6月8日、秋葉原の歩行者天国で大勢の人が無差別に殺傷された。男女7人が死亡し、10人が重軽傷を負った。犯人は25歳の男性だった。今年の3月23日、土浦市荒川沖駅前で24歳の男が無差別に8人を殺傷する事件があった。
2つの事件とも「2チャンネル」や携帯電話のインターネット掲示板に犯行を予告する書き込みをしていた。とくに土浦の事件では、殺人事件の容疑者である犯人が土浦に戻って犯行を繰り返す可能性は十分に予測できた。しかし、警察が、「2チャンネル」のような誰でも書き込みができる巨大な掲示板に書かれた犯罪予告から、“いたずら”と“本気”を見分けるのは困難という意見もある。
しかし、ネット上の犯行予告を検索するソフトが開発され、警察が情報をキャッチし、予告の発信者をつきとめるのは、現在ではそう難しい作業ではないだろう。現実に、事件後に模倣犯が何人も軽犯罪法違反や業務妨害罪で逮捕されている。そして、大多数が悪戯目的で初犯ということで処分保留か起訴猶予で、二、三日の拘留で釈放されていく。
ネットを利用した犯罪予告などにはもっと厳しい処罰を与えるべきだろう。
もし、厳しい処罰が現実のものとなったら、こうした掲示板を鬱積する不満のはけ口にしている、社会から阻害されていると信じている青年たちは、不満のはけ口を失うことになる。自称文化人やネットおたくたちは「表現の自由の侵害だ」と騒ぎまくるだろう。ただし、彼らの特性として、そうした抗議も「匿名」でするに決まっている。
厳しい処分だけでなく、厳しい対応を警察はとるべきだ。しかし、現実には、土浦の例で明らかなように、警察は事件が起きるまでは気休め程度のことしかしない。桶川のストーカー殺人事件にしても、警察官の子弟が犯行に関与していた栃木のリンチ殺人事件にしても、犯罪が発生しつつあっても何もしないのが警察だ。土浦の事件のときには一応警戒の警官を巡視させたものの、拳銃の携帯もしていない。
馬鹿ばかしことだが、これが日本の警察に実態なのだ。
6月19日付けの読売新聞に
―― 東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で、負傷者を介抱している最中にナイフで刺された警視庁万世橋署の丸山正市警部補(53)が、意識を失いかけながら、駆けつけた同僚署員に「(犯人は)あっちだ」と逃走方向を指さしていたことが分かった。
同僚署員は、騒然とする歩行者天国の人込みの中から加藤智大(ともひろ)容疑者(25)(殺人未遂容疑で逮捕)を見つけ出し、2分足らずで取り押さえた。丸山警部補は今も重体で、同僚らは回復を祈り続けている。
同庁幹部によると、丸山警部補は交通課に所属し、事件当日の8日は、現場の交差点近くで歩行者天国の交通整理をしていた。
加藤容疑者が運転する2トントラックが交差点の人込みに突っ込んだのは、午後0時33分ごろ。丸山警部補は、すぐに駆け寄って救助にあたったという。
その直後、ダガーナイフを構えた加藤容疑者が後ろから背中を一刺しした。傷は心臓近くまで達する深いものだったが、丸山警部補は意識を失いかけながらも、秋葉原交番から駆け付けた巡査部長(41)らに「あっちだ」と声を振り絞り、逃走方向を指さしたという。
丸山警部補の容体は依然、予断を許さない状態が続いており、同僚らは「犯人を取り逃がしてはならないという一念で行動したのだろう。今はとにかく回復してほしい」と話している。――
案の定、警察内部でもマスコミも、被害者を救助していてナイフで刺され、重傷を負った丸山警部補を職務に忠実で、自分の危険を顧みずに市民の命を守ろうとした立派な警察官と認識して、美談にしあげようとしているようだ。
だが、丸山警部補がまずやるべきことは被害者を救助することよりも、これ以上の被害者を出さないために、無差別殺人を行っている犯人を射殺することだったのではないだろうか。被害者を守ろうとして自分がナイフで刺されたのは、丸山警部補のやさしさだろう。しかし、加害者がすぐ傍にいるのなら、これ以上の犯行を防ぐのが第一だ。それが本当の意味での「市民を守る」ということであるし、丸山警部補自身も市民の一人であって、傷つくべきではないのだ。
秋葉原通り魔事件では、現場に居合わせた日本テレビ技術統括局秋元乾太郎局員、日テレグループ会社の日テレ・テクニカル・リソーシズの石渡裕二カメラマンの「生々しい証言」が紹介されている。
