<番外編>
食 風
ハリラヤ・ホリデーの旅行
キャメロンハイランド、タイ国境温泉、ペナン
■■ 長い友との再会 ■■
22日から25日は久しぶりの大型連休断食あけのハリラヤホリデーだ。22日昼過ぎから一路、キャメロンハイランドへ。タパから約2時間かけて登る旧道のスネークロードよりも、遠回りでもシンパン・プライからの新道の方が広くて、曲折もゆったりしているので楽だろうと考え、イポーの一つ手前のシンパン・プライをでた。料金所をすぎて国道一号線を右折、300mくらい行くと信号がありさらに右折する.あとは道なりに走りつづけるだけだ。思わず「こんなに山を切り崩しちゃっていいのかな」というくらいゆったりとした道路構造だ。しばらく走ると、切り通しから流れ出てくる湧き水をペットボトルに汲んでいる人を時折見かける。「『名水百選』のひとつなんだろうね」とつぶやきながら脇を走り抜ける。イポーは石灰岩台地だから、ミネラル分が豊富な清水が湧いているのだろう。
ブルーバリーの三叉路の辺りから雨が降り出した。雨の中、その夜にとまるホテルを探し求めた。ゴルフ場に面したムルリンイン、満室。ちょっと高級なストロベリーも満室。この時期に満室にならないホテルは生き残れない。一番高いホテルならひょっとしたら開いているかも知れない。駄目なら、イポーに下りてて泊まろう」と話していたら、チェックインをしていた若い女性二人連れが「渡邉さんでしょ」と声をかけてきた。「どなたでしたっけ?」、「JFKLのTです」。若くてチャーミングな日本人女性なのに、顔も名前も忘れている自分に飽きれてしまった。
やむなく、新道が開通するまでは閑古鳥が鳴いていたけれど、開通後は最高のロケーションとなったエクアトリアル・キャメロンハイランドに行って空室を探した。運良く一室だけあった。「よかった」と胸を撫で下ろした。景色はいいし、キャメロンハイランドで唯一、国際級のホテルで安心して宿泊できる。それに、ここからはボーティーのプランテーションに近く、採れたて野菜の市場も近い。おまけに、食事どころに予定しているブリンチャンのスチームボードレストランにも近い。
日馬プレスのホームページの食風のなぜか「北部」「キャメロンハイランドはパハン州の一部ですから、東部が正解ということを知らない日本人スタッフが間違えたのです)をクリックすると『キャメロンハイランドの日本人。半世紀前のトマト作りの名人から現在のロングスティに』に文と写真が載っているが、坤記海鮮飯店の店主のキャリー・フーさんとは長い付き合いだ。
地元の中国系の観光客の大半は「涼しいキャメロンハイランドにきたら、あったかいスチームボード」と決めている人が多いらしく、このレストランも立って待っている人が数人いるほどの盛況だった。連れは「どうしましょう?」と言うから、中に入っていくとキャリーさんがでてきて、うれしそうに迎えてくれた。「放っといてくれていいから、とりあえずビールが飲みたい」と片隅のテーブルに座ってチビチビはじめた。考えてみたら、今月初めに退院してから毎日欠かさずアルコール類を飲みつづけている。もちろん、薬も飲んではいるけれど。
セーターを着てスチームボードというのはマレーッシアではなかなかできない贅沢だ。客が帰ると新しい客がはいってくる。夫婦の子供たちが健気に働いて親の仕事を手伝っている。昔は日本でもよくあったことだ。日本の子供たちに見せてやりたい光景だ。いつも思うのだが、マレーシアの中国系の人々は食事のときにアルコールは飲まない。ついでに言うと、中国系の人は男も女も食事を捨ているときに脚を組んでいる人が多い。脚を組んで両肘をついて食事をしたら、親父の拳骨が飛んでくるのが、昔の日本の家庭だった。痛い目にあって、はじめてやっていいこと悪いことの区別を知り、礼儀やマナーを知る。悪ガキだったわたしは学校でも家でも、先生や親父に毎日のように怒鳴られ殴られていた。働き者のキャリーさんの背中を見て子供たちが育っている、そんな感じがしてうれしくなった。
■■ 黎明のとき ■■
翌朝、7時前にホテルを出て、ボーティーのプランテーションに行った。茶畑にも展望台にも人影はない。展望台に立ってまだ明けやらぬ東の空を見つめる。無数にある茶ノ木から発する朝の「気」を一身に受ける。朝霧が立ちこめ幻想的な光景が広がっていた。7時を回り、東の空が橙色に染まりはじめた。わずか数分で太陽は円形に輝きはじめた。「黎明のとき」、キナバル山頂でもそうだったように、神に祈りたい心境になる。
茶畑の労働者がでてくる前にブリンチャン山に登ることにした。ボーティーからは約6キロの道のり、急勾配は少なく、つぎのときには歩いて登ろうと思った。山頂にはテレコムマレーシアの高さ120mの電波塔が立っていた。立派な標識があったと思ったら、合板に書いただけのものだった。せっかくなんだから、石碑があれば絵になるのに残念。と思っていたら、連れの若者が滑って転んだ。お尻が泥だらけになった。わたしのような年寄りは滑らないように注意するのだが、若い人は自信がありすぎて無防備になっているようだ。 ボーティに下りると、労働者たちが作業をはじめようとしていた。噴霧器を担いで殺虫剤を撒くものもいる。急斜面のプランテーションを女性も一緒に働いている。
ティーファーム内で買い物も学校も寺院も間に合ってしまうので、働き者のインド人たちは5年、10年と働き、爪に灯をともすような生活をしながら金を貯め、何時の日か街に自分の店をもつ日を夢見ているのだろう。クアラルンプールで見かけるような肥満体の男女は、ここでは皆無だ。泥だらけのズボンをはいている青年のために、車のシートに新聞紙を敷いてとりあえずホテルに戻り朝飯を食べた。
近くの野菜市場でキューリ、トマト、アスパラ、イチゴなどを買い込んだ。キュウリは不細工だが、サクサクとして美味しい。トマトも茄子も、昔のように巨大なものは減ってこじんまりとした手頃な大きさになってきて、味もよくなっている。アスパラはも美味しそうだ。
同行する人がかわいい女性なら、もっとキャメロンらしい景色の場所に案内したり、タイのシルク王ジム・トンプソンが消えたというムーンライト・コテイジ(松本清張の『熱い絹』では月光荘になっている)の瀟洒なたたずまいも見せてやるんだけど、ついでに、オールド・スモーク・ハウスでティー・フォー・ツーとシャレてみるのだが、相棒がむくつけき男の子(おのこ)では意味がない。
で、本来見るべきコースを半分以上はしょって、山を下り、イポーを通りすぎ、一路、タイ国境の温泉へと向かった。
ここに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。
著作権はA. P. PRESS (M) SDN. BHD.またはその情報提供者に帰属します。
POWERED by
Minamikaze Digital Animation Studio Enterprise