生理用ナプキンが切れていることに気がついた。「コンビニよりインド人の経営している小売店の方が安いの売ってる」と、数セントの違いしかないのにもかかわらず、せせこましい考えをしてしまった私がいけなかった。インド人の店で買った埃のかぶっている袋を家に着いて開けてみると、ナプキンの中で黒い虫が数匹、巣を作っていた。
こんなこともある。スーパーマーケットで、買おうとしていた電気製品をチェックするために待っていた。何を待っていたかというと、その台の上で店員が自分の個人的な仕事を広げていたのだ。それが全部済むまで、何も言わずお客様を平気で待たせる。そんなイライラする場面もしばしばだ。でも結局のところマレーシアは生活しやすい国と、胸を張って言える。なぜか? いろいろ考えた末の私なりの結論だが、何かに煽られる焦燥感が全くない、その心地よさなのだろうと思う。日本にいる時のように、他人の目を気にしたり、せせこましさがない。気楽さがある。よく聞く話に、日本では会社勤め中に出産すれば、キャリアアップの夢はなし。おめでたい話なのに妊娠した女性に向ける社員の白い目が待っているし、産みにくい職場環境。日本では、老後に何とかなるなんて考えられないし、なりやしない。
でもせせこましくない心地よさはさておいて、この国で革命的な芸術を求めたり、独創的なことをしようと思ったら、それは無理。それだけははっきり言える。宗教的制約があって、民族的融合性を強調し、安定を第一にする風土を持った国なのだ。
あなたも、マレーシアに住み始めている限り、親や友人からいろんな質問をされているだろう。「マレーシアってどんな国?」私も例外ではない。親や友人がマレーシアに来て、いろいろと聞かれることは多い。「マレーシアの病院って、ちゃんと設備がしっかりとしているのかしら?」「水道の水飲んで大丈夫かしら?」冷や素麺をつくっている時のこと。「ゆであがった麺を水道の水ですすいで大丈夫かしら?」挙げ句の果てに、ミネラルウォーターさえも「マレーシアのミネラルウォーターって、大丈夫かしら?」とくるのだ。
これらの言葉は日本人のマレーシア観をよくあらわしている。日本以外のことに及ぶと「大丈夫かな?」という思いが頭の片隅に働くのだ。「これはマレーシアのだけど、大丈夫かしら?」「マレーシアだから、本当にいいかげんねえ」と。
私としては、「いや大丈夫よ」とか「たまにはそういうこともあるかもしれない」「時と場合によるよ」などと言うべきか、返答に一瞬迷うときがある。私には「マレーシアのものは品質が悪くて信用できない」などと決めつけてしまうことはできないし、かといって無条件に親指が立てられる訳でもない。あくまでもマレーシアは日本ではないし、日本の水準とは一致しないし、西欧の状況とそのまま比べることも間違いだ。ある出来事なり、ある国の事情や出来事を伝えるのは容易ではなく、いくらこの地に長くいても一言では片づけられないものもある。マレーシアひとつの国を指しても、さまざまな地方から成り立ち、都市部を見ただけではマレーシアについては十分に語れない。一つ一つの状況を取っても、時と場合によっても違ってくる。またその人のマレーシアに対してのイメージ、何らかの媒体を通して感じたもの、これまでの関わり方、悪い思い出の有無など、立場によっても違うだろう。人それぞれのマレーシアへのイメージというものがあるのだ。 |
| (つづく) |
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| 本稿は日馬プレス第301号(2005年7月1日)に掲載されたものです。 |
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