一番大切な情報に耳を貸さない
ロングスティ族
 
渡邊 明彦

 海外旅行の基本は「安全に、無理をせず、たのしい旅行を」だ。中高年を対象としたロングスティも同じだ。
 そして、目的となる国それぞれに、ロングスティについてのセミナーが行われている。セミナーの中では当然、安全に暮らすための情報も含まれているのだが、ほとんどの参加者は関心を持たないという。一部に「マレーシアはもっとも安全な国のひとつ」という情報が流れていて、「日本と同じくらい安全な国」と信じきっている人が多いらしい。また、ほとんどの人は50年、60年の人生で引ったくりや集団スリ、強盗にあった経験をもたない。だから、ピンとこないのか、自分だけは大丈夫と信じきっているのか、「注意してくださいね」というネガティブな情報には耳を貸そうとしないらしい。
 マレーシアには一万人近い在留邦人がいる。その大半は企業や団体の駐在員とその家族だ。マレーシアの人と結婚した人、マレーシアで企業に就職した人、語学学校や大学に通っている人、そして、ロングスティをしている人たちがいる。半年以上マレーシアで生活している人たちの大多数は、とくに「引ったくり」と「いかさま賭博」には慎重だし、「集団スリ」や「強盗」などに対する警戒意識をつよく持っている。「友人の友人がやられた」、「知人の奥さんがやられた」などという情報がいやでも耳に入るからだ。
 そして、海外で生活している人のほとんどは、そうした犯罪の被害者となった人たちに同情しない。わたしたちはロングスティの人たちが事件に巻き込まれても、「あの人たちは、海外の生活を馬鹿にしている。自分たちこそ、世間知らず、海外知らずの大馬鹿者だということに気がつかない。痛い目にあったほうがいい」と思っている。「どうせ、注意しても無駄だから」で注意する気にもならない。ロングスティのおじさんおばさんたちが耳を傾けなかった、あるいは聞き流してしまった情報は、海外で生活する人、海外を旅行する人の基本なのだと誰もが思っているからだ。

  マレーシアは世界中におよそ200カ国ある国の中で、安全という面ではトップクラスだろう。町を歩いていて、タクシーに乗っていて、いきなり拳銃やナイフを突きつけられたり、とくには銃撃されたり刺されて死傷するようなことはない。また、爆弾テロが仕掛けられて巻き添えになることもない。反政府デモも滅多にないし、デモが暴徒化して一般の人々に危害を与えるなんて考えられない。
 わたしたち、この国で生活している人たちは、どういう場所で、どういう人たちが、どういう風に危害を食らえてくるか予想して、精神的に身構えている。ロングスティでやってくる人たちも、日本にいるときは、危険な場所を知っているし、メディアを通じてさまざまな犯罪情報をもっていて、それぞれが本能的に身を守ろうとしている。例えば、ピッキングという窃盗が頻発すれば、さまざまな防衛機器を設置する。凶暴そうな若者のグループがたむろしていれば、遠回りしたり、視線を合わせないようにしている。日本でもしていた「犯罪に遭わない工夫」を海外に出ると忘れてしまうのだろう。
 わたしたちは、「一ヶ月も働かなくても手にすることができる、5万円、10万円を奪って、警察に捕まり、一生を棒にふるような馬鹿な奴はいない」と思っている。ところが、不法入国、不法滞在の外国人たちが、そうした常識を壊している。日本人の犯罪者のように「おとなしくしろ。声を立てるな」とか「手を上げろ」なんて警告をしないで、いきなりブスリ、いきなりズドンで命を奪う人たちがふえている。発展途上国には、5万円、10万円がほしくて殺し屋を引き受ける人たちがいる。そういう連中を利用する日本人もいる。そうしたことはメディア情報で分かっているのに、そういう非情な人たちは海外にはいないと思っているのだろうか。
 マレーシアでは、「いきなりブスリ」も「いきなりズドン」もない。「いきなりドカン」もない。そういった凶悪犯罪はマレーシアにはほとんどない。わたしがマレーシアにいる16年間に、わたしが知っているだけで日本人が3名殺された。3名とも女性だが、どの事件にも多かれ少なかれ日本人がからんでいたとわたしは信じている。マレーシア人だけで完結した日本人がらみの殺人事件はない。
 経済が高度に成長しているときには格差が生まれる。国民の間の格差もあれば、近隣諸国との格差も生まれる。成長に乗り遅れた人たち、落ちこぼれた人たちがマレーシアにも大勢いる。近隣諸国にも大勢いる。「豊かな人たちは貧しい人たちに喜捨をするのが当たり前」と信じている人たちもいれば、豊かな人たちから富を奪うのは「富の再配分」だという発想をする人も多い。彼らは罪の意識をもっていない。金を借りても返さなくてもいいと信じている人たちも多い。価値観が違うのだ。日本人のもっている価値観は、日本人だけのもので、海外では通用しない。
 我々の世代、日本が戦争に敗れ、軍国主義、帝国主義から一転して、民主主義、人権尊重、自由主義社会となった。「心を開いて話し合えば、理解し合える」とか「人類はみな平等」、「職業に貴賎はない」、「周囲の人のことを思いやる気持ちがたいせつ」などという教育を受けてきた。「性善説」がみに染みついている。身に染みついた価値観とは異質な人たちが目の前に現れると、簡単にだまされてしまう。「ふりこめ詐欺」もそうだし、高利周りの投資話にものってしまう。

