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50年前、
日本が世界でもっとも貧しかった頃 |
三輪明宏、1966年、当時は丸山明宏といっていた歌手がいた。女装の男性、ゲイボーイと呼ばれていた。その丸山明宏が「よいとまけの歌」という歌を歌った。昭和30年頃に少年時代をすごした人が自分の母親を追憶した歌だ。「おとうちゃんのためならえんやこーら、おかあちゃんのためならえんやこーら、も一つおまけにえんやこーら」、あの時代、街のそこそこで見かけた光景であり、耳にした歌だった。この歌は「よいとまけの子ども」と友達にからかわれ惨めな思いをしていた自分。ある日街で見たお母さんの姿。工事現場で、自分を育てるために男たちに混じって力仕事をしているお母さんの姿に感動した自分。作詞も作曲も丸山明宏すごい歌だと思った人、涙をぽろぽろ流しながら聞いた人が大勢いた。
この時代、工事現場で働く日雇い労働者を「ニコヨン」あるいは「土方(どかた)」と呼んでいた。「土方」は職業を蔑視する好ましくない言葉として、「土方」という言葉がでてくる「よいとまけの歌」はラジオでもテレビでも多くは放送されなかった。「土方」でも「日雇い(労務者)」でも「出稼ぎ(労務者)」でも変わらないと思うのだが、自称文化人がうるさかったのだろう。それでも、多くの人がこの歌に涙を流し、支持し、密かなヒット曲となった。
「ニコヨン」とは一日の給料、つまり日当が百円札二枚と十円札四枚、240円を意味していた。月に25日働いたとしても月収6,000円、当時1米ドルは360円だったから16.67US$でしかない。年収はわずかに200US$。
太平洋戦争で夫を失った女性が子どもたちを養うために男たちに混じって働いていた。その男たちは冷害と旱魃で飢饉に苦しむ東北地方のお百姓たちの出稼ぎが多かった。爪に火を灯すような切り詰めた生活をして家族のために働いていた。
昭和32(1957)年、低音の魅力で一世を風靡したフランク永井が「一万三千八百円」という歌を歌った。13,800円は当時の大学卒の初任給の平均だった。これをリンギに換算すると445.16リンギ、米ドルにすると38.33US$、年収ボーナス込みで600$程度だ。つまり、50年前の日本は、現在のマレーシアの大卒初任給と比べると五分の一程度にすぎないし、米ドルで考えたら世界の最貧国並みの所得水準だった。日本の所得とアメリカの所得格差は四倍といわれていた。太平洋要戦争に負けた。日本は世界でもっとも貧しい国の一つになっていた。
昭和40(1965)年の日本人一人あたりの国民所得は923$、それが1999年には30、105$と30倍以上になってしまった。65年当時のマレーシアは316$、99年には3,333$と10倍を超える成長を遂げている。朝鮮戦争特需という幸運もあったが、日本人のことごとくが一生懸命に働き、貯蓄し、一方で子どもの教育には惜しみなく投資をした。親たちは勉強だけでなく、音楽や絵画といった芸術、スポーツにも子どもたちに夢を託した。
池田勇人首相が掲げた「所得倍増計画」がまさか実現すると思わなかった。田中角栄首相の「列島改造論」も大ボラだと思っていた。日本という国は、そして国民はそれを実現してしまった。高度経済成長という世界史上例を見ない奇跡をおこしたのだ。例外はあるけれど、日本人は世界でも稀な勤勉で実直な民族だと思う。大多数の国民がエンジンとなり、大きな躍進を遂げた。
その結果、チッソ水俣工場の水俣病をはじめ、イタイイタイ病、スモン病、光化学スモッグ等々、様々な公害や成長の歪みを経験した。社会の歪みが学生運動や労働運動を引き起こした。水俣病は1,500名が死亡したといわれている。しかし、国は被害の実態を調査することはしていない。
公害の疑いが起きると疑われた企業はひたむきに隠したりとぼけたりした。地方自治体だけでなく中央省庁の厚生省まで監督責任から逃れようと意図的に見て見ぬふりをしているように見えた。経済際優先という意識があったのだろう。最初のうちはマスコミも積極的には見えなかった。ただ、写真家や一部のジャーナリストが懸命に悲惨な状況を訴えていた。やがて医師たちも動きはじめた。大きくクローズアップされるようになったのは市民運動が活発化してからだ。安保反対など政治的には左翼的な活動家が多かったが、ふつうの市民たちも多く参加した。医師たちの努力で因果関係が究明されて企業側はやっと折れた。
もちろん、企業側にも「日本経済の躍進の一翼を担っている。多数の市民の生活を支えている」という自負があったのだろう。「自社に原因があるということを認めれば、巨大な被害者への補償金を支払わなければならない。企業の存亡に関わる」として、逃げ切りを狙っているかのように見える。地方自治体も国も似たようなものだ。
マハティール前首相が掲げた「ルック・イースト政策」は、未曾有の経済発展を遂げた日本、それを追いかけた韓国から学ぼうというものだ。かこ60年の日本の歴史から学んでほしいいいことも悪いことも見て学んでほしい。10年前、20年前のマレーシアよりもずっと貧しかった日本が、日本人のファミリーがしてきたことを見て、いいことは踏襲し、同じ過ちを繰り返さないでほしい。 |
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