サラワクの人々
これまで多くの人々にとって、「禁断の地」、「孤立した野生の土地」、「神々と精霊を崇拝する「原始的」な人々」、「荒れ果てた危険な土地」の同義語だったボルネオ、そして、世界で3番目に大きな島であるボルネオには、3つの国がある。ブルネイ、インドネシア(カリマンタン)、そして、マレーシア(サラワク・サバ)だ。ここで、まずはっきりさせておきたいのは、マラヤ(半島マレーシア)とサバとサラワクは、その支配の歴史、言語、文化において、お互いにまったく異なるってこと。サラワクはマレーシアの一部だし、ほとんどのサラワキアンは、外見は他のマレーシア人と同じだけど、独自の起源、歴史的背景をもち、英語とマレー語の他にそれぞれの民族が特有の言語をもっているんだ。例えば、「なんで、サラワキアンはマラヤの人たちより英語がうまいの?」って友人に聞かれたことが何度かある。マレーシア人はみんな同じ英語教育を学校で受けているはずなんだけどね。んー、正直言って、ちゃんとした答えはわからないけど、ちょっと自慢だ。僕の思いつく理由としては、サラワク語(サラワキアンの共通語として話されている、サラワク・マレー民族の言語。一般的にはマレー語の方言とみなされているけれど、正確には「サラワク語」だ。)の中には英語からの外来語がたくさんあるってことかな。例えば、「Perempan」は英語の「Frying
Pan」からだし、「Sekonyer」は「Schooner」からっていうふうにね。というのも、有名な話だけど、ブルネイのスルタンの支配下にあったサラワクは、4年にわたる反乱を鎮圧した報酬として、1841年、イギリス人のジェームス・ブルック(James
Brooke)に譲渡された。100年にわたる「白人王(White Rajah)」による支配はこのジャングルと部族の土地に、人々の考えや文化に、ものすごい影響を与えた。こういった歴史もサラワク独自の文化の形成に影響していると思う。
それじゃ、主題のサラワク原住民の話をはじめよう。サラワクの人口は、現在、約2百1千万人。27の民族の寄り集まりだ。クチンやミリのような主要都市に人口は集中していて、あとは田舎に住んでる。すべての民族をあげるのは難しいけれど、サラワクの原住民はおおまかに4つに分類できる。マレー、ダヤッ
(Dayak)、マラナウ (Melanau)、オラン・ウル (Orang Ulu)だ。サラワクの人口の大部分を占めるダヤッはイバン
(Iban〜Sea Dayak)とビダユッ(Bidayuh〜Land Dayak)に分類される。そして、少数民族のオラン・ウルはさらに、カヤン
(Kayan)、クニャッ(Kenyah)、クラビッ (Kelabit)、クダヤン (Kedayan)、ビサヤッ(Bisayah)、ペナン
(Penan)、プナン (Punan)の7つに分類される。そして、それぞれの民族は、それぞれ独特な生業、起源、生活環境をもっているんだ。漁村のマレー民族、ロングハウス、または狩猟、ヘッドハンディングで知られるイバン、サゴのマラナウ族、農業のクラビッ、ジャングルを転々として暮らすペナン族、稲作のビダユ族というふうにね。
今回は、サラワク・マレーについて話をしたいと思う。まずはじめに僕は、1998年に出版された「Malays
of Sarawak」の著者Abang Hj. Yusuf Putehに敬意を表したい。そして、彼の興味深い調査の中から、サラワクの人口の21%を占めているサラワク・マレーの歴史、特に「Perabangan」の話を紹介しよう。「パラバンガン
(Perabangan)」は「アバン (Abang)」という称号をもつ家系に生まれた人々のことをさすんだ。この称号はサラワク・マレー民族に特有のもので、男性の名前の前につけられ、女性だと「ダヤン
(Dayang)」がつく。称号は世襲のもので、これによって、社会の中での階級がわかるようになってるんだ。
パラバンガンにもいくつかの流れがあって、歴史や伝承の中にその起源を見い出すことのできる。
歴史に記されているパラバンガンの流れのひとつは、千年以上前のインドネシア、西カリマンタンのカプアス川流域のサンガウに存在した、アバン王朝(マレー・ムスリムの王家の血筋)の子孫だ。今、この王家はなんと22代目なんだ!その他、インドネシアの東カリマンタンのバンジャルマシン
(Banjarmasin)や、ブルネイを起源とする、パラバンガンの家系に関する調査もされている。
でも、ここでは歴史よりもっと面白い話、スマトラのパガール・ロヨンからサントゥボン(Santubong、クチンのサントゥボン山)に渡ってきたダトゥ・マルパティ
(Datu Merpati)の伝説を紹介したい。
伝説によると、ダトゥ・マルパティと妻のダヤン・スリ (Dayang Suri)の間には2人の息子と1人の娘がいた。長男はドラゴンとして生まれ、スルタン・ロム・ラジャ・ナガ
(Sultan Rom Raja Naga)と名付けられ、海へ放された。(そして、今でも彼は生きていると信じられている。)あとの2人は普通に人間として生まれ、娘はダヤン・サリ・ブラン
(Dayang Seri Bulan)、次男はマルパティ・ジェパン (Merpati Jepang)と名付けられた。ある日、ダトゥ・マルパティは、妻と娘をサントゥボンに残して、息子とともに冒険に出かけた。そこへ、ミナンカバウ
(Minangkabau)からラジャ・ペゴ (Raja Pego)という名の片目の王子がやって来て、妻と娘ををさらい、帆船で出発した。ダヤン・スリは短剣を胸に隠しもっていた。早い話が、彼女は、ラジャ・ペゴが居眠りをしている間に、彼を殺してしまったんだ。水夫たちは恐ろしさに逃げ出してしまい、船は沖へと流されてしまった。そこへ突如ドラゴンが姿を現わし、ブルネイへ向けて帆走するよう指示した。そうして、彼らはブルネイのスルタンに保護されたんだ。ダトゥ・マルパティは冒険から戻り、妻と娘がさらわれたことを知った。彼と息子はすぐさま2人を探しに出かけた。彼らがある島にたどり着いた時、大きな雷が落ち、またしてもドラゴンが姿を現わした。そして、2人の女性は安全な場所にいると告げた。このとき、おもしろいことに、ドラゴンはダトゥ・マルパティに2つの宝物を贈ったんだ。ひとつは「ドラゴンのうろこ」、もうひとつは「大砲」だ。この2つの宝物には超自然的な力がある。というのも、とっても重たくて、ダトゥ・マルパティの子孫だけが軽々と持ち上げることができるんだ。(不思議だけど、ほんとの話。この2つの宝物は今も存在し、クチンに住んでいる直系の子孫によって保管されているんだって。面白いでしょ!)後に、ダドゥ・マルパティの息子、マルパティ・ジェパンは、サントゥボンに住んでいたと言われているアバン・アディ
(Abang Adi)という人物の娘、ダヤン・ムルディア (Dayang Murdiah)と結婚し、彼らの子孫がアバン、ダヤンの称号を名のりはじめたのが、サラワクのパラバンガンの流れのひとつとなったと伝わっている。
それじゃ、この他の民族、部族については次回紹介したい。 |