#26-b
勉強がきらいな
日本語学校の
先生のお話 
小田島小百合
 
◆ ハジャイの恋の物語
 勉強嫌いの長洲藍さんのことを書いたら、ある日本人学校の子供向けの学習塾で働いている友人の咲山みゆきさんが「もっとおもしろいというか、不気味な人がいたよ」と教えてくれた。

 S県(埼玉県、静岡県、滋賀県、佐賀県のうちのどれかで、サッカーが強い県らしい)で20年間も中学校の教師をしていた小平徹という四十代の男性が咲山さんの学習塾の求人広告を見てインタビューにやってきたと言うのがことのはじまりね。教員資格があって教員として20年の実績もある。学習塾からしてみると、のどから手が出るほどほしい人材。でも、何となく、ぶくぶくっとしてぼわっとして、精気というか情熱のようなものが感じられなかったこともあって、学習塾の経営者の野々村先生は「二十年も公立中学で働いてきて、このまま定年まで勤めれば安定した人生が送れるじゃあありませんか。四十代の男性に人生を預けられても、学習塾では責任を負いきれません」といってあきらめるように促したんですって。そうしたら小平先生ったら「もう上司にはやめてマレーシアに行くってことで了解してもらっています」って答えたらしいの。「これは相当な覚悟と、やる気があるんだな」と思い直してしまったということらしいわ。

 野々村先生が断れなかったのには、もうひとつ理由があって、数年前に日本人学校の先生だった人が「うちの親戚の子なんだ」と電話をかけてきたこと。「よろしく頼むよ」と言われて断れなくなってしまったというのが本心らしい。でも、この元日本人学校の先生も、親戚の小平先生の潜在能力というか、不思議な人生観、思考回路には気がつかなかったらしい。

 「20年やってきた教員生活を辞めて来たいっていうのを駄目というのは、ちょっとできないんだよ」と野々村先生は複雑な心境だったらしいわ。生徒たちや独身の女性教師たちは、やがてやってくる、まだ見ぬ男性教師に期待したみたいだったけど、「男性としての魅力はないと思うよ」と野々村先生はくぎをさしていた。

 「なんかおかしい」と、一目見て咲山さんは感じたらしいの。男性の中学校の先生って、兄貴分のようであり、父親の代わりのようでもあり、元気があって、よくも悪くも生徒と一緒にもりあがったりして、大なり小なり魅力があるものなのだけど、野々村先生の感じた「ぶくぶくっとしてぼわっとした」感じそのままで、誰も声をかけないとじーっと永久に黙っていそうな雰囲気だったらしい。これには先生たちも生徒たちもがっくりダウン。

 でも、少し余分に時間がかかるけど、言われたことを言われたとおりに確実にこなしていく。教え方にもそつがないし、マニュアルどおりって感じ。「さすが中学教師20年の実績」と感心はしたらしいけど。塾として期待していたのは、20年やってきた中学校での指導方法や学校方針に合わなくて、自分の考えややり方で積極的に子供たちを引っ張っていってくれることだったの。公立の中学校ではできなかった自分の理想の教育をしたいのだろうと誰もが信じていた。ああ、それなのに。

 住まいを探すのに、「みんなの意見を参考にして探すといいよ」と野々村先生が言ったのに、「大丈夫です。自分で探します」って言って、自分で住まいを見つけたらしい。「でも、ABCホテルらしいよ」という噂が聞こえてきた。そのうちに、「バングサに住んでいる」と言い出した。「居場所をはっきりしてもらわないと、困るんだけど」と野々村先生がぼやいていたらしいわ。

 「さすが野々村先生」と咲山さんが感心したのは、小平先生が滞在していたというホテルに行って、長期滞在をしている常連客から小平情報をあつめてきたから。野々村諜報員の報告によると、どうやら小平先生はセクシーな容貌と奔放な行動でクアラルンプールで、数年前に名前をとどろかせた女性を頼っているらしい。わたしは会ったことはないけど、日本企業のおじ様たちのアイドルだったらしいの。彼女が紹介したもう一人の妖艶な女性が借りていたバングサのコンドミニアムの一室を又借り、つまり、妖艶女の賃貸契約を引き継いだらしいというのだ。どういう関係かについては謎につつまれているが、「彼女なら、何があっても不思議はないよね」というのが、聞き込みに答えてくれた人々の証言だったらしい。「でもねえ。いくらなんでも小平先生じゃあねえ。やだぁ。気持ちワルーっ」というのが小平先生を除く、学習塾教師一同の意見だった。わたしの推測では、たぶん、職場ではドンくさ、夜になるとちょっと垢抜けした渋めの若めの中年おじさんかもしれないでしょう。

