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番
外 編
アブドゥラ・バダウィ首相と
夫人のエンドンさんのこと |
| 日馬プレス 渡邉明彦 |
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御手洗さんとともに故川内先生の御自宅をたずねて、わずか十日あまりの10月20日午前7時55分、プトラジャヤの首相公邸で、川内先生の未亡人の姪でアブドゥラ首相夫人のエンドンさんが乳がんのために亡くなられてしまいました。
わたしの友人である観光省の高官が「アブドゥラ・バダウィー首相が現在あるのはエンドンさんの内助の功が大きい」と逝去を惜しんでいました。「アッラーの神もエンドンさんの死を悼んで泣いているようじゃないか」と雨模様の空を指差したことが忘れられません。
芸術に造詣がふかいチャーミングなファーストレディーでした。国際交流基金や大使館が主催や後援をする、現代風デザインの絵画や彫刻の展覧会でよくお姿を拝見しました。そして、エンドンさんが存在するだけで、マレーシアと日本との橋渡しができる、そんな人でした。謹んでご冥福をお祈りします。
いきなり番外編になってしまいましたが、そういう流れが一番いいのでしょう。まず、エンドンさんのことから書いていきます。
エンドンさんの母である旧姓小畑キミエさんは14人兄弟姉妹の7番目、川内忍さんの2歳上の、すぐ上の姉さんだった。キミエさんはマレー人のマームード(Mahmood)さんに嫁いだ。川内夫人は「(キミエさんは)とってもやさしいお姉さんですよ。エンドンの前にエンドンと双子の姉妹のマイニーが同じ乳がんで亡くなっているの。それは悲しいことだけれど、男の子が6人、女の子が5人の子沢山で、今はたくさんの孫がいて幸せに暮らしているのよ」という。日本人の両親をもつキミエさんは現在81歳。まだまだお元気のようだ。
貴重な写真を見せていただいた。今から46年前の1959年に撮った、エンドンさんのお父さんマームードさんとお母さんのキミエさんの写真と、子供たちの写真だ。エンドンさんは上段右から2人目、双子のマイニーさんは上段左から2人目、この2人は18歳だった。この写真に写っている一番小さな女の子はアメリカ国籍の日本人男性と結婚し、幸せな生活を送っているという。そして、この写真にない11番目の子は、まだ生まれていない。
「エンドンは英語教育の学校に行ったので日本語がだめだったのよ」、かわいい、そしてやさしい心をもった姪の死を思って、川内夫人からエンドンさんについて、多く聞くことはできなかった。10月はじめにロサンゼルスでの治療を受けて帰国したばかりだった。
川内夫人は「アブドゥラ・バダウィのお父さんはね、ものすごくいい人。生活に困ってたり、家庭で苦しんでいるたくさんの人たちを助けてやっていた、すばらしい人格者なの。多くの人たちから尊敬されていたわ。自分の娘をアメリカに留学させたの。当時のマレー人社会では考えられないことだったわ」と言う。半世紀前のマレー人社会では娘を大学に進学させることはもちろん、留学、ましてやアメリカに留学などということは夢のまた夢のような出来事だったのだろう。人格者であるだけでなく、先見性のある教養人だったに違いない。
「アブドゥラさんはね、日本人が大すきなのよ。日本に行くと、必ずわたしの娘の光江の家にくるの。なんてことのないふつうの家よ。そこに、お供をつれないで一人でやってくるんですって。アブドゥラさんは明るくてハキハキしている光江のことを、十代の頃からとてもかわいがってくれて。自分の奥さんの従妹の、日本のふつうの家庭がたのしいんでしょうね」と川内夫人は目を細めるようにして言う。ひとりで行くのは、ふつうの人間として義理の従妹の家庭で時をすごしたいから。そして、平和で安全な国日本に対する信頼があるからだろう。
奥さんのエンドンさんをとおして、アブドゥラ首相には日本への特別な思いがあるに違いない。それだけではない。1981年、マハティール前首相が第4代首相に就任して“ルック・イースト(東方)政策”を掲げた。このときにアブドゥラ下院議員は東方政策担当の首相府相として入閣した。マハティール前首相は、アブドゥラ議員の家族構成なども考慮したのだろう。アブドゥラ大臣は閣僚の一員として主要政策である東方政策にかかわり、日本の社会、日本人への思いをふかめた。
「アブドゥラさんが日本に行っているときに、マレーシア政府主催だったり、日本の政府や団体がパーティーを開くでしょ。そんなとき、アブドゥラさんは光江の家族を招待してくれるの。でもね。パーティーに行くと必ず、“どういう関係ですか?”って胡散臭そうに訊かれるんですって。光江が“首相の親戚です”、“首相夫人の従妹です”って答えると、とたんにVIP待遇になってしまうんですって」。川内夫人は日本のサラリーマン社会を皮肉っぽく評した。東南アジアだけでない、世界中の発展途上国の権力者とその親類縁者には利権があると信じている人たち(企業)がいる。権力者の親類縁者の機嫌をそこねたら利権にはたどりつけないと信じている社会がある。「ただの親戚なのにね」と笑っていた。
エンドンさんが神の元に行っても、アブドゥラ首相の日本への思いはかわらないだろう。アブドゥラ首相はふつうの日本人である義理の従妹の家庭がすきなのだから。 |
| アブドゥラ・バダウィ首相の略歴 |
1939年11月26日、ペナン州で生まれた。まもなく66歳になる。
マラヤ大学文学部マレー学科を1964年に卒業。連立与党のマレー政党UMNOに入党。
1978年の選挙で下院議員に初当選。1981年から83年、東方政策などを担当する首相府相。84年に教育相、86年から87年には国防相、91年には外相を歴任した。99年1月、マハティール前首相によって事実上の首相の後継者である副首相に指名された。主要ポストの内務相を兼任した。
2003年10月31日、第5代首相に就任した。 |
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| <本稿は日馬プレス第311号(2005年12月1日)に掲載されたものです。> |