マレーシアの障害者スポーツと工業技術
5年、10年、20年のタームで考えないと
 マレーシアの障害者スポーツとかかわり合うようになって、マレーシアの障害者たちが恵まれている面と逆に恵まれていない面を見てきた。
 マレーシアの障害者スポーツ選手たちにはフェスピック大会に出場する選手たちに政府から収入面での援助が与えられる。車いすなどの補助用具は日本のNGOや企業などからの寄付によるものも多い。用具の性能のレベルやメンテナンスはともかく、自己負担を強いられる日本の選手たちよりは恵まれている。スポーツ全般にいえることだが、企業が丸抱えでチームをもっているケースを除くと、国際大会に出場する選手たちの中には勤務先を退職せざるをえないものも多い。
 熱帯の国というタンディキャップはやむを得ない。熱いし、疲れやすい。民族性もある。基本的な身体能力があり、闘争本能が旺盛な温帯の国々の選手たちに較べると、欧米人に較べて小柄なアジア人であり、性格も穏健なこの国の人々のスポーツに向かう姿勢はさほど強烈ではない。そして、行政機関にもスポーツ団体にも優れた指導者が少ない。障害者スポーツでも同じことがいえる。
 日本などから障害者スポーツの指導者がきて指導している。たのしく効果的な指導をしている。一方で、障害者の自立をすすめようと車いすの製造を教えている。一般のスポーツも同様だが、2、3年、あるいは半年という短期間で一定の成果を上げてそれで終わってしまう。車いすの指導をしている麻生学さんは「5年、10年かけて、永続的に彼らの生活を支えていけるようにしたい」、「そのためのシステムを作り、マレーシアで障害をもつ人が指導者として育っていくことが必要だ」という。2年の任期が終われば日本に帰る。たぶん、後任が来てくれるだろう。しかし、後任がここの環境に慣れるまでの半年から1年は進歩が遅くなる。
 スポーツも同じだ。短時間で成績を上げるのもいいが、5年、10年後に、もっと多くの人たちが参加して、もっと上のレベルを目指すことができるような指導をしていく必要がある。選手の強化だけでなく、指導者育成も重要だ。それにもまして、その国の社会システムの中で、選手たちが生き抜いていけるような情況を構築する必要がある。
 マレーシアの子供たちがスポーツをはじめる年齢は遅い方だろう。だから、かっこのいい方向へ進みたがる。先へ先へと世界の一流選手の技や技術をまねしたがることが多い。基本がおろそかになりがちだ。基本をみっちりやらない選手は一流にはなれない。せいぜい国内でしか通用しない。
 そんな使い捨てのような選手がいくらいてもスポーツはレベルアップしない。国際協力機構(JICA)で派遣されてくる海外青年協力隊やシニアボランティアの指導者たちは、自分が子供時代、一人前になるまで何年かかったかを考えてみれば分かるはずだ。それでも一流にはなれない人が大多数だ。5年、10年かかってもやっと一人前になれる。2、3年で結果などだそうとするのは自己否定だ。一人前に育った選手を指導者になるように指導する。息の長い仕事だ。麻生さんのような考えの人たちがふえてほしいと思う。
 スポーツだけではない。工業分野のエンジニアとしての仕事も、一人前になるまでには10年、20年とかかる。大学の工学部を卒業すれば一人前ではないのだ。現場にでて、2年3年かけて基礎知識、基本作業をきっちりと身につける。それからがスタートだ。そこでも一人前になったエンジニアたちが、後進たちを年月をかけて指導していく。工業先進国になる道は長く険しいものだ。
 他国の他社のアイディアを盗んだり、安直な製品を製造していては工業国にはなれても、工業先進国にはなれない。日本も半世紀前には世界から「安かろう、悪かろう」の代表で、物まね専門の工業国と見られていた。どうやって、工業先進国になったかを考えれば、ただ、大学をつくって4年間かけて技術を教えて卒業させればいいというものではない。その後、企業に入って現場でどれだけ自分を鍛え磨き上げることができるかを試みる学生を育てなければ無駄遣いだ。技術だけをおしえてもむなしい。どういう意識をもって実際に現場にでて現実的な技術を覚えていくか、考え方、生きる姿勢を教えなければ意味がない。
 
     
 
 
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