 16年間マレーシアに住んで、実感として犯罪がふえたと感じている。引ったくりも、二人乗りのバイクの後ろに乗った男が、単純にセカンドバッグ、ハンドバッグをひったくるだけだった。次にショルダーバッグがひったくられるようになった。被害者は転がり、引きづられ、上体に怪我をするケースがふえた。コンクリートの路面に頭を打ちつけて、脳に重傷を負うケースもでてきた。この頃までは被害者の大半は女性だった。もちろん、日本人女性も数多くいた。最近では、ヘルメットを手にもって、前を歩いている男性の後頭部にぶつけ昏倒させ、バッグ類を奪っていく手口も出てきた。男性も、引ったくりのターゲットになった。
 最近、引ったくりが多いのは、日本人のロングスティのおじさんやおばさんがよく歩いている、クアラルンプール日本人会から出て、メガモールに向かうあたりだ。どうみても、日本人の中高年の男女が、無防備で歩いているのをみると「危ないな」と思うことが多い。でも、少なくともわたしは「馬鹿だな。引ったくりにあっても、狙ってくれという風に見えるあんたたちが悪いんだ」と思ってやりすごす。どうせ、注意しても聞かない人たちだし、おまけにわたしは声が出ない。
 「いかさま賭博」は手口が年を追って巧妙化している。引き込み役がかわいい女性だったり、稀に日本人の引き込み役がいると聞いた。数年前までは、20代の一見バックぱっカー風(自分ではそう思っている)の男女がだまされている。一人旅の若い女性がやられたこともあった。一人旅の若い女性が、初めて来た国の初めて歩いた街で、知らない人に声をかけられて、知らない場所についていく。欧米(オーストラリアを含む)や中東でそんなことをしたら、最低でもレイプされ、悪くすれば売り飛ばされ、最悪の場合は殺される。それでも、同情されることはない。「馬鹿ねえ」で終わりだ。「いかさま賭博」のターゲットはロングスティの中高年にも広がっていると思うほうがいい。何しろ、世界で一番だましやすい人たちであることは、世界中の人が知っているからだ。
 「集団スリ」もふえている。十年位前までは、ホテルからショッピングセンターに向かう観光客の日本人女性や、銀行のATMから現金を1000リンギくらい引き出したばかりの人が狙われた。エスカレーターで前後を数人の男たちに挟まれ、降りる間際、落し物をしたふりをして前川の男がしゃがみこむ。狙われた人は前の男にのしかかるようになりああわてる。その隙に、バッグをカッターナイフで切り、現金や貴重品を奪うというのが基本的な手口だった。最近増えたのはLRTやモノレールで集団に囲まれて強引にすられたり、下車するときに狙われることが多いという。買い物や食事に行く人たちは、ある程度現金をもっているからだ。
 私服の自称警察官が麻薬や偽札の取調べと言って、「財布を見せろ」と言って、財布の中をチェックしながら、現金を1.2枚抜き取るという「偽警官」事件もある。マレーシアでは基本的に私服警官が職務質問したり、麻薬や偽札の取締りをすることはない。だから、話をしながら、現地の人たちがいるほうに歩いていけば、彼らは逃げていく。
 高級車に追突し、交渉中に乗り逃げしてしまうという車泥棒が多かったが、ちょっと珍しい事件もある。高速道路で人が倒れていた、少し行き過ぎてから気になって停車して、倒れていたい男のそばに行き介抱しはじめた。そうしている間に、気がついたら自分の車が消えていた。倒れていた男と、車泥棒とは関係はないという。行きがけの駄賃だったのかもしれない。油断もすきもないのだ。車から離れるときは例え1,2分でもロックするのが常識だ。

   
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