題になったとき、彼らが俳優・女優のことしか話さないのを不思議に思っていたという。「どうして映画の作り手、監督のことを気にしないんだろう」と独りごちていたウ・ウェイ少年──将来を予感させるようなエピソードだ。 |
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| ■ニューヨーク時代■ |
| 「外の世界を自分で見てみたい」と渡米した彼は、まずテネシーに3年滞在する。その後ニューヨークへ移り、「The
New York School for Social Research」で映画制作を学ぶ。このニューヨーク時代に吸収したものは、自身にとっての財産だと監督は語る。様々な人々との出会いを通して、映画を「真剣に向き合うだけの価値があるもの」と認識したのもこの頃だという。様々な本を読み、美術館や映画館へ通い続けた日々の中、もう1つの大きな出会い、それがモダンジャズだ。レコードを買い集めるだけではなく、ジャズクラブにも頻繁に足を運んだ。アルバート・アイラー、ジョン・コルトレーン、オーネット・コールマンなど、衝撃を受けたアーティストは数多いという。 |
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| ■マレーシアへ帰国してカンヌ出品まで■ |
1988年に帰国後、国営放送RTMでラジオのジャズ番組のDJを担当する。その後TVドラマの制作に4年ほどかかわった後、1993年、「Perempuan,
Isteri dan Jalang(女と妻と売春婦)」で初メガホンをとった。この作品は第11回マレーシアン・フィルム・フェスティバルで、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞など5部門を制覇、衝撃的なデビュー作となった。
そして、映画監督としての名声を決定づけたのが、1995年の「Kaki Bakar(放火犯)」だ。1939年にO・ヘンリ賞を受賞したウィリアム・フォークナーの短編「納屋は燃える」のプロットを借用、舞台をアメリカからマレーシアに、主人公である南部の移住労働者一家をジャワ人の一家へと換骨奪胎している。当初TV3向けに作られたドラマだったが、「反社会的である」としてお蔵入りになっていた。これを見いだしたのが、フィリピン映画の巨匠リノ・ブロッカ監督を欧米に紹介したことで知られるピエール・リシエント氏だ。1994年カンヌ映画祭への出品作を探すため、マレーシアに滞在していた折りに「女と妻と売春婦」を観た同氏は、監督に他の作品も見せてくれるよう依頼、そして発見したのが本作だ。
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| 「放火犯」 |
こうして「放火犯」は1995年の第48回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品され、好評を博した。マレーシア映画初の快挙である。
この映画が出品されたのはカンヌにとどまらない。ベルリン、モントリオール、ナント、釜山、香港、福岡などなど、世界各国20の映画祭にのぼる。また、ブリュッセル国際映画祭では最優秀国際映画賞を受賞した。 |
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| ■「闘牛師」から最新作まで■ |
続いて監督が手がけたのが1998年の「Jogho(闘牛師)」だ。文化交流および映像文化の振興に寄与することを目的に、NHKが隔年で開催している「NHKアジア・フィルム・フェスティバル」の作品として、NHKが制作費を負担して制作された。1950年代のマレーシアを舞台に、独立運動の活動家としても活躍した闘牛のトレーナーの物語で、タイ南部へ移住した主人公の異境での暮らしを描いたもの。東京での公開後、シンガポール国際映画祭、釜山国際映画祭などに加え、第48回アジア太平洋映画祭にも出品され、主演のカリッド・サレー氏が最優秀主演男優賞の栄誉に輝いた。残念なことに、マレーシア国内では当局の検閲により公開が1999年まで遅れたが、同年の第14回マレーシアン・フィルム・フェスティバルで最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀男優賞など5部門で受賞した。監督は「こういった、マレーシアで得難い機会を与えてくれたNHKに、大変感謝している」と語っている。
監督の最新作は2004年の「Buai Laju Laju (Swing My Swing High, My Darling)」。テイ・ガーネット監督のアメリカ映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946年)にヒントを得たもので、クアラルンプール郊外を舞台に、若い男との出会いによって夫の財産を乗っ取る若妻の物語だ。シンガポール国際映画祭でプレミア上映が行われたほか、フィリピンのシネマニラ国際映画祭でリノ・ブロッカ賞へノミネートされている。さらに、インドのシネマヤ国際映画祭、モントリオール国際映画祭でも上映された。 |
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| ウ・ウェイ・ビン・ハジサアリ監督インタビュー
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