秋元局員は「そしてこの辺りでおそらく男性と女性が刺されています。(レポーター:警察官の目の前で?)そうですね。警察官の隙を突いてこの辺りで男性と女性が刺されています」。石渡カメラマンも「警察官はここで(路地の入り口付近)警棒を落とされてしまったので、犯人はそのときを狙ってこちらの通り(犯人が逮捕された路地)の方に逃げていきました」「また、ここら辺で見ている人たちを刺して、ここでは2人くらいが刺されていたと思います」と証言。
これを放送したら、なんらかの圧力がかかり、日本テレビは「警視庁をはじめ関係者の方々にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」と謝罪している。またしても「捏造」と思わせる謝罪だが、フジテレビ系の報道番組でも犯人と警官が向かい合っている写真が画面にでているから、監督官庁あたりから相当つよい圧力をかけられたのだろう。あるいは、政府自民党に近い日本テレビの上層部の人物が、動いたのかもしれない。そう思われても仕方のない「警視庁のメンツを守る」意図がありありだった。
ナイフをもった犯人と向かい合った瞬間に、拳銃で撃っていれば、それ以上の犯行は防げたのだ。故意でないにしろ、見逃した警官は懲戒を受けても仕方のない職務怠慢そのものだ。
警官の拳銃の使用を極端に自粛しているのは日本だけだろう。世界中どの国でも、警官は犯罪者と対峙することが多い。だから、ナイフや拳銃をもった犯罪者と向かい合ったとき、まず自分の身を守り、そして市民の生命を守るために拳銃の携帯と使用が許可されている。自分の身を守らなければ、つまり殺されてしまえば、市民を守ることができなくなるからだ。それに、封建時代ではない現代で、生命を投げ打ってまでする仕事は存在しない。他国から見れば軍隊である自衛隊も、自軍からは攻撃はしないし、自軍にも攻撃側にも死傷者が出ないように、戦闘地域では活動しない。警察官といえども、死を賭してまでする仕事ではない。市民を守るために、まず、自分を守るべきだ。
秋葉原の事件と同じ状況が日本以外の国であったら、犯人を見た警官はどう対応するだろう。おそらく世界中のどの国の警官も、ためらうことなく犯人を射殺するだろう。自動車ですでに何人も殺傷している犯人が、ナイフを振りかざして、歩行者天国の人ごみに突入しようとしている。無差別の大量殺人が行われるのは明らかだ。その行為を食い止めるためには、犯人を銃殺するのが最善の方だ。
なぜそれをしなかったか?大勢の歩行者の見ている前で警官が犯人を射殺するという行為を見られたくなかったのか?警官の撃った流れ弾が市民を巻き添えにする可能性を恐れたのか?マスコミから非難が集中するから、警戒態勢に入る前に、警察幹部は「拳銃使用は慎重に」という指示をだしたのだろうか?
2007年4月16日にバージニア工科大学で起きた韓国人の移民の息子チョ・スンヒ容疑者(犯行後自殺)によって32人が射殺された。アメリカでは高校や大学のキャンパスで大量殺人事件が起こる。日本では、まったく関係のない人を殺傷する通り魔事件が時折起こる。最近の傾向として、アメリカでも日本でも大量殺人(を目論んでいたが、最小限の殺傷しかできなかった、も含めて)の犯人たちは、インターネットやメディアを通して自己顕示させようとしている。目立ちたがり屋が多い。予告をし、犯行声明を発する。凶悪な殺人事件を起こすことだけが、社会に埋もれていた彼らを檜舞台に引き上げてくれる唯一の手段だからだろうか。
こうした理不尽な犯罪を防ぐには、ネットに予告が出た段階で書き込みをした人物をつきとめ、警告し、それでも繰り返すときは逮捕して刑務所に送るしかないだろう。警察庁は、無差別な殺傷行為をする可能性のある容疑者には、警告や威嚇射撃なしに銃撃することを許可するという方針でいかなければ凶悪犯罪を防止することはできない。
無関係な人々を殺傷しようとする犯人の人権や生命を考えるよりも、被害にあう人々の人権や生命のほうが何十倍も何百倍も大切なのだ。犯罪者のすべてが反社会的だとは思わない。しかし、無関係な人々を殺傷する犯罪者は反社会的そのものだ。
100件の事件予告のうち、99件はいたずらだろう。それでも、警察は面倒がらずに捜査するくらいしなければ、予告+通り魔事件はこれからもふえつづけていくだろう。
まず、警察が意識改革をすべきだろう。「定年になったら、パチンコの景品買いの会社にでも勤めるか」などとやくざの仕事を奪うようなことばかり考えていないで、事件を未然に防ぐ警察官であってほしい。 |