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| 「Tun
Faimah」 |
| 国際交流基金 滝口
健 |
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前回は中華系劇団の活動についてご紹介しましたが、今回はマレーシア演劇のもう一方の雄であるマレー演劇について書きたいと思います。お題は国立劇場(Istana
Budaya)で7月9日〜18日に上演された「Bangsawan Tun Fatimah」です。
「Bangsawan」とは、マレーシアの伝統的な大衆演劇のことです。マレーシアの伝統芸能といえば、ワヤン・クリ(影絵芝居)やマ・ヨン(舞踊)などが有名ですが、これらはコミュニティに根付いた芸能であり、都会の劇場などで上演されるものはやはり「本物」とはかなり違ったものになってしまいます。これに対し、当初から都市をベースに始まったバングサワンは、街に住む我々にとってはもっとも親しみやすく、また観る機会も多い芸能であるといえるでしょう。
その歴史をRoutledge社刊「The World Encyclopedia of Contemporary Theatre」を元に簡単にさらってみましょう。バングサワンは19世紀終わりにペナンで始まったといわれています。20世紀にはいると、英領マラヤの至る所で劇団が組織されるようになり、バングサワンは大衆娯楽の王者として黄金時代を迎えます。当初はインドやアラブの物語の翻案が主であった題材にも、マレーや中国の物語が取り入れられるようになり、レパートリーが大幅に拡大されました。しかし、第二次世界大戦時の日本軍によるマラヤの占領により、バングサワンも退潮を余儀なくされます。戦争が終わっても、マラヤ連邦の独立やマラヤ共産党の台頭、非常事態宣言の発令など、政治的な混乱が続いたことにより、劇団の数は減り続け、非常事態宣言が解除された1960年代にはプロの劇団は全く存在しないという状態にまで陥ったのです。しかも、1963年にはマレーシア初のテレビ放送が開始されるなど、大衆娯楽としてのバングサワンはかつての栄光を取り戻すことはありませんでした。
しかしながら、1990年代になると、マレーシア政府は文化事業に本腰を入れて取り組み始めます。国立芸術アカデミーの開校、国立実験劇場の開設に続き、99年に国立劇場がオープンしたことはきわめて大きな意味があったといえるでしょう。国立劇場は独自の予算を持ち、バングサワンの公演をプロデュースするようになったからです。ブミプトラ政策の元で集中的に国の資金が注入された結果、バングサワンをはじめとするマレー語劇は他の言語の劇団に比べ、予算的にはもっとも余裕があるといえるでしょう。
「Tun Fatimah」も、そうした国立劇場の努力の一環といえるでしょう。今回は、若手の俳優を大胆に起用し、大編成の生演奏を組み合わせるという意欲的な舞台でした。こうしたバングサワンのリバイバルの動きは、今後も引き続き進められていくと思われます。
一昨年、バングサワンについてはおもしろい動きがありました。日本の歌舞伎がどのように保存・上演されているかを調査するため、国民芸術賞受賞者でもあるDato'
Syed Alwiが当時の芸術文化観光省(現芸術文化遺産省)によって日本に派遣され、日本の国立劇場や歌舞伎座の関係者と協議したのです。大衆の娯楽として都市に成立したという点で、確かにバングサワンと歌舞伎には共通点があるのかもしれません。そして、困難な時期を乗り越え、若者にも再び訴えかけるようになった歌舞伎の姿に、バングサワンの将来を重ねているようにも思えます。このときの派遣の直接の目的であったバングサワン劇団の創設には未だに至っていませんが、これからどのような進展があるか、要注目です。 |
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<本稿は日馬プレス第279号(2004年8月1日)に掲載されたものです。> |
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