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時代は変わる、マレーシアンも変わる(その2)
近所付き合いというのは、大切だ。若い人や単身の人にはわかりずらいかもしれない。私自身もそういうことに無関心だったし、いったい何のために重要なのか、さっぱり判らなかった。分が子供の時には、近所の付き合いが密だったが。でも今になってみるとわかる。その「わずらわしい」と忙しい都会人から敬遠されている近所の付き合いが大切だっていうことを。たとえ地区のドブ掃除の日とか(面倒くさいなあ)、と思ってもコミュニティーというものは人間にとって、また子供が成長していく過程にも必要な活動なのだ。人間の生活には何がおこるかわからない。そんなとき、遠くにいる血縁より近くにいる他人なのだ。結婚したばかりの時分、4年間いたスンガイ・ブローでも近所のコミュニケーションは密だった。今思うと懐かしい。スンガイ・ブローでは、近所の夕方になると、奥さんたちは涼みに外に出て世間話が始まったものだ。そこへ、だんなさんたちが1人1人仕事から帰ってくる。時には立ち話ではなくて、ゴザを敷いて果物をカットしながら、談話することもあった。そのころ私は第一子をおなかに抱えており、何を食べていいのか自分でもわからなかった。経験をしたことがある人ならお分かりだと思うが、妊娠すると、たちまち好みが激変化したりして、特につわりの期間中は、常にムカムカしていて、食欲がない。ある日、近所の奥さんたちがゴザを敷いて、おしゃべりをしながパパイヤとマンゴーを小さくスライスし、黒いソース(黒いソースとは現地でいうキチャップ、これに潰したブラチャンとチリパディ、砂糖を混ぜたもの)をつけながら食べていた。私はその輪に混ざりちょっと口に入れてみたら、これがまたおいしくて、ついに私は食べるものを見つけた!と感激したものだ。パパイヤとマンゴーは、とても若いもので、カリカリと歯ざわりがよく、マンゴーは酸っぱめ、パパイヤはあまり味がしないほどさっぱりしていた。ソースは甘く辛く、つけながら食べるととまらないほどおいしく感じた。これでつわりの期間中は乗り越えられたものだ。その頃の私は、あまりマレーの食文化にも詳しくなかったし、なんのソースなんだかわからなかったため、それを知った主人は近所の戸を叩いた。そして、近所のおばさん達はいつも喜んで、果物とソースを持たせてくれた。 いつもはずかしいなあ、とおもいつつ、ありがたく頂戴していたものだ。時代は変わって、みんなが忙しい毎日の生活で、何もオシャベリに外に出て、花を咲かせなくてはいけない、ということはない、ただ1人1人がコミュニティーの大切さを、心のどこかにスタンバイしていたほうがいいということだ。
(つづく)
本稿は日馬プレス第257号(2003年9月1日)に掲載されたものです。