#08
常識を超えた日本人
小田島小百合
 
 「あんた、俺のことを知らないのか?」
つるつる頭に顔中に髭を生やした60前後のおじさんが、いきなり大声で話しかけてきた。
 いるんですよ。マレーシアにいる日本人は、全員自分のことを知っているはずだと思い込んでいる日本人のおじさんが。
 こういう場合って、
 「申し訳ございません。失礼ですがどちら様ですか」って丁重にお聞きするしかないのよね。
 「ぼくはねえ‥‥」
きた、きた、きた。俺からぼくへ、そしてわたしへと人称代名詞が変わる人は要注意だ。何か魂胆があるにきまってる。
 「マレーシアで20年以上ピジネスをやっているんだよ。政府のお偉いさんやスルタン・ファミリーとも親しいし、○○大臣のダト・ハチャメチャとは家族付き合いしている。ほら」。
やおら、アタッシュケースをあけて書類の間に挟まっていた薄いフレームにいれられた写真をとりだして、わたしの目の前においた。
 そこには地元紙でよくみる顔があった。
 その大臣とにこやかに握手をしているのがこのおじさん。
 いっけね―、名前を聞いてなかった。
 これで何人目かしら、この国のスルタンやそのファミリー、政治家だとか高級官僚と一緒に撮った写真を後生大事に持ち歩いている人を見るのは‥‥。
 「すごいんですねえ。こんな偉い方とお友達なんですか。あの〜。申し訳ありませんが、お名剌をいただけませんでしょうか」と、思わず屑をすぼめてもみ手をしながらたずねた。
おじさんの目がギラりと光って、前屈みになったわたしの豊かな胸元にそそがれた。
 このすけべ親父。お前なんかにわたしの魅力的なものを見せてたまるか。
 カマちやん以外には、誰にも見せてやらないって神様に誓ったんだから。
 おじさんが名刺をくれた。  
   大日本ビジネス・コンサルタントSDN.BHD.
   会長 大掘築造             
 金色文字が浮かび上がっている。
 やっぱり、予想通り霊長類烏科鷺類の人種だったんだ。
 名刺の名前を見て思い出したのね。
 こういう名前の日本人には気をつけろというGホテルのSさんの忠告を‥‥。
 そのりスト中に「おおぼら・つくぞう」という名前も燦然と輝いていた。
 「名刺もね。この人達のは燦然と金色や銀色に輝いているんだよ。彼等は見掛けと舞台で勝負だから、ホテルをよく利用するんだよ」、Sさんのアドバイスも思い出した。
 
ブラックリスト第一号
 「あっ、お名前はうかがっています。マレーシアで10年以上ご活躍になっていらっしゃるんですね」と、無難にきり抜けようとしたら、
 「10年じゃない、20年だよ。あんたら知らんだろうが、20年前はKLにはまともなホテルは2軒しかなかった。ぼくがきて暫くしてできたのがマンチェスター・ホテルだよ。もう老舗になってるけどね。当時、ぼくの仕事の関係者をずいふん送り込んでやったもんさ」、
 「ヘ一。マンチェスター・ホテルの功労者なんですね。すばらしいですね」とそつなく答えた。
 旅行業界ではおおぼら氏はブラックリストの日本人第一号になっているらしい。
マンチェスター・ホテルでも出入り禁止になっていると聞いたことがある。
 「ところで、ぼくのビジネスの客が日本から10人単位の団体で何度かくることになっているんだけど、コーポレート料金をだしてもらえるかね」。
 きた、きた、きた。
 初めの一度か2度は前金とか、お客様の到着時に払っておいて信用をつけると、それから先はツケ。
 一度ツケたら支払いは天のみぞ知る。
 この手で泣かされたホテルは実に多い。
 すっかり更生してホテルの人気者になっている「ケンケン」ことヤクザの犬山さんも同じパターンだった。
 とはいえ、これはわたしの仕事ではない。
 「私の管轄ではありませんので、営業の人間をご紹介します。そちらとお話しいただけますか。ソファーにおかけになってお待ち下さい」とソファーの方向に手の平を向けた。
「なんだ。お前じゃできんのか」と、おおばら氏は胸を張り、頭を光らせ、髭をなぜながら、肩を揺すってソファーの方に歩いて行った。
 おおぼら氏の自信満々の動作の最後に、束の間、失望したような寂しげな表情があったことをわたしは見逃さなかった。
 
消えたおおぼら氏
 わたじは事務所に行って、おおぼら氏、いけない大堀築造氏の意向を営業の若手スタッフのスージーに話した。スージーは即座にジェネラル・マネージャー(GM)に報告した。
GMは、
「まず、宿泊の日程をお聞きしなさい。そして、コンピューターで検索するふりをして、残念ながら、その期間は予約でふさがっております、と言ってお断りしてください。それで、十分に彼は理解すると思いますよ」と指示してくれた。
 わたしとスージーはロビーに戻り、ソファーに座っているはずのおおぼら氏を探した。
おおぼら氏の姿は影も形もなく消えていた。
 「何なの、あの人」、わたしの独り言に、
 「自分が信用されていないということを知っているのよ。だから、わたしたちのような業界の知識に乏しい若いスタッフに狙いをつけるのよ」とスージーが応じた。
 
ハッピーとアンハッピー
 早速、GホテルのSさんに報告した。
 「きました。おおぼらさんが‥‥。でも、GMと話している間にいなくなっちやいました」。
 「やっぱりね。比較的新しいホテルの見るからに来たばっかりの日本人スタッフが狙われるんだよね。古くからあるホテルや在マ歴の長い人ならみんな知っているからね。誰だって、恥はかきたくないからね。消える気持ちもわかるよ。あの人、見掛けは豪放磊落なんだけど、実際は臆病で気が小さいみたいだよ。そういう意味では悪い人ではないんだけどね」、Sさんは合点がいったという感じで答えた。
 そうか。
 「あんた、俺のことを知らないのか?」という意表を突いた問い掛けの裏には、自分の掌中で転がすことができる人かどうかを試す意味があったんだ。
 冷静に考えれば、この国で20年もピジネスをしていて、知らない日本人がいないほどいい意味で有名だったり、この国の偉い人とほんとうに親しくしているんだったら、わたしなんかにコーポレート料金がどうのこうのなんて言ってくるはずがないじゃない。
 きっと、ピジネスで成功した日本人として有名になっているはずだし、大金持ちになっているはずよね。
 マレーシアにきてから、このホテルで働くようになってずいふん偉い人と会って、この前なんか、人気の女性政治家に話しかけられちやってびっくりしたこともあった。
女性政治家がわたしと話しているときに新聞社のカメラマンが、「写真を撮らせてください」と声をかけたら、わたしの肩に手をかけてカメラに向かってポーズをとって ニッコリ微笑んで、わたしにもポーズをとれって言ってるんだもの、びっくり。
 気さくでチャーミングな女性政治家とのツーショットは、軟派志向のカメラマンの好意で焼き増しされてわたしの家に飾ってある。
 この国では、日本では考えられないように人と会うことができるのが、ペーリー・ハッピー。
 でも、逆に、日本では考えられないような、常識を超えた日本人と会ってしまうのは、ベーリー・アンハッピー。
本稿は日馬プレス第177号(2000年5月1日)に掲載されたものです
 
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