#169
『妊娠・出産 近代化の中でも伝統を
重んじるマレー(3)』
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産褥期間は、自分で何もやってはいけない退屈なところへもってきて、「眼がつかれるから読書もだめ、書きものもだめ」とだめ尽くしなので、私は実家のリビングに一時的に敷いたふとんの上で、途方にくれてしまった。事実新生児というのは、2時間おきにミルクを飲まして、おむつを取り替えて、問題がなければ寝っぱなし。早く言えば、赤ちゃんの世話はやることがあまりないのだ。夜中も2時間おきにミルクをあげなければならないので、常時眠いことは眠いのだが・・・。また、おしりを床につけない座り方をしていて(俗に言うウンチングスタイル)「子宮が落ちてしまうからだめ」と言われた時には「彼らは本当にそんなこと信じているのだろうか、でももしかしたら自分が無知なのかも・・・」とちょっと考えればわかることも、見境がつかなくなってしまうほど精神的にまいっていた時期だった。
マレーシアでも、最近は教育熱心な親たちが驚くほど多い。ただ、極端な育児観をもつ親が増えているようだ。日本ではテレビの見すぎは子供にとってよくないとされているが、英語の勉強になるからテレビをどんどん見せようとマレーシア政府が国民に呼び掛けたことには仰天してしまった。手当たりしだい育児教室に通わせる傾向もここ最近の現象だ。特に教育熱心といわれる日本や韓国、シンガポールでは、子どもからの自然な成長のメッセージを無視しているのではないかと感じる。子供を雁字搦めにして、それでいてそれが正しいと思っている。子供が自分で気づく前にあれこれ指図をして、「いわれなくてもちゃんとしなさい」と注意する。子供の成長をじっと眺めるようなことはしない。しないというより、できないといった方がいいかもしれない。
マレーシアは、近代工業国として急成長をしてきたが、それを右肩上がりの成長にしてしまい、一方で一部物質主義が、子どもの成功にこだわりすぎることになってしまったようだ。成功とはなんなのか、その人の人生の上下判断はあくまでも主観の問題であり客観的な成功などという見方はあり得ない。例えば、何がどうだったら人生成功で、逆にどんなことをしたら人生失敗か、などという判断はその人の価値観の問題であって、他者がそれを判定(評価)できないことだ。
子供の人生の何が上で何が下なのか、ということはたとえそれが親であっても評論はできないと思う。小さい子供に、親たちはどんな夢を託しているか、これはもう世界中どこでも一緒だと思うが、善であれ、と願う気持ちは真摯なもので自然なこと。
でも親が考える上であれというのは、これは価値観の問題で親子といえどもそれは押し付けられないことなのだ。経済的に裕福なのが成功したことなのか、社会的な地位が高いことが成功したことなのか、自分の好きなことができれば成功したことなのか、あるいは貧しい事が下なのか、そんなことは一概に一様に言えない。でも、こうした現実的な欲が行くところまで行かないのは、根底に宗教があるからだと私は思う。マレーシアでの特徴には、よいイスラム教徒になって欲しいと望む親が多い。どのポジションにいても、どんな分野に自分が立っていても、行き着く先は、宗教心に繋がっている。
本稿は日馬プレス第308号(2005年10月16日)に掲載されたものです。
『妊娠・出産 近代化の中でも伝統を重んじるマレー(1)』
『妊娠・出産 近代化の中でも伝統を重んじるマレー(2)』
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