『わが人生の凍土渇土』の主人公の岡一之さん
わたしにとって岡一之さんは、『日馬プレス』を創刊した15年前のわたしを知っている数少ない知人の一人です。当時のわたしは、「日馬プレス」を始めてはみたものの、何をどうしていいか分からない時期でした。それから、わたしはタバコを一日に70〜80本吸う超ヘビースモーカーでしたし、90kg近いデブでした。でも、行動力と好奇心は旺盛でしたし、文章を書くのが大好きでした。
当時の岡さんはというと、KL中心部から近いスンガイ・ブロウに“バレンシア・ゴルフ”というパブリックのゴルフ場の代表者でした。岡さんはいろいろなことを教えてくださり、友人となる何人もの人を紹介してくれました。わたしがもっとも畏敬する先輩の一人です。
岡さんの半生記を最初に書いたのは1994年7月でした。四回連続で掲載した。この半生記を読んだ人の間から、「もっとくわしく」という呼びかけがありました。そして、岡さんの半生記を筆を加えて書きはじめたのが、2003年3月に出版した『わが人生の凍土渇土』です。ちょうど、北朝鮮を逃亡して駆け込んできた難民家族を、非常な瀋陽の日本国総領事館員が、総領事館の敷地内に入ってきた中国の武装警官に引き渡してしまった事件(2002年5月)のあったあとでした。
前半の満州からの逃避行を書きながら、決死の思いで国境の鴨緑江を越え、北朝鮮を逃げ出した人たちが治外法権のラインを超えたのに、非情な日本の外交官たちは、冷酷な中国の警官に渡してしまったのです。余計なことに関わるより、大過なくすごして日本に帰ろうという外交官たちの姿は、数万人もの旧満州在住の日本人を見殺しにした日本軍の兵士たち、われ先に逃げ帰ってしまった関東軍の高級将校たちの卑劣さに重なりました。そして、脱北者たちの隠れ歩いた地域は、岡さんたち旧満州の住民が逃げた地域と重なることから、半世紀あまり昔、わたしたち日本人の中の何万人かが、攻め入ったロシア軍に追われた難民だったことに気づきました。
そして、あの本の発行後に、子供のころに母から聞いた、わたしの父の二人の弟(叔父)も兵士として派遣された旧満州で死んだことを思いだしました。その後、会津若松の伯母をたずれたときに、座卓の上で「ハルピン会会報」が乗っているのを見つけました。そこで、父の姉夫婦(伯父、伯母)はハルピンに在住していたことを知りました。もう10年以上前に亡くなった伯父がいつも脚を引きずっていたのは、ハルピン時代の病気が原因でした。
後半の渇土の部分はタイミングが、アメリカ軍、イギリス軍によるイラク空爆が始まったのが2003年3月でしたから出版の直前です。2001年9月11日のニューヨークなどへの同時多発テロ以降、アフガニスタンや、イラン、イラクなど中東で活発化するイスラム過激派のアルカイダによるテロ活動に業を煮やしたアメリカの動きに、日本も無関心ではいられなくなってた時期でした。
『わが人生の凍土渇土』のあとがきにも書いたのですが、まだ九才だった岡さんが、お母さんと二人の弟を三日かけて焼いて遺骨にしたシーン、テヘランで若い商社員が死んでいくシーンでは書きながら涙が止まりませんでした。
5年前のことでしたが、当時のわたしはパソコンが駄目で、ワープロで原稿を書きました。岡さんがしゃべったことをメモに残して、KLで分かる限りの情報をあつめました。インターネットで検索するという知恵と能力がなかったのです。例えば、岡さんが敗戦のときに住んでいた「チャムス」という町、中国大陸を離れるときの港のあった「コロ島」、「漢字でどう書いていいか」を訊いても、岡さんも知りません。そういう固有名詞ひとつを調べるのもKLでは大変な作業でした。
その岡さんが、昨年9月、実母親と二人の弟を亡くし、自分の手で焼いて埋葬した地である中国の長春(旧満州時代には新京)に行ってきたよという電話(留守電に入っていました)をくれました。
岡さんからの連絡が遅れたのは、わたしが去年6月に咽頭ガンの手術を受け、8月末まで日本にいて、9月は入院休暇後の後始末でバタバタし、10月には、気管孔の再手術、11月一杯、日本で検査やらリハビリやらして、ほとんど電話が通じなかったからです。それに。声が出なくなってからは、わたしも電話をしていないし、電話が鳴ってもでなくなっていました。それに、病後で声が出ないというみすぼらしい姿をあまりさらしたくなかったのです。
ある人に、「そんなになっても、人前に出てくるんだ」と言われて強烈なショックを受けたのですが、そのおかげで「なにくそ!」という気持ちになり、前以上に積極的に人前にでるようになりましたから、障害者となったわたしを馬鹿にした人に感謝すべきだと思っています。
九才で肉親の「死」と向き合った岡さんの「長春の旅」は強烈に胸を打つものがありました。
岡さんがメールで送ってきてくださった文、注釈などをいれて、3回に分けて「人の輪」に掲載します。
(その二につづく)
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