「南」のスポークスマン
マハティールは、一貫して発展途上国(「南」)の利益の擁護者として活動してきた。彼の国際的活動の多くは、「南」のスポークスマンとして特徴づけられるのである。それは、全ての弱者の復権という彼の志に支えられている。
通商交渉の場では、先進国と途上国との利害がぶつかり合う。先進国側は、途上国の貿易自由化を要求し、輸出拡大をもくろむ。マハティールは、こうした身勝手な先進国の態度を厳しく批判してきた。例えば、2002年6月12日、「自由経済の推進者の関心は利潤にしかない」と先進国を批判し、先進国本位のグローバル化に抵抗する姿勢を示した。引退直前の2003年10月にも、「富む者と貧しい者に平等な新しい貿易交渉の枠組みを提案したい」と語っている。実際、世界的な貧富の格差の問題(南北問題)は一向に解決していない。その苛立ちが、ときに彼の厳しい言動となって表れる。
むろん、人道的な立場から、南北問題解決の必要性は繰り返し唱えられてはきた。先進国側も、南北問題に手をこまねいていたわけではない。だが、先進国には常に思惑があった。米ソ冷戦時代には、東西両陣営とも途上国における影響力拡大を期待して援助競争をしていた。特に、途上国の貧困が共産化の温床になるとの考え方から、西側は戦略的な援助を行っていた。
この時代から、非同盟諸国会議や途上国グループのG77など、反植民地主義を強調し、途上国の利益を守ることを目的とした機構は存在していた。しかし、イデオロギー的な批判を繰り返しがちで、実効性のある途上国発展のための協力体制が十分に構築されなかったのではなかろうか。
こうした中で、マハティールは先進国への要求と、途上国間の実効性ある協力体制を車の両輪として、南の復権を牽引してきたのである。
サウス・コミッション
1986年9月、ジンバブエの首都ハラレで開催された第8回非同盟諸国首脳会議でマハティールは次のように呼びかけた。
「発展途上国の経済危機は、もはや先進諸国との対話呼びかけだけでは解決しません。……途上国の経済問題を解決するためにサウス・コミッションを設けようではありませんか。いかなる政府、民間組織、国際機関に対しても責任を負わない自立した組織であることがコミッションの唯一の特徴です」
この提案は、途上国の圧倒的支持を得て、1987年10月に「サウス・コミッション」は正式に発足した。委員長にはタンザニアの元大統領ニエレレが就き、ブラジル、中国、ユーゴスラビアなど途上国26カ国を代表する閣僚、経済学者らで構成される委員会が設置された。
「サウス・コミッション」は、1990年8月には、90年代の途上国の発展のための戦略をまとめた報告「南への挑戦」(Oxford
University
Press刊、翻訳は「国際開発ジャーナル」刊)を発表している。報告は、OECDの途上国版といえるような機構設置や途上国のための世界銀行といえる「南銀行」設立を提唱していた。
同コミッションは、1995年に「サウス・センター」に発展改組され、その後、非同盟諸国やG77の要請に応じて政策提言等をするブレーン集団としてもその存在意義を示している。南南協力を単なるスローガンとして唱えるだけでなく、実行可能な具体的方策を検討する上で、極めて重要な役割を果たしているといえる。
2003年2月には、第13回非同盟諸国首脳会議がクアラルンプールで開催された。ここで採択されたクアラルンプール宣言にも、各国の能力を向上させて南南協力を促進することが盛り込まれた。また、会議期間中に行われたビジネスフォーラムで、マハティールは南南協力推進のための新たな評議会設置を提唱している。
一方、先進国のサミットG8に対する途上国のサミットとして、マハティールは1989年にG15(現在、参加国はマレーシア、アルゼンチン、アルジェリア、ブラジル、チリ、エジプト、インド、インドネシア、ジャマイカ、メキシコ、ナイジェリア、ペルー、セネガル、ベネズエラ、ジンバブエ、ケニア、スリランカの17カ国)を提唱、1990年6月に第1回の会議がクアラルンプールで開催されている。G77が途上国を網羅する経済グループであるのに対して、G15ではより突っ込んだ議論をしたり、緊急の問題について対処するなどの機動性が重視されている。
国際税構想
この間、アメリカは途上国の市場開放、自由化要求を強め、自国の輸出拡大を目指してきた。のみならず、自らの信奉する経済モデルを押し付ける傾向を強めた。これに対して、マハティールは途上国が独自の発展モデルを選択する権利を主張してきた。こうした主張は、途上国リーダーたちにも引き継がれている。今年6月にサンパウロで開催された国連貿易開発会議総会で採択された議長声明は、次のように謳っている。
「途上国や移行経済国を多角的貿易システムに統合していくためには、革新・成長分野に向けて発展段階を一歩ずつ上っていくための国内政策が必要。そのために、各国毎の開発戦略において最適なバランスを実現するために、様々な選択肢を模索し、必要な政策余地(space
for policy)を維持するべきである」(外務省訳)
採択の過程で、アメリカは「既存の規則に抵触しかねない」と強く反対したが、団結を強めた途上国はアメリカの反対を押し切った(『毎日新聞』2004年6月20日付朝刊)。マハティールの勝利といっていい。
マハティールは、2001年2月27日に中国・海南島で開催された「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」では、意表をつくような提案をして先進国をあわてさせた。それは、先進国から国際的な税金を徴収し、それを発展途上国のインフラ整備の支援に充てようという提案である。
首相の経済アドバイサー(当時)のノル・モハメド・ヤコプ氏によれば、先進国からの徴税は、国連開発計画のような国際機関が行うという方法があり、徴税によって毎年94億米ドル、20年間で1880億米ドルの資金を集めることができる。インドネシアの『ジャカルタ・ポスト』も、「マハティールの国際税構想は南北対話を提唱したブラント委員会を彷彿とさせる」とのインドネシアのベテラン外交官のコメントを載せて、マハティール構想の意義を報じた。今年に入ってからも、マレーシア現地紙は国際税構想を単なる構想に終わらせず、実行に移すべきだと主張している。
マハティールは、首相引退後も活発な言論活動を続けている。今年6月には、非同盟諸国ビジネス評議会の国際諮問委員会委員長に就任している。「南」のスポークスマンとしての活躍はいまなお健在である。 |