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★オンラインの裏に蠢く罠(2)
韓国が元のそのオンラインゲームは、他の国でも遊ばれている。日本では遊ぶにあたって初めから1日券、1ヵ月券という種類で料金を徴収していた。ところが、マレーシアでは、はじめの数ヶ月間(確か6ヵ月以上だったと思う)は、登録だけして無料でやらせていたが、ある日を境に日本と同じように課金システムに変わってしまった。1日券がRM3、1ヵ月券がRM34。ゲームを毎日続けようとあれば、この額はマレーシアの子供たちにとって、大した金額になる。それも、1日券というのは使いはじめてから、ゲームをしていない時にでもカウントされており、24時間の中で遊べば遊ぶほど得となっているわけだ。1日券を使って、うちのように1日2時間だけしか遊べませんよ、というのでは大損なのだ。また、子供たちを夢中に釣っておいて、中毒にはまってきたころ、課金システムになるというやり方も気に食わない。
あとからあとから作り出される新キャラクター、だんだん強くなっていく自分を投影したキャラクターのパワー、ネット上で友達と合ってチャットをしながら繰り広げる無限の冒険。夢中なあまり、ゲームをしていない時間でさえもゲームの世界に生きているような姿は、毎日の話っぷりや様子でわかったし、私自信ずいぶん心を痛めた。まわりの友達もみんなゲームに夢中なもんだから、会ってもゲームの話、電話でもゲームの話ばかりなのが、ゲーム熱を押さえるどころか、ヒートしていく一方にさせた。そんな友達の中でも、1分たりともオンラインゲームはやらせない、と珍しく徹底したうちがあり、一時期は、そうした躾の方が正解だったのかも、と悩んだものだ。私たちは、人格がゲームにコントロールされるということがどう危険なのか、大きくなって将来どういう人間になってしまうのか、いろいろ説明をしたり、何とかゲーム以外に熱中できるものを探してみたり、アイデアを見せたり聞かせたりして、この世界にはもっとおもしろいことがわんさかあることをわからせることに努力をした。本人も自分なりに、親の言っている事は理解できるし、自分の気持ちを変えたい、何か他に夢中になえるものが欲しい、でもゲームよりもっと面白くて熱中出来る事が今のところ見つけられない、だからなかなか脱出できない、と苦しんでいたのがよく見て取れた。そんな時期は、もっといろんな視野を広げさせたいと、どこか旅行へいってもその時だけで行き道中はしぶしぶ、現地で楽しんでも帰ってくれば、もう手が震えんとばかり。私は、5時から7時まで、コンピューターの前に座っているときだけがうれしくてしょうがないと体中が正直に反応してしまう反面、そんな自分を変えたい、と切望している子供が不自由でかわいそうだった。
料金を徴収しはじめてから、利用者数が落ちたのだろう、ある日、このゲーム制作社のマレーシア支店からアンケートの電話がかかってきた。子供が登録をする際に、私の携帯番号を入力したのだ。「課金になってからも、まだ遊んでいますか?」その男は聞いてきた。私は、私自身が遊んでいるふりをして「遊んでますよ」と答えた。男は「1日だいたい何時間くらい遊びますか?」「今の料金は高いと思いますか?」など質問を終えた後、私は、1日券というのは、時間数にして実際は1日券ではないこと、だったら、遊んでいない時間はカウントされない完全ポイント制にした方が良心的なのではないかということ、獲物を釣って喜ばしておいてからこういうやり方をしているのはマフィアの手口なのではないか、など一応思っていた不満を言ってみた。意見のどれほどが指針に反映されたかわからないが・・・今では、バージョンもさらにアップして、ネットで知り合って気に入った同士が結婚できるようになったらしい。相変わらず、始めの一定期間はただで遊ばせておきながら。
と、そんな次男も努力が報われて、ある事によってゲームから徐々に遠くなり、ゲーム命という人間からずいぶんとみちがえるようになってくれた。(この出来事については、いつか書きたいと思う)エクソシストじゃないけど、一時期霊に取り付かれてしまった子供が霊から開放されて、本当の人格が戻ってきてくれたという感じだ。
コンピューターは楽で便利な反面、使用法によっては心も身体も蝕み、人間関係にも亀裂を生じさせてしまう恐い武器だ。急にそれを取り上げられたら、何もかもお手上げ、自分がコンピューターを管理しているのではなく、コンピューターに管理され、操られてしまっていると気がついたのも、何を隠そう自分だ。そんに一時期もあったのだ。オーバーヒートして壊れた時には、もちろん仕事上での不都合はあっても、精神的な焦りへの対処教訓を得て、何かわからないけど肩の荷が降りたような、ちょっぴり爽快な気分。そんなものなのかもしれない。
本稿は日馬プレス第282号(2004年9月16日)に掲載されたものです。