 さすがに責任者の野々村先生は小平先生の親戚の先生に宛ててメールを送って、注意を促したらしいわ。そうしたら、数日後、突然、「今日でやめます。新しい人生を見つけましたから、そっちで生活します」と言って、「ぼくはビザもないし。パートタイムでしょ。いつやめても問題ないですよね」と言ってすたすた、全員、きょとんとして見送ったと言うわ。

 「無責任なやつだ」と野々村先生は親戚の先生に怒りのメールを送ったらしいの。そうしたら、「(小平先生に聞いたら)塾ではビザも撮ってくれないし、給料も満足にくれない。不安定でしかたがない」といっていた。「しかたがないから、やめる」と言っていたらしい。咲山さんも「無責任よね」って怒り狂っていた。

 「面接にきたときに、塾の先生はビザをとるのに時間がかかる。場合によっては半年も1年もかかることもあるって、ちょっともったいをつけて言っていたんだけどね。それに、給料だって安いし、支払いが遅れることがあるって言っておいたんだけどな」と野々村先生はぼやくことしきりだったらしいわ。
 
◆ 体験記?フィクション?どっちにしてもつまらない
 この話は,あっという間に塾業界に広まって、ある日、南タイのハジャイについて調べていた某塾の先生が、「これって小平先生のホームページなんじゃないの」って野々村先生に電話をしてきた。それからが大騒動。このホームページは、ある中年になりかかった日本人男性のホームページを発見した。「これって、自分の体験記なのかなあ?それとも。小説のつもりなのかなあ?」。「小平先生の新しい人生ってこれだったのね。小説家にでもなりたかったのかしら。それとも」。みんなで首をひねったらしいわ。

 それを聞いてわたしもさっそく、Googleで「ハジャイ」で検索して、ちょっとあやしそうなサイト“Phop Kan May”というのを「これかな?」ってのぞいてみたの。そしたら、そのホームページの読者からの投稿コーナーにちょっと気どったタイトルがあったの。そこをクリックしてみたら、なーんだ、タイの売春婦に恋をした中年初期の日本の男の物語じゃない。こんな話を理性的な文章で書き綴るなんて、いかにも学校の先生の感覚だわ。若くてかわいい売春婦に惚れた先生は、売春婦の笑顔や自分への献身を愛情だと錯覚した。きっと、そこに、日本では四十をすぎるまでついに感じることがなかった自分に向けた真実の愛だと信じたんでしょうね。学習塾の先生の一人が「タイの売春婦なんて、二日もつづけて指名してやれば、何でも言うことをきいてくれるし、尽くしてくれる。恋人みたいに昼間にデートだってしてくれる。でもなあ。それはその男を愛しているんじゃないんだよな。男の財布の中に入っている日本円を愛しているんだよな。厳しい両親に期待されて育った、まじめに生きてきた、引っ込み思案の男が陥りやすいんだよな。自分がもてているのがうれしくて、舞い上がっているんだろうな。女性の写真だけじゃなくて、ぼかしがはいっているけど自分の写真ものせてるのは、みんなに見てほしいんじゃあないかな」と言っていたらしいわ。

 咲山先生とふたりで、「でもねえ。それをホームページにするかしら。気持ちわるー!」って肩をすぼめたわ。「体験記かしら、フィクションかしら。どっちにしても、他人が読んで面白いという文章じゃあないわ。中途半端よね」ということでチョン。

 だって、売春婦との恋で自分の人生が破滅に向かっていったとか、売春組織の親玉と命がけで交渉して身請けして、自分の両親や親類縁者を説得して結婚したとか、その過程で女性に逃げられた。女性には夫や子供がいたというどんでん返しがあるほうがおもしろいじゃない。売春婦に惚れてかよっているうちに麻薬を覚えてしまったとか、エイズのキャリアの売春婦との純愛物語とか、気がついたら自分もエイズに感染していたとか、非日常的ないろいろな展開がないとおもしろくないじゃない。きれいごとでさ、上品な作品にしようとしても、題材が題材ですからね。つまらないわ。

 小平先生って、S県の中学校で教諭をしていたんでしょ。こんなのを生徒や卒業生、保護者たちが見たらなんて思うでしょうね。S県の中学生のお父さんお母さんたちは、自分の子供を公立中学にやるのはやめたくなるんじゃない。
 
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