「一人芝居二題」
国際交流基金 滝口 健
 
 一口に芝居といっても、その規模は千差万別です。大掛かりなものになると、エキストラも含めて100人近い役者が出演するようなものもあります。その逆に、非常に少人数でおこなわれる公演も少なくありません。なかでも、一人の役者だけでおこなわれる一人芝居(モノドラマ)は、その究極であるといえるかもしれません。大金を投じ、壮大な装置を組んで多数の役者を使うものよりも、最小限の装置で一人で演じるものの方が心を揺さぶることもあります。これも芝居の妙味といえるでしょう。
 私がクアラルンプールに来た1999年ごろは、一人芝居が多く上演されていました。当時、若い才能として注目を集めていたHuzir Sulaimanが多くの一人芝居の新作を発表していたのもこのころです。彼の代表作となった「Atomic Jaya」や「The Smell of Language」が高い評価を受けていました。98年にはアジア・モノドラマ・フェスティバルがマレーシアで開催されたこともあり、この時期がマレーシアの一人芝居がもっとも活発だったということができるかもしれません。
 
 この8月は、こうした全盛期を思い出させる一人芝居が立て続けに上演されました。言語・図書局(Dewan Bahasa dan Pustaka)内のStor Theatreで上演されたNam Ronの「Lembu / Matderihkoloperlih」と、The Actors Studioで上演されたThor Kah Hoongの「Brickfields... Now & Then」です。
 「Matderihkoloperlih」は、昨年12月にシンガポールの劇団、Theatre Ekamatraが開催したマレー語によるモノドラマ・フェスティバルにおいて初演されました。
 
 前回はNam Ron自身が出演していたのですが、今回はMd. Eyzendy bin Azizが出演しました。「Lembu」は今回が初演となります。政治家が村祭りのために用意した生贄用の牛が行方不明に。村中が大騒ぎになる中、一組のカップルが捕まります。
 牛はどうなったのか?彼らはなぜ牛を隠したのか?という物語。出演したShahrul Mizad bin Ashariは、女性役を含む5〜6役を一人で演じわける大奮闘でした。
 一人でいくつものキャラクターを演じ分ける場合、あまり似ていると観客が見分けがつきませんし、あまりわざとらしく演じ分けるとうそ臭くなってしまいます。彼は、そのギリギリのところを非常に説得力のある演技で演じ分けていて、なおかつ全体として「村」のコミュニティの感覚を背後に浮かび上がらせるという、出色の演技を見せていました。
 
 作家であり、書店の店主でもあるThor Kah Hoongは、劇場で見かけることはあまりありません。しかし、KLのブリックフィールズ地区で育った彼の子供時代を5つの小品に仕立てた自伝的作品、「Brickfields... Now & Then」は、日本人にさえ郷愁を感じさせる「Good Old Days」を描いて秀逸でした。彼が演じるのは「自分自身」です。ただし、40年前の。椅子が一つだけおいてあるだけの、シンプル極まりない舞台ですが、町の雑踏が、そして子供たちの声が確かに感じられる舞台でした。
 使われている言葉も、演出のスタイルも異なる2つの作品が、観客の想像力を頼りに無限の広がりを作り出すことができる、一人芝居の可能性を見せてくれたように思いました。
 
 
<本稿は日馬プレス第281号(2004年9月1日)に掲載されたものです。>
     
 
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