#167
『妊娠・出産 近代化の中でも伝統を
重んじるマレー(1)』
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この間、マレーシアの伝統的なお産や子育てについて取材をしている新聞記者に通訳として同行し、外国人の目から見ると驚くような数々の風習を再確認する機会があった。かくいう自分もマレーシアの、それもマレー系のしきたりのもとで出産や産後をなんとか切り抜け、それにまつわる伝統的行事とともに長年の子育てをしてきたわけだが、日本とはまるっきり違う風習や習慣があるのに、ここでの日常生活に溶け込んでいるうちに当たり前となってしまっていることに、今更ながら気が付いた。誰しも長くいるほど、その土地の伝統や習慣も新鮮味がなくなってしまうものだ。
胎児教育や幼児早期教育について科学的に先端技術や投薬などで研究している先進国では、小児科の医師や発達心理学者だけでなく、脳科学、ロボット工学、情報科学、霊長類学といったさまざまな分野の研究者がかかわっている。いろいろ調べていくと、受精後6週のわずか2センチ程度の胎児の段階で胎動が始まり、20週には泣いたり、笑ったり、食べたりなどヒトの動きの基本的要素はほぼ身につけているらしい。そして今、赤ちゃんの脳のどの段階にどんな刺激を与えれば、効果的に学習でき、また健全な心が育つのか、いろいろな研究成果が期待されている。話は飛ぶが、最近、赤ちゃんの顔の表情、温度変化、声の周波数などからリアルタイムで感情を読み取る赤ちゃん表情翻訳機なんていうのもあるそうだ。でもこうした科学技術を駆使した人間の知欲の部分からではなく、本能としての人間らしさの原点に焦点を当ててみると、近代化で何か失われてしまったもの、科学では補えないものが、アジアで発見できるのではないかという気がしてくるのは私だけではないはずだ。
日本で、初めて妊娠したとしよう。さて、まずはその事実にうれしさはあっても、不安と動揺がかなりの比率を占めるのではないか。そしてすぐ妊娠・出産・育児書の参考本を買って隅々まで読む人は多いかもしれない。日本市場には、そういった本は腐るほどあるし、雑誌だって幾種もある。赤ちゃんが生まれてからも、マニュアル通りに行かないと悩み、夫は仕事で忙しく1人で落ち込み、さらに自信喪失や子育ての意欲を失い、鬱になり、そして自分で生んでおきながらも虐待をしてしまうケースが後をたたない。また日本の子育ては、母親が一人で背負いすぎ、自分を追い詰めてしまう傾向が強いようだ。私は、マレーシアではまずこうした妊娠・出産・育児書を読む人が少ない、という違いに気がついた。ここでも、子供が多少大きくなってから外的要因によって子供の虐待などに走ってしまう母親はいるが、一般の環境にいる限り、育児ノイローゼで虐待に走る母親は聞いたことがない。そしてマニュアルとにらめっこをしながら育児をする母親もまずあまりない。それは何故なんだろう。ここでは、家族や周りの人たちによるサポートが大きいからだ、ということが考えられる。ほとんどの人が大家族の中で育っており、小さい時から出産や赤ちゃんの世話は、生活の中で数多く当たり前の身近な日常として接してきた。日本では、反対に親の助けもわずらわしく思う人が多いという。身内なのに、どうしてだか人間関係が自然体になれない日本のぎくしゃくさをとても不憫に思う。どうしても肩の力が抜けない身内関係、希薄な対人関係はどこから来るものなのか。
本稿は日馬プレス第307号(2005年10月1日)に掲載されたものです。
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