二人の創業者・天才発明家
 カップヌードルでお馴染みの日清食品創業者であり会長の安藤百福(ももふく)さんが1月5日に急性心筋梗塞のため亡くなった。96才だった。昨年12月、日清食品は明星食品を完全子会社化すると発表したばかりだった。
 安藤さんは明治43(1910)年生まれ。22歳のときに父の遺産を元手に繊維会社「東洋莫大小(メリヤス)」と設立。誰も目をつけていなかったメリヤスは飛ぶように売れた。昭和8年には大阪に「日東商会を設立し、光学機器や精密機械の製造に取り組むなど旺盛な事業意欲を示した。昭和20年、太平洋戦争は終わり、事業はすべて灰燼と化した。
 安藤さんの事業意欲は衰えず、繊維業から百貨店経営に事業を展開、やがて、食に関心を向けるようになった。日本国民の多くが貧困と飢餓に苦しんでいた。安藤さんは海岸に鉄板を敷きつめ、その上に海水を流すという奇抜なアイデアで製塩業をはじめた。
 ラーメンを作ろうと思ったのは、大阪・梅田の駅裏で、寒さに震えながらラーメン屋の屋台に並ぶ長い行列を見てからだった。当時のアメリカは小麦粉が大量にあまり、日本にもちこんでパン食を促していた。安藤さんは「日本には麺の文化があるのに、なぜパンなのか」と思った。
 事業家だった安藤さんは推されて信用組合の理事長になった。事業はできても金融には弱かった安藤さんは、信組の経営を他人任せにしていた。まもなく信組は経営破たんに陥り、代表理事だった安藤さんはふたたび無一文になった。安藤さんは自宅の裏に小屋を立て、美味しくて、簡単に作れて、保存がきくラーメンつくりの研究を始めた。試行錯誤を繰り返し、お湯をかけるだけで作れる「チキンラーメン」を完成させた。
 昭和33年8月、インスタントラーメンである「チキンラーメン」は35円で発売された。問屋筋は「35円は高いのでは?」と売れ行きに懸念を示した。しかし、宣伝と試食販売が功を奏して爆発的なヒット商品となった。この年、商号を日清食品と変更した。
 カップヌードルが発売されたのが昭和46年。インスタント・ラーメンは世界の味になった。類似商品も続出したが、トップの座は揺るがない。2005年の世界のインスタント・ヌードルの消費量は857億食、世界中の人が一人当たり平均で13食食べたことになる。最も需要が多いのは中国で442億食、インドネシアは124億食、アメリカは39億色、韓国は34億食。本家の日本は54億食だという。
 インスタント・ヌードルはスマトラ沖地震・津波のときや、アメリカのハリケーン災害のとき、また、世界各地で起こった地震などの大規模災害のとき、飢饉のときなどに緊急援助食糧として多数の被災者、飢えに苦しむ人々をすくっている。
 安藤さんも原点は「食足世平(食足りて世は平らか」、日々の食糧があれば世界中は平和になるだ。

 安藤百福さんはシャープの創業者の早川徳次さんと並ぶ大発明家だ。常人では思いつかないような奇抜なアイディアから出発して、世界中をうならせ席巻してしまう製品をほとんど一人の力と才能でやってのけた大天才だ。
 早川徳次さんは18歳のときにベルトのバックルの発明で特許をとって工場を立ち上げている。3年後にはエバーレディー・シャープペンシルを発明した。現在も学生たちの必需品となっているシャープペンシルだ。このときに株式会社早川金属工業研究所が設立された。シャープペンシルは爆発的に売れた。
 しかし、早川金属工業研究所は大正12(1923)年の関東大震災で工場を焼失し、会社も閉鎖した。翌年、大阪で早川金属工業研究所を設立し、ラジオの研究を始めた。大正14年には鉱石ラジオ・セットの量産を始めた。交流式真空管ラジオを発売、ラッパ型スピーカーを発売した。
 太平洋戦争終戦後の昭和24年、ポータブルラジオを発売、折りたたみ式の携帯用電気アイロンを発売した。倒産の危機もあったが、乗り越えて昭和26年からテレビ受像機の開発を始め、昭和28年にはテレビ受信機(白黒)の量産を始めた。その後、超音波式洗浄機や地下水利用の水冷式クーラー、太陽電池付トランジスタラジオや国産第一号の電子レンジなども発売している。昭和40年ごろからは半導体や発光ダイオードなどの世界の最先端科学技術の開発にも挑戦している。
 早川徳次さんのモットーは「他人にまねされる商品をつくれ」だ。需要者が望むいい製品を作れば、すぐに類似商品が出てくる。そうしたら、もっと先を行くことを考えろということだ。

 安藤百福さんも早川徳次さんも「誰もが思いつかないような奇抜な発想」で誰もやっていないことをはじめている。早川電気はシャープと名前を変えたあとも、液晶薄型画面テレビでは世界の最先端を突っ走っている。その後ろを、世界の松下パナソニックやソニーが必死で追いかけている。
 日本が生んだ二人の大発明家。二人のあとをおう若い世代はトップランナーでいつづけられるだろうか。会社のトップの発想が二人の創業者・発明家の思いを継承してくれれば、若い世代はそだつ。それが日本の明日につながる。日本も捨てたもんじゃない。中国や韓国には安藤さんや早川さんのような柔軟な発想のできる企業はいない。安藤二世、早川二世が現れるか、ノーベル賞をもらった第二の島津製作所の田中耕一さんを生むことができるか、日本の未来がかかっている。

 
     
 
 
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