仲  秋

 
 日本でも『仲秋の名月』として親しまれている仲秋は、陰暦(旧暦)8月15日の満月を祝う行事です。
 秋にあたる陰暦7、8、9月の真ん中、つまり8月15日は、月が地球に一番近付くため、ひときわ美しく輝き、満月は殊更に丸く見えるようだ。
 中国人社会では、仲秋の2週間余り前から月餅(Moon Cake)が売り出され、友人知人の間で贈答される。当日は西瓜や麺類、乾肉などとともに祭壇に供えられる。
 日本では、米の粉で作った団子、栗やサツマ芋、柿などを供え、ススキの穂が飾られる。 日本では東京・新宿の中村屋の月餅が有名だが、形は似ても、味はちょっと異なるようである。中村屋の月餅は1年中食べることができるが、お月見の供え物は、まさに素朴な「日本の秋の味覚」そのものだ。
 中国の月餅の中でも広東のものは種類が豊富で、日本人グルメにもこたえられない。中は、豚肉、鶏肉、鴨肉、卵、ナツメの餡(あん)、豆餡、西瓜の種、ハスの実など。また、中味に相応しい風流なネーミングで楽しませてくれる。月餅は日持ちがよく、2、3週間は風味を失わないといわれているが、ここは熱帯、やはり、早めに食べる方がいいだろう。

4千年前の神話が始まり

 仲秋を祝う風習は、紀元前21世紀、つまり、今をさかのぼること4千年余り、当時の中国は神話時代の言い伝えが発端とされていわれる。
 帝尭(ぎょう)の治世のころ、后 (ごげい)またの名を神 という弓矢の名人がいました。后 が魔弓で風神を退治したのを聞き及んだ帝尭は、后 に水神を伐つように命じました。后 に目を射られて、水神は美貌の妻である女亘娥(こうが)を置き去りにして逃げてしまいました。后 は女亘娥を捕らえて妻にしました。
 その頃から天の一角に異常な一条の光が輝き始めました。帝尭は后 に根源を探るように命じました。后 は光の源が宇宙の運行を司どる西王母の住居であることを知り、会見を申し込みましたが、西王母は夥しい数の鳥獣を使って后 を攻撃してきました。しかし、魔弓を持つ后 は攻撃をかわし、強引に西王母と会い、不労長寿の薬をねだりました。西王母は句玉亀山に宮殿を建設したら、秘蔵の練丹を与えることを約束しました。后 は宮殿を建て、西王母は練丹を与えました。この時、「この薬を飲めば不老長寿になる。そして天空を自由に飛ぶことができるようになる。しかし、食事を節制し、身体を十分に鍛練しないと身体を損なうだろう。十分準備し、8月15日の夜になったら服用するように」と指示しました。
 后 はその練丹を持ち帰り、家の梁の上に隠していました。帝尭の命令で后 が怪獣討伐に出かけている間に8月15日の夜になり、留守番をしていた女亘娥が練丹を見付け、飲んでしまいました。女亘娥の身体はフワフワと宙天高く舞い上がって行きました。そこに、練丹を飲もうと帰ってきた后 は、魔弓で女亘娥を打ち落とそうとしましたが、愛妻を傷付けることを恐れて、射ることができませんでした。
 天に舞い上がった女亘娥は月に着地しましたが、そこは荒れ果てた土地で空気も冷えきっていました。女亘娥は風邪をひき、クシャミをした途端、練丹を吐き出してしまいました。練丹は白い兎になりました。女亘娥は白兎に命じて野生の薬草を集め、臼でつかせて食糧にしました。
 后 は台風に吹き飛ばされて西王母の夫である宇宙の真神の宮殿にやってきました。真神は、后 に紅い仙菓(これが月餅の起源)と護符を与え、「この仙菓を食べれば、太陽に行くことができるようになる。この護符を持てば、妻の住む月に行くことができる」と告げました。
 后 は、まず太陽に行き、十の太陽のうち九を魔弓を持って打ち落として治めました。そして、毎月陰暦の15日になると愛妻女亘娥の住む月を訪れるようになりました。
 女亘娥と后 、つまり、陰と陽が合体して愛のクライマックスを迎えることから、十五夜の月はひときわ輝いて見えると言われています。
(この伝説は、日本の竹取物語の原形と言われている。)

年間行事に戻る
 

ここに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。
著作権はA. P. PRESS (M) SDN. BHD.またはその情報提供者に帰属します。
POWERED by hooElse Studio