#02
マレー人と
結婚したわたし
小田島小百合
 
 東京の多摩地区にある私立大学生だったわたしが、夫であるカマルディン・ピン・ダト・ハジ・イスマイルと初めてであったのは大学2年生のとき。

 わたしが所属していたアジア研究会の会合にメンバーの友人として現れた東京農工大学4年生で、「マレーシアの国費留学生だから、工リートなんだよ」って紹介された。浅黒い健康そうな肌、育ちのよさそうな、それでいて知性を感じさせる表情、それに脚がながい、日本の男の子よりもずっとかっこいい。そう感じて、わたしは彼に自宅の電話番号を教えた。

 カマルディンくん、愛称、カマちやんは頻繁に電話をかけてきた。 
 
 そして、わたしをデートに誘った。彼はお金持ちだった。高級レストラン、ディズニーランド、映画のロードショー、いつも彼の財布から払ってくれた。「国費留学生なのに、なんでこんなにお金をもってるの」と不思議に思うわたしだったが、割り勘が常識の日本の男子大学生より紳士だと感動もした。

 とうぜん、愛を打ち明けられた。幾度も、幾度も、わたしを褒めたたえ、幸せを約束した。「女性はベールを被っていなきやいけない、外で仕事しちやあいけないとか、一夫多妻制度とか、イスラムのことは、よくわからない」というと、「きみ以外とは結婚しない。二人も三人も結婚するのは時代遅れだ。ぼくたちはモダーン・モスリムなんだ。男尊女卑なんておかしいよ。イスラムだって進化しているんだ。ぼくを信じて」と答えた。

 事情を知った友人たちは、「お父さんは通産省の役人で大金持ちらしい、“ダド”って称号をもらっているんだ」、「あいつのお父さん、高級官僚で、一代貴族らしいよ」って無責任にもけしかけた。「役人なのになんで貴族になれるの?」、「日本だって、元高級官僚や元大臣たちで勲章をもらって有り難がっているがいるじゃない。それと同じさ」と、友人は答えた。

 「お金持ちなのに国費留学生って、なんか変?」という質問には答えはなかった。けれど、「どうしよう」とわたしは迷った。「とにかく大学を卒業してからね」と結論を引き伸す作戦にでた。

 わたしの家ではお父さんもお母さんもお冠。

 「いくらお金持ちでもねえ」つて苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。 電話を受ける声がぶっきらほうでも、玄関先で挨拶する態度がけんもほろろでも、カマちやんは負けなかった。ハードルが高ければ高いほど燃えるのが恋とばかりに意気込んだ。あのときの執念がいまもカマちやんにあればねえという思いもあるけれどね。

 反対されてわたしも盛り上がってしまった。 
                  
 大学4年になったときに、
 「お父さんたちの世話にはならない」と言って、家を出た。「卒業する頃に迎えにくるからね」という言葉を残して、カマちやんはマレーシアに帰った。世話にならないと言ってはみたものの、現実は厳しく挫折。お父さんには内緒でお母さんに援助してもらい、友学をかろうじて卒業した。

 あのときにお母さんが援助してくれなかったらと思うと、現地採用の縁はなかった。

 わたしの人生ははるかに悲惨なものになっていたはずだ。海よりも深い母の恩をしみじみ感じている。1年後、わたしたちは結婚式を挙げた。

 マレーの伝統に沿って、ゴルフ場の宴会場に数百人のマレー人を集めて、にぎにぎしくきらびやかに行われた。お父さんはついにきてくれなかつた。

 現在のわたしを暗示するように、心の隅に暗雲のたちこめたマレーシア生活のスタートだった。
 
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