追 悼
Krishen Jit
 
 「一つの時代が終わったのよ。」妻であり、Five Arts Centreの共同創設者であるMarion D'Cruzはいいました。
 「これから僕たちはどうすればいいんだろう。彼はマレーシア演劇のほとんどすべてだったじゃないか。」マレーシアを代表する舞台照明家であるMac Chanはいいました。
 「僕は本当に幸せだった。Krishenとこんなに一緒に仕事ができた人間はそうはいない。」シンガポールから駆けつけた劇作家・演出家・俳優、Huzir Sulaimanはいいました。

 今、マレーシアの演劇界は深い悲しみの中にあります。マレーシアで最も尊敬されていた演劇人、Krishen Jitが亡くなった4月28日の木曜日の夜、お通夜の席にはクアラルンプールはもとより、遠くシンガポールからも多くの演劇人が駆けつけ、彼の早すぎる死を悼みました。

 Krishenは演出家であり、批評家であり、活動家でした。また、マレーシアで演劇を志す者にとっては父であり、教師であり、友人でもありました。

 信念のためには戦いを辞さない人でもありました。国立芸術アカデミーが創設された際、初代の演劇科の学科長に就任したのはKrishenでした。しかし、運営体制が変わり、官僚的な運営方針が打ち出されると、それに反対して敢然と職を辞したのです。昨年、Huzir Sulaimanの「Election Day」を上演した際には、クアラルンプール市役所の検閲局と最後まで戦い続けたことは忘れられません。

 Krishenは、今年65歳という、マレーシア演劇界では最年長と呼んでいい演出家でありながら、その死の間際まで、最も活動的な演出家であり続けました。そして、彼の作り出す作品は、マレーシアで最も刺激的・挑発的なものでした。彼の最後の演出作品となった「Monkey Business」(3月31日〜4月2日、Actors Studio Bangsar)では、通し稽古直前に入院した彼に代わり、数名の若い演出家に作品の最後の仕上げが委ねられました。その一人、Zahim Albakriは稽古場で作品を観て「一体これをどうすりゃいいんだと思った」のだそうです。でも、一見バラバラに見える各パートも、もう一人の演出家、Lim How Ngeanが気づいたように、「設計図はすべてできていたんだ。僕らがやったのはそれを組み合わせることだけだった」のです。この作品は、ガムラン奏者を演劇の中に取り込み、舞台の中でコンサートが構築されていくという、極めて特異な構成になっていました。「これまでとあまりにも違うので、私たち自身でさえもどうとらえていいのかよく理解していないのよ」とは、初日公演を終えた直後のグループリーダー、Sunetra Fernandoの言葉です。Krishenの頭の中は本当にぶっ飛んでいました。

 Krishenはまた、若い世代を育てた人でもあります。しかし、それは頭ごなしの「教育」によってなされたのではありませんでした。30日におこなわれた彼の葬儀でスピーチした2人のうちの一人はまだ20代前半のMark Tehでした。年齢に関係なく、一人一人の考え、意志を認めながら友人としてともに作品を作っていく。Krishenの自由な魂は、偏狭なヒエラルキーとは無縁でした。彼の志は、こうした若い世代に確実に受け継がれることでしょう。
 Krishenが我々日本人に残した言葉があります。1994年の「Three Children」という作品の日本上演に関して書かれた文章の末尾にはこう記されていました。「我々がこのツアーの中で理解したのは、日本の演劇界の規模が圧倒的に異なるということだった。しかし、芸術的な衝動によって喚起される社会的な影響ということで言えば、日本のそれはマレーシアを含む東南アジアの演劇が背負った重荷と全く異なるものではないし、切り離して考えることができるものでもない・・・しかし、現状では交流は一方通行になっている。我々の現代演劇は日本で紹介され始めているのに対し、日本の舞台が我々の国で紹介されることは極めて稀である。我々は、たとえ短期間であっても日本に滞在し、日本について学んだ。日本人も我々の演劇を観ることによって我々について知ることができるのではないだろうか。しかし、日本人がこの地域についてより深い知識を得ることができる方法がある。それは、彼らの現代演劇が東南アジアにおいてある地位を占めることができるように努めることである。」

 それから10年がたちました。日本の現代舞台芸術作品は、数は決して多くはありませんが、コンスタントに紹介されるようになってきています。いくつかの共同制作により、「東南アジアにおいてある地位を占めることができるように努める」試みもおこなわれてきました。Krishenは、これに満足してくれていたのでしょうか。それとも、「まだまだ」と思っていたのでしょうか。たずねる機会は永遠に失われました。今は彼の冥福を祈るばかりです。


”Election Day”より
 
<本稿は日馬プレス第298号(2005年5月16日)に掲載されたものです。>
 
◆ 関連ニュース:マレーシア演劇界の重鎮 Krishen Jit死去 2005年5月6日
 
 
 
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