「手作り」のフェスティバル〜
Malaysia Dance Festival 2005
国際交流基金 滝口 健
 
 マレーシアでは、2年に一度、ダンスの祭典が開かれます。マレーシアの主だった舞踊家たちが結成したMyDance Allianceが企画・運営するMyDance Festivalがそれです。2001年に第1回のフェスティバルを開催した後、2003年にはより規模を拡大した形で成功を収め、マレーシアの舞台芸術ではほぼ唯一といってよい本格的なフェスティバルとして認知されるようになりました。マレーシアを代表する舞踊家、振付家の作品の発表の場としてだけではなく、国立芸術アカデミーの学生をはじめとする、若い才能のショウケースの場としても機能してきたこのフェスティバルは、しかし、アーティストがボランティアで運営に駆け回るなど、「手作り」という印象が強い、親しみの持てるフェスティバルでもあったのです。
 3回目を迎えた今年は、かなりの変更がおこなわれていました。まず、フェスティバルの名称が「Malaysia Dance Festival」となり、期間も2週間に延長されています。また、海外のアーティストとの共同制作作品2作品がこのフェスティバルのために制作され、併催されたアジア大洋州地域の舞踊に関するコンファレンス(現在、MyDance Allianceは世界ダンス協会アジア大洋州地域部会の事務局を担当しています)も、国内はもとよりASEAN諸国、オーストラリア、台湾、インド、アメリカなど世界各国から40名近くのパネリストを招いて3日間にわたって開催される大規模なものとなりました。

 こうした変更・拡大の最も大きな理由は、今回から芸術・文化・遺産省が全面的にバックアップをおこない、潤沢な資金的な支援が得られたことがあげられます。芸術・文化・遺産省は昨年の発足以来、助成プログラムによるアーティスト支援を開始するなど、マレーシアの芸術全体の底上げに真剣に取り組んでいます。これは、ともすれば観光に特化しがちであった以前の芸術文化観光省時代とは明らかに異なる、非常に前向きな進展です。
 また、会場となったKuala Lumpur Performing Arts Centre(KLPAC)も積極的に支援をおこない、KLPAC内の2つの劇場だけではなく、スタジオや会議室など、様々な施設を提供しました。「シアター・コンプレックス」としてのKLPACの機能が、初めて十分に発揮されたといえるでしょう。

 フェスティバルの開会式の翌日からは、日本の舞踏家、室伏 鴻氏とマレーシアの舞踏家集団、Nyoba Dance+との共同制作作品、「Phoenix Rises」が上演されました。国際交流基金も協力させていただいたこの作品の制作にあたっては、室伏氏が約1ヶ月にわたってマレーシアに滞在し、Nyobaとのコラボレーションを続けてきました。彼らの出会いは、2003年にマレーシア舞台技術者協会と国際交流基金が共催した舞台技術ワークショップで、いわば舞台技術実習のための素材として共演したことにさかのぼりますが、今回はその際に形作られた関係が作品として昇華することになりました。
    写真提供:Nyoba Dance+

 フェスティバルは大きく、複雑になりました。しかし、こうした素敵な出会いが根本にあり、そこから様々なものが生まれていくことには何ら変わりがありません。ボランティアで走り回るアーティストたちの姿も以前と変わっていません。芸術文化観光省のプレゼンスが大きくなることにより、管理が厳しくなることへの不安も確かに聞かれます(終演後、全員が起立して国家を斉唱することが強制されたことへの戸惑いを述べるアーティストもいました)。しかし、アーティスト自身による「手作り」の感覚が失われることがなければ、このフェスティバルの魅力はあせることがないだろうと思うのです。
 
<本稿は日馬プレス第302号(2005年7月16日)に掲載されたものです。>
     
 
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