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★ファミリー・ミーティング (その2)

 
 結局、私はA君の家には行かなかった。電話をきった後、私はもう一度同じ説明をし、さらに違う理由も説明した。もしかして、A君の親は自分達が仕事に行っている間、子供にインターネットに接続させたくないので、わざと接続していないかもしれない、または料金が滞納してラインを止められているのかもしれない。そこへ友達の親である私が、A君の親がいない間、のこのこと家に上がり込んで、やってあげるのも、良からぬことだろう。もし親が本当に接続できなくて困っているのなら、彼らが技術屋さんを呼ぶなりの処理はしているだろうし、私と話している最中に(たまに会うと立ち話をする)「接続できないのよ」という話が仮に持ち上がったとして、「じゃあ、ちょっと見てあげようか」という筋の流れになれば、話は別だ...などなど。でも次男は、もう完全に怒っていて、部屋に入るなり、バタンと戸を閉めてしまった。「宿題はもうやったの?」と聞いても怒っているときは「もう大きいんだから自分でいつやるかは自分で決めるよ。ほっといてよ!」など、もうこうなると、売り言葉に買い言葉でいつもの次男らしからぬ言葉でもってバトルが繰り広げられるのだ。
 

 

 こんなこともあった。 
 次男の友達B君から電話がかかってきたとき、ちょうど本人はトイレに入っていた。小の方なら、だいたい呼ぶのだけれど、大の方でもう少し時間がかかりそうだったので、私は友達に「彼は、今トイレにいるから、後でかけ直させるからね」と言った。トイレから出てきた次男に友達から電話があったことを告げると「ママ、ナンテいったの?ぼくがどこにいるって言ったの?」と聞いてきた。何もそんなことくらいですごくおこるとは予想もしなかった私は正直に「トイレに入ってるって言ったよ」と答えた。そうしたら、それまで明るかった顔が暗転し、よくマンガのような斜線の影がサーッとさしたのが見えた。私は「別にいいじゃん、そんなこと、トイレにいたからって、いちいち誰も気にして笑ったりしないよ。じゃあ、ナンテ言えばいいわけ?」長男が「トイレはバスルームなんだから、シャワー浴びてるとだって取れるじゃない」と助け船を出してくれた。父親も「おまえ、人間は誰だってうんこするんだぞ。ブリットニー・スピアーだってうんこしてるんだぞ」と言うとまわりは爆笑の渦だったが、それがかえって気持ちを逆なでしたのか、「みんなわかっちゃいないんだ、友達の間ではどんなにはずかしいことか!」と冷や汗をかかんばかりに反論してきた。まあ、私達の年代ではもうそんな恥ずかしさはなくなってしまったものでも、このくらいの年代にとっては、センシティブな話題なのかもしれない、とも思ったが・・・「じゃあ、もし今度あんたがトイレにいる時、友達から電話があったら、ナンテ言えばいいのよ。外にいますって言うの?」と私が聞くと、彼はなんだか重大な窮地に立たされていますっていうような面持ちで「いや、それじゃあ、うそになってしまう」とつぶやいた。

 どんな成り行きになるにせよ、家族会議の時には、こうした問題について、まず議長の父親が2人の言い分を聞く。とても感情的になっている次男は涙を流しながら話す時もあるし、まだ小さいがゆえに自分の気持ちを言葉で表現できないときもある。そして、こうした会議には、たとえその問題に関与していなくても必ず長男を出席させる。両サイドの意見を聞いた上で、その衝突について分析をしてもらうのだ。こうして客観的な長男の意見も聞くことによって、問題をどうやって解決していくのか、彼の成長ぶりを知る機会にもなるというわけだ。話すのが面倒くさそうにしていても、結局は、結構いい切り抜け方が聞ける。こんな家族会議は、お子さんのいる家庭にはすごく有効なコミュニケーションの場として参考になるのではないかと思う。

 家族会議で自分の間違いを納得した次男は、次の日あることを提案した。「ママ、思った事とか、不平不満とか何でも紙に書いて入れるボックスを家の中に置こうよ。それで、週1回家族会議を開いて、その時にオープンして話し合うの」怒っていない愛嬌がある顔は、前日のデビルとは打って変わってとても微笑ましい。彼は、おそるべしジキルとハイドだ。
 

 
 

本稿は日馬プレス第284号(2004年10月16日)に掲載されたものです。