9月19日、タイでクーデターが起きた。今年、タクシン首相一族による巨額の株取引が発覚し、ばらまき政策による腐敗、様々な弊害に国民の不満がつのり、足元が揺らいだけれどもタクシン政権は盤石と見られていた。4月に行われた総選挙を野党はボイコットという非常手段でかわそうとした。選挙には勝ったがタクシン首相は新政権を組織できず、選挙は無効になり再選挙ということになったが日程も定まらない情況だった。
地方の農村部へのばらまき政策は都市部中間層の反発をかった。議会内での絶対多数を背景にタクシン首相の強権的な政治手法はある意味で実行力とも受け取られた。政権に批判的なメディアに対し、名誉毀損による告発を連発してさらに批判を浴びた。 タイ南部の分離独立を目指すイスラム勢力を制圧するために、強力な軍事力を用いた.その結果、事態はより一層深刻化した。一族が株取引のよって得た巨額の利益を税の捕捉から免れようとした。
対する野党も非力さを露呈し、非民主的手段でタクシン政権に対抗するしかなかった。国民の間に政治不信が充満していた。
タクシン首相側も野党側も健全な民主主義国家でとるべき手段ではない政治手法をとった。政局は混乱し、国民の不満はつのった。と同時に、軍内部でも激しい内部抗争があった。元陸軍司令官で元首相のプレム枢密院議長を後ろ盾にしたソンティー陸軍司令官を中心とする主流派と、タクシン首相によって重用される警察予備隊時代の同級生を中心とする新興勢力の葛藤だった。
政治の混乱が軍部にクーデターの格好の口実を与える結果となった。プレム議長はタイ国民が深く敬愛するプミポン国王の側近中の側近だった。その日、タクシン首相は20日の国連総会で演説するためにニューヨークを訪問中だった。タクシン首相は18日、テレビを通じてクーデターの阻止を呼びかけるつもりだった。しかし、放送は軍によって中断され、国民に呼びかけるチャンスを失った。クーデター発生後、一度も公式な場面に登場することなく20日未明(タイ時間同日夜)、ひっそりとニューヨークからロンドンに向かった。
軍によるクーデターという、民主主義に反する政権奪取を国際社会は好ましい目では見ていない。しかし、20日に発表された、タイ国立スワンドゥシット大学が全国の18歳以上の2,019人を対象に行った世論調査によると、クーデターを支持する人は84%、支持しない人は16%と、「支持する」が圧倒的だった。支持と答えた人の多くはその理由として「これで政治情況が好転する」と答えた。
20日夜、プミポン国王はクーデターを主導した陸軍のソンティ司令官を民主改革評議会議長として正式に承認したと発表した。一方、タイ南部パッタニー県のイスラム教委員会のウェードゥラーメー・マミンヂ委員長はソンティ司令官を中心とするクーデターを支持する意向を明らかにした。タクシン政権が不公正な行政によって社会対立を激化させたとして、民主改革評議会議長に承認されたソンティ司令官が地域に公正さをもたらし、混迷している南部地域の問題解決の糸口を見いだしてくれることを期待していると述べた。
軍によるクーデターだったが、タイ国内で一般国民の生活への影響はほとんどなかった。バンコク市内の要所要所に軍の装甲車などがでているほかは、大きな混乱はなく、観光客が王宮を見学する姿などが見られた。ドンムアイ国際空港も発着を見合わせる航空会社もなく、平穏な情況。また、約3万人といわれるタイに在留する日本人に被害はなかった。21日には前日休校になった全国の学校も授業を再開し、役所などの公共機関や銀行も業務を再開した。市民生活はほぼ平常に戻った。
タイでは第二次世界大戦終了後の1946年にプミポン国王が即位して以来、57年、71年、91年に軍によるクーデターがあった。クーデターそのものは血なまぐさいものではないが、軍部による政治に民主化を掲げて強烈に反発する学生や市民の抗議行動に対して、軍が発砲し制圧したことがある。しかし、他の国のクーデターと異なり、軍部もプミポン国王の意向に添って穏健な事態収拾を目指すのを常とすることから、これ以上の混乱はないと思われる。 |