欧米流の人権、民主主義が普遍の真理か?
 1997年にクアラルンプールで催された東南アジア諸国連合(ASEAN)の拡大外相会議に先立ってマレーシアのマハティール前首相が1948年に国連で採択された「世界人権宣言」の見直しを提唱した。マハティール前首相は、この時点での国連加盟国数は60カ国にすぎないことから、当時植民地だったアジアの国々は参加していなかったとし、貧しい国々にとって必要な「人権」とは何かを考え直すべきだと指摘した。

 世界人権宣言は第二次世界大戦に勝利した連合国を中心とした先進大国が考え出したもので、ナチスドイツによるユダヤ人に対する人権侵害や日本を含む枢軸国による人権侵害を念頭においた理念だ。たしかに、世界人権宣言によって、侵略によって他国の領土を自国のものにする帝国主義や全体主義による国家観は欧米などの先進諸国からは消えた。アメリカやヨーロッパの先進国は、自由が保証され、公平平等な権利と多数決原理による民主主義が、あたかも普遍的価値観のように信じ、主張した。

 アジアの多くの国々は、多民族、多宗教、異なる生活観や価値観をもっている人々が混在している。全ての国民に公平で平等な権利を与え、言論の自由など欧米先進国が正しいと信じる自由を与えることが、アジアの国々にとって真に平和と安定をもたらすものか、という問題提起だ。

 例えば、マレー人が全人口の60%を占め、約30%の中国系と約8%のインド系、そして、数十の少数民族が混在するマレーシアで、国民の全てに平等な自由を与え、公平に権利を与えたらどうなるか?を考えてみよう。間違いなく経済は発展する。一方で、間違いなく民族性による生活レベルの格差はひろがる。狡猾さ貪欲さの差が所得格差を生み、生活レベルの差は著しいものになる。

 ほとんど単一民族で、宗教的な葛藤もない日本では、憲法で自由で平等な権利が保障されている。それでも、学校や社会での競争につよい人と、弱い人たち、社会的勝者を目指す人と、のんびり人生をたのしもうとする人たちと、様々な形で格差は広がっている。多民族国家で、複数の価値観が共存するマレーシアでは、その傾向はより顕著になり、格差は憎悪を生んでいくだろう。少数民族の保護政策、優遇政策は世界中にあるが、人口的に多数を占める民族の優遇政策は世界史上稀有な存在です。けれど、もし、ブミプトラ政策がなかったら、民族間の経済格差、生活レベルの格差は現在の何倍にも広がるに違いない。民族闘争で血で血を洗うような悲惨な状況を生んだ第二のボスニア・へルツェゴビナになっていたかも知れない。ブミプトラ政策は、欧米や日本など先進国からは白い目で見られているが、マレーシアにとっては必要不可欠な政策なのだ。

 実際に1969年5月13日には選挙で躍進した中国系野党を支持する勢力の勝利の行進に対抗して、マレー人政党を支持するマレー人青年たちもデモ行進し、クアラルンプールで衝突し、最終的に死者196人という流血の大惨事となった。ブミプトラ政策はこうした民族対立を抑止するために考案された。

 また、もし欧米式の自由観によって、国民に等しく自由を与えたら、「表現の自由・言論の自由」と表して、他の民族を批判し、自分が信ずる宗教以外の宗教を侮蔑し揶揄する人たちが必ず出てくる。欲望や感情を自制する能力は民族や個人によって異なる。ポルノ写真や刺激的な文書を野放しにすれば、風紀が乱れてしまい、国としての誇りが失われかねない。アメリカのように銃火器の所持を自由にすればどうなるか、イラクやアフガニスタンの二の舞になりかねない。 

 マレーシアの人権認識や民主主義についての認識は多民族、多宗教国家ということが大前提にあると思う。マレーシアにはマレーシアの人権意識と民主主義があると,マハティール前首相は言いたかったのだろう。

 共産党が一党独裁で強権政治をしている中国やベトナムで、「思想・信条の自由」や「集会・結社の自由」を認めたらどうなるか?「中国もベトナムも民主主義がない」、「自由がない」と叫んでみても、無駄だ。弾圧されるに決まっている。

 中国の現在の経済成長は、共産党独裁の強権政治だから可能なのだ。共産党独裁の危うさ、共産主義思想の現実との矛盾をしっているからこそ、共産党幹部や地方行政府の幹部たちは「今のうちに」と賄賂で私腹を肥やし、海外に預金して子弟を送りだし、ファミリーとして生き残る方策を立てているのに違いない。

 国際的に批判されている軍による独裁国家であるミャンマーにしても、日本人駐在員などの話を聞くと、民主活動家のアウンサン・スー・チー女史が政権をとったら、ミャンマーはもっと混乱すると言っている。少数民族が幾つもあって、自己主張している国だから、同じミャンマー人同士が銃口を向け合って内戦が始まる可能性もある。欧米に非難されていても、中国との関係を親密にしておけば国としては安定し、やがて憲法を施行して、まぐれ当たりで民主主義国家になっていくかも知れない。少なくとも、内戦よりはましなはずだ。

 世界の警察を自認するアメリカは、自己の価値観に基づいた民主主義、人権をイラクで押しつけようとして、失敗している。サダム・フセインを圧倒的な軍事力で押さえ込み、生命をたってしまったが、サダム・フセインを育てたのはアメリカであり、イラクのような同じイスラムの中での宗派対立や部族対立、地域対立の激しい国を統治するには、サダム・フセインのような豪腕の独裁者が力で統治するしかない。イラク国民にとっては、サダム時代のほうがはるかに平和で平穏な生活ができた。

 ひょっとしたら、北朝鮮もあの金正日による独裁がつづくほうがいいのかも知れない。飢餓に苦しんでも、自由がまったくなくても、同じ民族の韓国人にバカにされ、罵倒されて生活するよりは、気分的にはマシかもしれない。北朝鮮の正式名称である「朝鮮民主主義人民共和国」を見れば分るとおり、彼らは彼らなりの価値観に合った民主主義を実践しているのだ。一糸乱れぬマスゲームをひたむきに演じる北朝鮮の人たちを見て「狂気だ」と感ずる人も多い。しかし、日本でも公明党の支持母体の宗教団体も、平和を訴え、一糸乱れぬマスゲームを得意とする。そんなものは指導者の趣味でしかないのだ。

 「自由」も「民主主義」も欧米先進国が認識する価値観が世界中で普遍的な価値観には絶対にならない。マハティール前首相のアジアにはアジアの価値観があるというのは正しいと思う。
 
     
 
 
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