4月16日、アメリカ東部のバージニア州にある名門大学のひとつバージニア工科大学構内で、韓国人学生が銃を乱射、32人が死亡、29人が重軽傷を負い、犯人の学生も自殺するという、史上最悪の銃乱射事件が発生した。
当初、同大学のコンピュータ学科4年の中国人学生・崔少卓さん(24)が犯人と見做されて拘束された。崔さんは事件の写真を撮ろうとしてキャンパス内を歩き回り、立ち入り禁止区域に入り込んで、警官4人に拘束され手錠をはめられ、取調べを受けた。崔さんが拘束される光景は米国の一部テレビ局によって放映され、一部報道期間は銃の乱射事件の犯人は恋愛関係のもつれから自暴自棄になった中国系学生と報じた。
しばらくして韓国系学生チョ・スンヒ容疑者の犯行と判明したが、中国の新聞やポータルサイトは、米国の警察やメディアが「犯人が確定していないのに、中国人が疑わしいと言ったのは人種差別だと激しく非難した。中国外交部の劉建超報道局長も同様な非難声明を発表した。
実際に、ネットを通じて最初に「犯人はアジア系」という情報が流れた瞬間、わたしたちは「中国系か」と思った。日本で起こっている多くの凶悪犯罪は、少なくとも日本人の常識にはない手法や感覚で行われている。失礼な話だが、恐らく多くの日本人が「異常な犯罪=中国人」と感じてしまうのではないか。日本国内、とくに新宿や池袋周辺で、不法滞在中国人の暴力組織や犯罪組織などマフィアの存在は知られている。石原慎太郎都知事の「中国人を見たら犯罪者と思え」と言うような中国人蔑視発言が、東京都民には比較的素直に受け入れられている。先の選挙でも圧倒的な支持を得たのは、日中友好親善という建前上のきれいごとよりも都知事の本音と都民の本音とは重なる部分があり共感できることが多かったからだろう。米国メディアが同じような先入観をもっていても不思議はない。
もちろん、犯人が特定される前に、犯人は××人と決め付けるような発表は問題外だ。メディアとして恥ずべきことだ。しかし、しばらくして、犯人は韓国人と発表されても、中国人も韓国人も、やり玉に上がらなかったけれど日本人も、米国の人々から見れば一緒くたになってしまう。
韓国系の学生チョ・スンヒ容疑者の犯行と分って、17日夜に行われた追悼ミサで、李泰植駐米韓国大使が「この衝撃的な惨劇を機会に、韓国人社会は自らを見つめなおし、悔い改め、米国人社会と緊密な関係を築くべきだ」と語った。また、18日未明、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は弔意と遺憾の念を表明、韓国政府は、事件が韓国と米国の関係すべてに悪い影響を与えるのではないかとつよく懸念している。外交部も今回の事件が韓国と韓国人に対する国際的イメージに大きな打撃を与えるのではないかと見て、対策に苦慮している。
一方、李泰植駐米大使の発言に韓国系大学生の団体の事務局長らは、「韓国系米国人は謝罪する必要はない。大使の謝罪は不適切だ」と20日付けのワシントン・ポストに寄稿した。米国内で比較的新しい韓国人社会は1992年に起きた人種間暴動で黒人やヒスパニック系米国人と激しく対立した。社会の中層クラス以下を構成する社会で、韓国人移民たちは黒人とヒスパニックの居住地域や職域に入り込み、しゃにむに働いて一歩上のレベルに上りつつある。低所得層からは妬まれてしまうのは仕方のないことだ。白人富裕層からもよい感情で見られていない。だから、李韓国大使は「これを機会に、悔い改めて謙虚になるほうがいい」と諭したかったのだろう。
犯行は韓国人のというよりも、チョ容疑者自身の精神の崩壊によるものだろう。自分は悪くない、悪いのはすべて裕福な人たちであり、周囲の人々が自分を追い詰めたと思い込んでいたようだ。チョ容疑者個人のしでかしたことには間違いない。
それでも、多くの人々は「韓国人がやった」という見方をする。日本でも北朝鮮がミサイル実験をしたり、様々な犯罪的挑発行為をするたびに、在日朝鮮人の女子学生たちが嫌がらせの対象になる。「彼女たちに何の罪があるのだ」と卑劣な行為に、日本人の間から怒りの声がでるほどだ。
アメリカでも裕福で常識のある白人層もあれば、貧困にあえぐ白人層もいる。居住地域や職域を侵害されているヒスパニックや黒人たちもいる。この事件が引き金となって、韓国人だけではなく中国人や日本人に報復のための嫌がらせの暴力行為があっても不思議はない。「韓国系米国人は謝罪する必要はない。大使の謝罪は不適切だ」などといって感情を逆なでする言動がもたらすものはさらなる悲劇につながりかねない。
感情的にプライドの高い韓国民が謝罪したくない気持ちは分るが、今は、頭をたれて、吹きすさぶ嵐が通りすぎていくのをじっと待つほうが懸命だ。李大使は韓国人の激高しやすく感情を制御できない国民性に言及したのではないだろうか。
中国も米国メディアを批判してどうしようと言うのだろう。銃を乱射したのが中国人ということで米国のメディアは「やっぱりな」と納得して公表してしまった。それを見た多くの人が「やっぱり中国人か」と思った。大多数の人たちが「やっぱり」と思ったからこそ、中国の怒りは激化したのだろう。彼らは自分たちがそう思われている人種だということを知っている。だから、悔しいのだ。
もちろん、誤報を発信したメディアの姿勢には問題がある。しかし、それは個々のメディアの問題であって、ひとくくりに「米国のメディア」と表現し非難するのは適切ではないだろう。 |