久間防衛大臣の原爆投下は
しょうがない発言の異常さ
 6月30日、久間防衛大臣が1945年8月6日に広島に、同月9日に、米軍によって原子爆弾が落とされ、20数万人の無辜の市民が犠牲になり、さらに何万、何十万という人々が被爆による後遺症に苦しんでいることに触れ、二つの原子爆弾の投下によって第二次世界大戦の終戦が早まったとした上で、「(あのまま戦争が続行されていれば)間違えると、北海道までソ連に占領されていた。原爆を落とされて(久間氏の地元である)長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理でしょうがないと思っている」と発言した。千葉県柏市の麗沢大学の講演で述べた。

 たしかに、二つの原爆投下がなかったら、一部の軍人たちが「一億玉砕」などと本気で考えていた日本は戦争をやめなかったかも知れない。3月には東京が米軍のB29爆撃機による大空襲を受け数万人に及ぶ死者をだした。B29は日本各地に焼夷弾を雨のように降らせて、軍事施設を周辺住民の命とともに爆撃した。日本の敗北は確定的だった。それでも「本土決戦」が叫ばれていた。

 8月15日以降も戦争が継続してれば、数十万人の市民の生命が奪われていただろう。8月9日のソ連参戦で、満州に移住していた日本人の開拓農民や市民たちを見捨てて、いち早く逃げたのはソ連との国境を守る関東軍だった。不凍港をもとめていたソ連軍は咽喉から手が出るほど欲しかった北海道に進軍し、占領したかもしれない。

 「そうならなかった。だから、米軍が原爆を投下したことは容認せざるを得ない」と考えられる内容だ。結果的に大義名分があれば原爆投下で罪もない何十万人の生命を奪うことが許されると久間大臣は言いたかったのだろうか。何十万人の生命が失われなかった、その代償として何十万人の生命が奪われた。そんな引き算を考えたのだろうか。

 久間大臣はイラク戦争に関して米国政府を非難する内容の発言をしたことがある。日本政府はブッシュ大統領のイラク政策を認め、追随し、自衛隊を派遣している。その責任者である防衛大臣がイラク戦争を否定することの異常さは多くの知識人を驚かせた。私人であれば許される発言だったが、久間氏は閣僚であり、自衛隊派遣の責任者だ。当然、同盟国であるはずの米国政府は不愉快きわまったことだろう。安倍晋三内閣では、不明瞭な政治資金で叩かれたり、愚かとしか言いようのない発言で袋叩きにあった閣僚があとからあとからつづいた。久間大臣はその中でもっとも性質(たち)が悪いと評されていた。汚点がついた米国向けのメッセージだったのかも知れない。

 一国の軍隊が、非戦闘員である一般市民を殺戮するのは国際法上の違反行為だ。太平洋戦争(第二次世界大戦)終了後、日本軍の多くの将兵が一般市民の虐殺行為などの罪で受刑している。マレー半島で抗日運動に加担していると見做された多くの華僑住民が日本軍によって殺害された。殺された中には女性も幼児もいた。殺した兵士の多くは軍幹部の絶対命令に従っただけだ。それでも、米国を中心とする裁判で罪を問われ、受刑した。日本は戦争に敗れた。だから、罪を問われ、罰を受けた。戦勝国の米国は何十万人という非戦闘員を殺害しても罪に問われない。

 久間大臣の「しょうがない」発言は「米国がしたことだから許される行為だ」というおべっかなのだろう。あるいは、愛国者になったつもりのお坊ちゃん宰相安倍晋三首相のご機嫌をとろうとしたのかも知れない。失言しても失敗しても、安倍首相はかばってくれる。そんな首相の寵愛を受けたかったのかも知れない。†

 日本は唯一の被爆国である、原爆被害の悲惨さを世界中の誰よりも知っているのは日本人だ。人類史上最悪な大量破壊兵器の存在や使用を日本だけは最後の最後まで反対しなければいけない。核兵器の廃絶を世界に向けて叫びつづけなくてはいけない。

 どんな理由があっても、原子爆弾を認めてはいけない。核兵器の開発行為も、核実験も断固反対を叫ぶべきだ。核実験をする国とは国交断絶も辞さないくらいの気迫が必要だ。経済的な関係のほうを重視したり、「話せば分る」式の柔軟路線はとるべきではない。しかし、現実には、石油欲しさにイランに媚を売ったり、北朝鮮にはいいようにもてあそばれている。

 久間大臣のように大義名分があれば原子爆弾を容認するというなら、「石油が欲しいからという理由で核開発を認める」、「北朝鮮は米国と対決しているんだから、核開発もしょうがない」ということになってしまう。「北朝鮮が核兵器をもった。何をするか分らない隣国が核兵器をもったのだから、日本も核兵器をもつべきだ」という論議が噴出しかねない。

 どんな理由があっても核兵器は地球上から廃絶させるべきだ。

 日本の軍備を預かる防衛大臣が「原爆投下はしょうがない」と発言すたことは、もはや大臣としての資質がないと断定されても仕方ないだろう。発言のあとでメディアに非難されたときには、謝罪も発言訂正もする気はさらさらない風情だった。1日朝からは自民党の中川秀直幹事長らから「陳謝し、発言を撤回するほうがいい」と言われた。公明党の太田代表も、自民党の中川昭一政調会長も謝罪と撤回をもとめた。一日も早く、国民の前から久間発言を消さないと参議院選挙が戦えないからだ。

 安倍首相は、いつものように閣僚の言葉尻を捉えた野党とマスコミの空騒ぎと感じたのだろう。あるいは、被爆者団体や被災地の人々がなぜ怒りをあらわにしたのか、そして国民の多くが久間発言をなぜ不穏当と感じたのかの意味が分らなかったのかも知れない。

 日本は、日本国民は例え最後の一国となったとしても、原子爆弾を地球上から永遠に追放するために叫び、戦い続けなければならない。亡くなった二十万以上の人々のためにも、原爆の後遺症に苦しんでいる人々のためにも、そうあるべきだ。

 安倍首相は自分が首相のうちに、悲願の憲法改正を何としてもやり遂げたいらしい。タカ派というか自己満足型の愛国主義者の安倍首相は憲法第九条をいじくりたいのかも知れないが、恒久平和をもとめ、戦争の放棄を謳う平和憲法の条文は変えてはいけない。常識の通用しない指導者が独裁支配する隣国が核兵器を保有したために、杓子定規にはいかないけれども、日本という国家の目標としてこの条文は残すべきだ。

 久間大臣は取材するマスコミに閣僚辞任を言及されると、ほくそ笑むように「そんな必要はない」と立ち去った。長崎県選出の衆議院議員であるのに、この人には自分の発言が原爆被災者や長崎の人々、多くの国民にどう伝わったかが理解できないのだろう。

 久間大臣は発言から三日目の午後辞任した。その日の午前中まではほくそ笑んでいた久間大臣も、連立与党の公明党の重鎮たちから暗に辞任を要求されては生き残れないと判断したのだろう。安倍首相に辞表を提出した。首相は最後まで辞任を要求しなかった。久間大臣の発言の意図に共感する部分があったのだろうか。少なくとも、安倍首相は久間大臣の意見の理解者であったようだ。久間大臣には反省の色はまったく見えなかった。自分を非難した人々のほうがおかしいと思っているようにも感じた。

 代わりに防衛大臣に選ばれたのが小池百合子氏だった。安倍首相は一にも二にも参院選の人気回復だけが念頭にあったようだ。「(郵政民営化の)刺客変じて防衛の要」にというのがおかしい。

 
     
 
 
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