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★マングリッシュ考察 その1

 
今号から、6回に分けて、マレーシアにおける英語のとり扱われ方についての自分なりの観察、分析についてを連載したいと思う。
 マレーシアは、何度も繰り返されているように、多民族多文化多言語の国であることを忘れてはいけない。
 各民族がそれぞれの母語、母国語を保持し、その上に国語のマレーシア語が存在する、という環境は、極めて複雑で、稀であり、ここに暮らしていていながら、このことについて観察しないというのは、いたって、ソンということだ。
 100年間以上もイギリスの統治下にあって以来、学校は全て英語教育が行われていたマレーシアだが、45年前の独立を機に憲法ではマレー語が国語とされ、国民に自国への愛国心を植え付けるという意味でも、そしてマレー語を愛するよう、国民型学校は、かつての英語教育からマレー語教育に変更された。
 掛け声をかけたのはマハティー首相、その当時は教育相だった。
 しかし、マレーシアの悲しい言語の現状は、英語を中心に回ってしまう社会性から抜け出せず、今になって、「この情報化が急速に進みグローバル化した現代の流れに乗っていくには、国際語である英語が重要だ。科学と技術の進歩は早い。今やわざわざ翻訳している時間はない。英語を習得して初めて、科学技術と知識を生で迅速に吸収できる。社会の多くの人々が、この現実を受け入ほしい」と説くマハティール首相の掛け声のもと、今年1 月から学校では、徐々に数学と科学を英語教育化に変更していくという政策に戻されてしまったのだった。
  多民族国家において教育分野で苦労するのが、まず言語の問題であると思う。マレーシアの言語事情の難しさの実情をあらためて実感するのは、何も自分が外国人という第三者の目で見ているというわけではなく、また外国人とマレーシア人のハーフの子供を持っているからではない。日常の光景を見ると、純マレーシア人もそれぞれの言語に揺れ動いているのはいやおうなく目に写る。我が家の場合は、子供は、人と話す時に、英語、マレー語、日本語、北京語を使い分けて話す。家の中で話すのは英語と日本語。北京語を話しているときは両親は全くわからないし、日本語を話していると、父親はわからない。
 しかし、彼らはどの程度、各言語の奥深くまで侵入し、言葉を通して感性を研ぎ澄ましていけるのだろうか?親として、どうしたらできるだけ多種言語の読み・書き・会話を効率的、かつ苦なく習得させることができるのか?
 少なくとも2言語をほぼ完璧にするためには、何が一番よい方法なのだろうか?

(つづく)
 

本稿は日馬プレス第261号(2003年11月1日)に掲載されたものです。