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「表現の自由」を盾に喧嘩を売った
ヨーロッパメディア
一部の過激派の思うツボ |
昨年9月30日、イスラム教の預言者モハンマド(モハメッド)も風刺漫画を掲載したデンマークの「ユンズ・ポステン」紙に12人の漫画家が風刺漫画を掲載した。漫画は時限爆弾付きのターバンを巻いたムハンマドを描いたもの。これを受けてイスラム諸国はいっせいに反発、デンマーク製品の不買運動にはじまり、大使の召還、大使館閉鎖など外交問題に発展した。今年1月10日、ノルウェー誌が転載した。
偶像崇拝を禁ずるイスラム教では、預言者の姿を描くこと自体が許されていない。まして、漫画化して揶揄することは「イスラムへの冒涜」として非難される。これを知りながら「ユンズ・ポステン」紙は「表現の自由」に関する記事とともに掲載した。相次ぐ抗議に、デンマークのラスムセン首相は2月3日、「政府の謝罪はありえない。表現の自由はもっとも重要な原則だ」と発言した。2月には入り、ヨーロッパ各国では、抗議活動のときに国旗を燃やした映像に反発、「表現の自由」を掲げて、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オランダ、スイス、チェコの有力紙が相次いでこの風刺漫画を転載した。
4日シリアのダマスカスのデンマーク大使館にデモ隊が押しかけ放火した。デモ隊はノルウェー大使館にも押しかけ放火した。5日、レバノンのベイルートでのデモ隊がデンマークの総領事館に投石、放火した。
イランのアフマディネジャド大統領をはじめ、イスラム諸国はヨーロッパ各国との関係の見なおしの検討に入った。
こうした動きを懸念した動きも活発化している。
4日、ローマ法王庁は、漫画を掲載したヨーロッパ各紙を批判、イスラム教徒の憤怒に理解を示した。一方で、暴力行為をいさめている。5日、国連のアナン事務総長がこの漫画を「イスラム教への冒涜」と認め「イスラム教徒の気持ちを理解できる」としながらも、「暴力を正当化することはできない」として自制をもとめた。アメリカもマコーミックミック報道官が「漫画は侮辱的だ」としてイスラム教徒に理解を示す一方、「暴力でなく、対話で」と呼びかけた。イギリスも冷静な対応をもとめている。
◆イスラム世界の怒りは当然
イスラム教を揶揄したり、絶対神であるアッラーや預言者ムハンマドを冒涜するようなことをすれば、多かれ少なかれイスラム教徒は怒る。同じように、キリストや聖母マリアを愚弄すれば、世界中のキリスト教徒は不快に感ずる。誰であれ、自分が絶対と信ずる対象を笑い者にされれば怒るのが当然だ。イスラム教徒の「心の自由」を否定するのと同じだからだ。
「ユンズ・ポステン」紙も12人の漫画家たちも、ムハンマドを漫画化し、風刺すれば世界中のイスラム諸国とイスラム教徒が怒ることは承知だったはずだ。メディアならば、そして、一部の過激な指導者たちに煽動された人々が国旗を焼き、デモ隊が大使館や総領事館を放火し、現地に在住する当該国の企業や駐在員、家族たちに危害を加えるかもしれないと予想するのが当然だ。「ユンズ・ポステン」紙も12人の漫画家たちも、どういう反応をするか承知の上で掲載した。デンマーク紙の預言者ムハンマドの風刺漫画を転載したノルウェーの新聞編集者は、「掲載を後悔している」と述べ、「こんな状況になることが分かっていたなら、掲載はしなかった。表現の自由をあきらめるはつらいことだが、もうたくさんだ」と言っている。インテリジェンスのない愚劣な発言だ。
いかに欧米先進国には「表現の自由」があろうとも、彼等の行為は明らかに兆発であり、言い替えれば「喧嘩を売った」と同じことだ。それを支持した政府は、子供の喧嘩に登場した親のようなものだ。ヨーロッパの国々の政府自らが、イスラム諸国に住む自国民の生命と財産を危機にさらしたに等しい。
自分が一番大切なものを侮辱されれば、だれでも怒る。例えば、資産家の息子のガキ大将に、ある少年が大好きな母親の屈辱的な悪口を言われたとき、我を忘れて殴り掛かってしまうこともある。不意をつかれたガキ大将が怪我をさせられた。それを知ったガキ大将の親は「暴力をふるった。恐ろしい子供だ。賠償しろ」と叫んだ。
「言葉、風刺漫画、表現の自由だ。暴力は絶対に許せない」と騒いでいる、ヨーロッパ諸国はガキ大将とその親たちやり方だ。表現の自由で、暴力以上に大きな傷を負わせている。もちろん、暴力はいけない。けれど、「表現の自由」をふりかざして「言葉の暴力」をふるい、心に傷を負わせるのはもっといけない。
◆ ヨーロッパ移民国家のいらだち
