ユーザーは、例えば日本車とマレーシア車を比較する。人は、自分が実際ひどいサービスや故障を体験していなくても、また具体的な統計数字を知らなくても、他人の話をあたかも自分が経験したように判断して話す傾向があるようだ。イメージと思い込みが先走ってしまうのだ。「プロトン車の窓ガラスはちょっと石があたっただけでもすぐ割れる」「プロトンの車体は華奢だ」エトセトラ・・・。その判断はマレーシア産か日本産か、という生産国のブランドに基づいているからにほかならない。国というブランドに弱い人は多く、そして日本製だからと、十分信用する日本人は多い。マレーシア製が壊れると、「ああ、やっぱりマレーシア製は・・・」となるが日本製が壊れると「まあ、しょうがないか」と許してしまう気持ちが強いのだ。
日系の企業にちょっとお世話になっていた時期があった。現場で働いている日本人スタッフから「不良率が高いし、品質の安定と管理が大変」という声をよく聞いたが、それを私は否定しない。マレーシア社会にどっぷりつかっている私も、マレーシア製品の故障に出会うことはしょっちゅうだ。プラス最近大量にあるバカ安中国製品。品質が悪くてすぐ壊れるだろうとわかっていながらも、数ヶ月持てばいいや、とその安さと品質を天秤にかけて、壊れたときは安いから許している。残念ながら、マレーシアに住むには妥協の精神も肝心で、妥協の心は私だって常にある。
駅やショッピングセンターでは紙幣を認識しない切符自動販売機、故障だらけの公衆電話、数日履くだけで切れてしまうスリッパ、缶飲料のふたやオイルのふたが開かない・・・腹が立つことこの上ない。でも反対に、我家で何年も使っている冷蔵庫と洗濯機は10年以上たっても一度も故障しなかったし、アイロンだってそのくらい使った。マギーやレトルト食品を食べてあたったことは一度もない。6年間まだ乗り続けているカンチルも決定的故障は一度だけだった。人はいつでも、いい面より悪い面が記憶に残りやすいものなのだ。いい面と悪い面を同じくらい第三者の目で観察できる冷静な人は、私には立派に見える。
製造・製品に関して、日本とマレーシアの決定的な違いがわかるだろうか? 私は、マレーシアはこんなものでいいやという妥協が多すぎることと、メンテナンス意識が不充分なことだと思っている。そんな「どうでもいい的(Tak
apa)」姿勢は、製造分野でなくとも公共でのサービス、人への対応態度でも見て取れる。マレーシア人だって多くの人が先進国から技術などを習い、技術面での教育もそれなりに行っている。でも、たとえせっかく立派な何かを作り上げても、メンテナンスが欠落しているために、1年もたたないうちに、ボロボロになってきて、使い物にならなくなるのだ。多くの公共物は壊れたまま、いつまでも直さないもの、維持できないものとなり、それはとてももったいないというか、無駄をたくさん生みだしているなあとしみじみ思う。
世界一の長さを誇るKLIA内の荷物ベルトコンベアーを例にとると、これは巨額な投資と年月が費やされた巨大プロジェクトだったらしい。調査や建設にドイツや日本など数カ国からの専門家を呼び、完成後もしばらくは、使用方法、修理や管理方法などを地元スタッフに教えるために、外国人は何年もKLに滞在した。晴れて空港内では最長コンベアーが稼動し出したが、知識を習得した多くのローカルスタッフは、その知識を持ってKLIAから去ってしまった。何人かは独自のコンベアービジネスを始め、何人かは中東などへ知識を売りに飛んでしまったのだ。外国人専門家が帰ってしまった後はどうなったか? 修理や管理は行き届かず、専門知識を得たローカル人が辞めてしまったため、結局修理や管理を続けられる人がいない。傷みはひどくなり、再度巨額のお金をかけて部品を交換、修理し、外国人専門家を呼ばなければならなくなった。また一からやり直しだ。こんな話を聞くと、とても悲しくなってしまう。
専門分野で立派な技術を持った「職人」を軽視する社会傾向にも問題がありそうだ。「職人」を誇りに思うような、そんな認識が育つ社会にならないものだろうか。 |