マレーシア国内にある日本国大使館、総領事館、駐在官事務所など在外公館が2006年10月1日にまとめた在留邦人総数は9,928人で、1998年の11,726人をピークに減少傾向にあった。
州別ではセランゴール州(KL、プトラジャヤを含む)が1998年の7,638人をピークに2006年には6,059人と1,579人減で‐20.67%、ペナン州は98年の1,498人をピークに2004年の1,237人まで減ったものの、05年、06年と持ち直し1,550人と記録を更新しつつある。経済活動が活発なジョホール州は2001年の1,411人がピークで以後減少傾向にあり2006年には1,169人で242人減‐17.15%となっている。
1997年のアジア経済危機、また、中国経済の台頭もあって日本に本社を置く在マレーシアの日本企業は福利厚生や安全確保といった点で経費がかかる駐在員を減らして、余分な経費がかからず自己責任の部分の多い現地採用社員を増やす傾向にある。また、労働集約型の製造工場などは賃金が安く、労働効率がいい従業員が集めやすい中国にシフトする傾向にあった。中国やタイ、インドシアに比べて格段にカントリー・リスクが少ないマレーシアから全面撤退する工場は少ないものの、工場の運営管理をする駐在員数は減り、マレーシア人を管理職に登用する企業もふえる傾向にある。
現地採用社員がふえているだけでなく、マレーシア人を配偶者とする国際結婚した男女もふえつつある。日本レストランなど自営業や日本人従業員2、3人の小規模な企業もふえつつある。また、ここ数年注目されているロングスティの目的地としてやってくる中高齢者も確実にふえている。ほかに語学学習や研究、留学など学習目的で滞在している若い世代もふえている。こうした人たちの多くは大使館などの在外公館に在留届を提出しない人が多いので、実態を正確に把握することはむずかしい。ペナン州が増加傾向にあるのは、やはり、中高齢のロングスティの人たちがふえていることも一つの要因だろう。
日本の社会から飛び出してきた人たちがふえている
一時は在留邦人のおよそ90%を占めていた、企業命令できた駐在員とその家族が減りつつある一方で、日本の社会から飛び出してきた人たちがふえている。この傾向はつづくだろう。マレーシアの日系企業が、日本の歪んでしまった雇用形態が産み出した『ワーキング・プア』と呼ばれる人たちの「駆け込み寺」になるのか、新たな『ワーキング・プア』を産み出す「姥捨て山」になるのかは本人の能力と意欲が分岐点になるだろう。
マレーシア人と結婚する人もふえている。相手が日本人であろうがマレーシア人であろうが結婚は自由だ。しかし、結婚して、子供ができて、そして、生活習慣や民族性、宗教、風俗・文化の違いや、夫婦の経済環境や社会環境の変化によって離婚に追い込まれたとき、不幸な子供たちが発生する。不幸を乗り越えて健気に必死で生きていこうとする子供たちもいれば、実の両親によって無理やり負わされた背中に荷物のあまりの重さにつぶされてしまう子もいる。
数年前、マレーシアの学校でいじめられ、日本でもいじめられ、駐在員だった父と離婚したお母さんは新宿の夜の世界で働き始めた。新大久保のアパートに住んでいた女子中学生だった子が、駐車場から幼い子供を落として大ケガを負わせるといった事件があった。この女子中学生は加害者である以前に両親に犠牲にされた悲惨な被害者だった。国際結婚が増えれば、こういう子が特別な存在ではなくなりつつある。
ロングスティにやってきた中高齢の皆さんの一部の人たちが常識はずれ、マナー知らずの言動で、残留邦人や日系企業が何十年もかけて培ってきたマレーシアの人々との良好な信頼関係が損なわれている。ただ、物価が安いという理由だけでマレーシアにきてほしくはない。生活費を切り詰めるために恥も外聞もない言動で現地の人々に軽蔑されるようなことはなくしてもらいたい。
ロングスティでやってくるほとんどの人は社会人として人生を積み上げてきた良識ある人たちだ。戦後の混乱期から世界第二位の経済大国に一気に駆け上った日本という国を支えた皆さんが、これまでと違う「生活をたのしむ」という場所としてマレーシアを選んだのならば、日本人としての矜持をもちつづけるべきでしょう。
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