風刺漫画を支持したヨーロッパ各国のメディアや政府は、1500万人というイスラム教徒を抱える移民問題へのいらだちがある。移民を受け入れてきたヨーロッパ社会が、自分たちと価値観の異なる人々との共生に自信をなくしている。移民社会が貧困層を形成し、犯罪を醸成している。その原因は複雑だ。表面的には受け入れていながら、腹の底では避けている白人優先社会がある。もちろん、それを承知で移民してきた人たちにも責任はないとはいえない。
そして、9.11同時多発テロ以降、イスラム過激派による自爆テロが頻発し、世界中を震撼とさせている。まるで、ごく一部のイスラム原理主義者たち,イスラム過激派のテロ集団がイスラムを代表しているような錯覚をしている。数年前まで北アイルランドで,カソリック住民とプロテスタント住民が血で血を洗うような抗争をくりかえしてきたことをきれいさっぱり忘れている。
イスラム=テロリスト、そんな思いこみが心の奥にある。それが誤解を生む。と当時に、そうした誤解を利用して、聖戦(ジハード)を説き、自爆テロリストを養成する権力志向の聖職者たちがいる。
◆ でも、マナー違反で人の心を踏みにじる行為
多くの宗教はも、人々の心に安らぎをあたえ、病気や死の不安、不幸な出来事などによる苦悩を癒し、信じる人々の家族,地域の人々に全で平和な社会を作るための精神的バックボーンになる。イスラム教もそのとおりで、人々が安楽に暮すための規範を教えてくれている。誠実に、人々とともに生きるイスラム教徒は穏健で寛容だ。だからこそ,数億人に信じられている。
マレーシアで生活しているわたしたち異教徒にも、すぐそばにいるイスラムの人々が危険を背負っているとは、誰も考えない。わたしたちのような自由主義世界で育った人とは価値観が異なるが、マレーシアにはマレーシアに見合った自由があるということを教えてくれた。「表現の自由」も多民族,多宗教の人々が共存共栄していくには、多少の責任が伴うということを知らされた。この国の人々は,基本的に穏健で寛容だ。マレーシア流で行けば、欧米や日本の「表現の自由」にも、自ずと責任があるということを知る。
日本でもマレーシアでも,欧米でも、風刺漫画は発言力の弱い庶民声の代弁者だ。弱いものの目で,強いものを風刺するからおもしろいのだ。経済的にも、社会レベルでも圧倒的に優位にある北欧の人々が、様々な面で恵まれない環境にあるイスラムの人々の心の支えをからかうのは傲慢なマナー違反であり、どういう反応をするか承知の上で笑い者にしたのは人の心を踏むにじる行為だ。
◆指導者たちだけにメリットがある、結果の見えた喧嘩
もちろん、「表現の自由」の横暴に暴力で対抗するのは許されない。挑発され、相手国の指導者の人形や写真,似顔絵や国旗を焼き、大使館などの公館を襲い,投石し、放火する。「聖戦の用意がある」などと、相手国民の生命財産への脅しをする。そんなことが許されるわけがない。
一部の指導者による煽動によって引き起こされたことであっても、国際社会の目にさらされると、それがすべてになる。多くの国々と人々は、「理解し合うことができない行為」と見てしまう。相手国を否定し,戦線を布告するに等しい行為だからだ。そして、挑発した側は、暴力に訴えた人々や国を見下している。
こうした暴力がイスラム国だけのものではないことは、忘れられがちだが衆知の事実だ。
◆日本の小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対する,中国・韓国の反応も同じだ。
小泉首相も,自分が靖国神社を参拝すれば中国と韓国がどういう反応をするのかを知っていて参拝する。つまり、挑発し喧嘩を売っているのと同じだ。喧嘩を売っておいて,どういう反応がでるか知った上で。憲法で保障された「信教の自由」とか「思想・信条の自由」をもちだして「心の問題」としてしまっている。そうすれば、日本の世論がどう反応するかも知っている。計算し尽くした上で、中国と韓国の動きを自己の人気取りに利用している。
小泉首相の靖国参拝、韓国駐在の米軍兵士による事故や犯罪があるたびに、小泉首相の人形と日章旗が焼かれ、ブッシュ大統領の人形や似顔絵と星条旗が焼かれる。何枚も何十枚も。その光景がテレビの画面に映るたびに国民の思うことを,小泉首相は予知している。国民の多くは靖国参拝の是非よりも,中国や韓国の反応を見て、「唾棄すべき程度の国,人々」と感じてしまう。指導者に煽動された0.1%の過激な人々の行為が、残りの99.9%の人々も同じと錯覚させてしまう。日本人のナショナリズムが喚起される。それが小泉首相の人気につながる。
預言者ムハンマドの風刺漫画も小泉首相の靖国参拝も、人々の怒りは指導者たちの都合のいいように利用されている。ヨーロッパの白人たちのいらだちを利用しようとする指導者やメディアと、イスラムの人々の怒りを自己の権力にすりかえようとする指導者だけを太らせる。 |
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