#03
やっとわたしも
キャリアウーマン
小田島小百合
 
 プ口トン・サガがマレーシアのトレンドだったころ、カマちやんはプロトン・サガの新車を購入した。
 「日産サニーの中古で十分だったのに‥‥。」

家計のことを考えると、車のローンの支払いに700リンギはつらい。ガソリン代、維持費、事故や故障、車関係の支出だけで1000リンギを軽く越えてしまう。

 「まったく、自分の給料が幾らだと思っているのよ?」
 「わたしが働らかなきや駄目かな?」と、思ってカマちやんにいったら、
 「駄目!」
 「日本では家計が苦しければ妻も働くのは常識よ。女が家にいなきゃいけないってのは時代遅れ。マレーシアだって、女性のほうがいきいきと働いているじゃない」、
 「それでも、駄目!」

 まったく、見栄ばっかり張って。そんなカッコつけてる場合じゃないでしょ。それじゃ、日本の中年親父と同じじゃない。

 そんな議論があって半年後、カマちやんが泣きそうな顔で帰宅した。見ると愛車プロトン・サガの後部が大破している。

 「ぶつけられた。相手が一方的に悪いんだ。ヤツの車はすごいポ口でエンジンルームまでこわれちやって・・・。金を払えっていったけど、どう見たって払えそうもないヤツなんだ。かわいそうだから、いいよ。俺は俺で直すからって勘弁してきちやった。」
 「なんで勘弁しちゃったのよ。わたしたちの家のどこに修理代があるの?自分の車にぶつけたヤツにいいカッコしたってなんの得があるの?どうしたらいいのよ。」
 「‥‥‥‥」
 泣きたいのはわたしのほうだった。
     
 これが最初のつまずきでした。

 このときはカマちやんのお父さんがお金を貸してくれたのでなんとか凌ぐことができたのですが、その3ケ月後、こんどはわたしが助手席にいるときに、駐車場でバックで車庫いれをしているときに、カマちやんがコンクリートの柱にこすって、左のドアがペコベコに。

 「きみが注意してくれなかったから‥‥」とカマちやん。「エー!わたしのせいなの?」とびっくり仰天。
どうして、自分のミスを認めないのよ。この調子じゃ、この前の事故の言い訳だってあやしいもんだわ。
 「もう、お父さんに頼めないよ。」とカマちやんはベニペコの車で通勤をはじめた。

 かわいそうになって、「わたしが働いていいというなら、わたしの実家に払ってもらうわ。」というと、「そうだね、それしかないね。」だって。

 というわけで「災い転じて福となす」、とばかりに求職活動をはじめた。とはいえ、思い通りにいかないのが世の常。求人のある企業はほとんどない。

 あっても、電話で大学はでたけれど実務経験なしというと、
 「うちは即戦力しか雇いませんから」でガチャン。
求職活動をはじめて4ヶ月目。カマちやんの知り合いが、クアラルンプールのAホテルで日本人の女性マネージャーを募集しているという情報をもってきた。

 さっそく、履歴書を送った。大学時代に1年間、都内の某有名ホテルのレストランでウエートレスのアルバイトをしていたのを思い出して、レストラン名は書かないで、某有名ホテルの接客サービスと書いておいた。うしろめたい気持ちはあったけれど、ウソじゃあないもん。

 そのおかげか、面接の日時を指定してきた。

 Aホテルの事務所の応接室で、イギリス人のジェネラルマネージャー(GM)と中国系マレーシア人女性のセールスマネージャーがわたしを面接した。

 「(東京の)某有名ホテルではどんな仕事をしていましたか?」 − 「玄関から入ってきたお客様を目的の場所にご案内したり、忙しいときにはチェックインのサポートもしていました。」
 ついついウソをついてしまった。
 「それじゃあ。ホテルのサービスを理解しているね?」
 「ええ」

 ホテルでもレストランでもデパートでも、日本にいれば、これでもかこれでもかとサービスを受ける。ありがた迷惑の過剰サービスもあるけれど、要は、サービスを受ける側、必要とする側の気持ちがわかればサービスは提供できる。わたしは英語でそう伝えた。
 採用するという連絡は翌日きた。

 「来月初めからきてください。 3ヶ月間研修してもらい、その間にワークパーミットをとって、正採用にします。」
 「ヤッター!ウソも方便。仕事でばん回すればいいんだ。」

 目の前がバラ色になった。          
本稿は日馬プレス第172号(2000年2月16日)に掲載されたものです。
 
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