久しぶりに、チャイナタウンへ行った。目的は、ネパール人の宝石商をのぞくためだ。
ネパール人の宝石商にはちょっとした思い出がある。
私の父がマレーシアに来た時は必ずチャイナタウンのネパール人の宝石を冷やかしに行くという恒例行事があった。はじめ英語のしゃべれない父は、通訳として私の主人を連れて行き、値段の交渉をしていたが、そのうちルーペを持参して連日、1人でも出かけるようになっていった。彼はサイドビジネスとして貴金属・ジュエリーの商売をしていたのだが、その楽しみとしてネパール人の宝石商を回って目ぼしい宝石を安く仕入れていた。日本に帰った時、お客さんに気に入った宝石を選んでもらい、お客さんのデザインした土台(ルース)にその宝石を付けて売っていた。いいものを安く仕入れ、きれいにして高い値段で売る。お客さんも喜んでくれる。汗だくになりながら赤い顔をしてチャイナタウンから戻ってくる父は、それはもうとても楽しそうだった。
宝石は、本当にたくさん種類があるし、きれいだ。これが、天然の石だなんて思えない。自然が起こした神業だ。科学の発達とともに分析結果やデータが重要視されるようになり、人は自分の五感と六感よりもデータに象徴される他人の判断を頼るようになってしまい、そのうち六感も消えてなくなってしまった。人間は宇宙や体のことがどれだけわかっているのかわからないが、私達の世界では科学的人知の及ばないところで何かの意思が働いている。石にしてもしかり。科学的に鉱物の成分は言えるかもしれないけど、あの感動的な色はどうやって生まれてきたんだ? 各地の宝石ハンターの人たちが毎日毎日苦労して採掘した原石も、磨いてみなければ美しいかわからないという運命の世の中へデビュー。そしてそこからいろんな国へ渡り、いろんな人の手を渡りながら最終的にある人から気に入られて、もらっていかれる宝石たち。最近では、ここでしか採れない、という希少価値のあるものもたくさんでてきている。
自然の摂理ですばらしい色に仕上がる石に前から魅力を感じている私は、ここのところアレキサンドライトを探している。探しているといっても、この石はとっても高価と聞いているので買えるはずもなく、ただ一目見たいといろいろな店を覗いているわけだ。これまで訪ねたクリスタルショップでは全然見る事のできないこのアレキ。レアということばかりでなく、ダイアモンド同等の価値があるらしい。アレキに興味を持つようになったワケには、ある小説の中でヒロインが身に付けていたからで、その物語の中で、昼間と夜では色が変わるとても魅力的な石と書かれていた。お金持ちでもない普通の女性が確かおばあさんから貰ったものとされていたので、当初はその高価たるや想像もできなかったが、行く店行く店「あんな高い石、うちにはないよ」と言われ、ああ、そんな高い石だったんだ、と初めてわかったのだった。
アレキは、太陽光線下と白熱光下でカラーチェンジをする。太陽光線下では鮮やかな深緑(最も価値のあるものは青緑らしい)、そして白熱光下では農濃な美しい紫みの赤になる。
ネパール宝石商人達は、奥深くまで一箇所にかたっまていて、その辺一帯はネパール化していた。ディスプレイなんかに構わず、ありったけの石やネックレス、ブレスレットをテーブルに砂利のように積み上げている。この中からおおこれは、とお客さんから気にとめられた石が買われていくのだ。そしてそれがもしかして価値の大きいものだったら、アタリだ。KL国立博物館鉱物展示会で、一度だけ本物のアレキをちらっと見たことがあるだけの私は、自分で見極める自信はまだなく、とりあえず聞いて回るのが関の山だった。もしかして1度見た色とは違う他の色があるかもしれないし、ミャンマーとかネパールあたりを経由してその価値がわからない商人たちの手を渡ってきた安い掘り出し物、または本当にグレードの低い価値のないアレキというものにも出会えるかもしれないと、半分期待していた。 |
| (つづく) |
| 本稿は日馬プレス第297号(2005年5月1日)に掲載されたものです。 |
| |
 |
|