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古い時代の東南アジア華僑の生活の名残が


 水上部落といえば、コタ・キナバルやブルネイの首都バンダースリ・ブガワンなどの“カンポン・アイル”が有名だ。インドネシアのスラウェシ島のブギ族、シンガポールの南の島々に住むリオウ族、フィリピンのミンダナオ島、スールー諸島、ボルネオ島北部などに点在する漂流民族バジャウといった海洋民族の集落という感じがするが、華人も海を生活の場とする以上、海のそば、海の上というのは便利なのだろう。日本だって、昔は河川敷や海岸に張り出した座敷や海の家があった。海を見下ろす小高い丘の上に住んでみたいと思う。水のある風景を見たり、水の上にいるというのは、心が爽快になるものだ。そう、人間は太古には水生動物だった。海は人間にとって生命の根源なのだろう。 

 約150年前から『プラウ・クタム』には潮州人、福建人などが住みついていた。華人の島は「漁師の島」でもあった。人々は海に柱を立て、その上に船着き場を兼ねた家を建てた。遠浅のマラッカ海峡、マングローブの生い茂る島々の中で、漁船とともに生活するとなれば、水上家屋は最も合理的なものだったのだろう。水上だから涼しいという利点もある。
 家と家は木製の橋でつながれ、数百戸、千戸以上の集落を形成するようになった。どの家にも華僑独特の雰囲気が残されている。集落には学校ができ、寺院もできた。荒っぽい海の男たちは信仰心が厚い。男達を送り出した女達にも神の加護が必要だ。豊漁を祈り、海の男達の安全を祈る。水上部落にはいたるところに神が祭られている。
 筋骨隆々とした赤銅色の肌の男達が漁を終え、行きつけの店の軒下に集まって、食べたり、飲んだり、談笑したりしている姿がそこここで見られる。遠い昔、東南アジアに移り住んだ頃の華僑の生活がこの島にはある。
 水道は半島から引かれているらしい。電気もきているが多くの家や店はジェネレーター(発電機)を設置している。テレビもあれば、ビデオショップだってある。片言の日本語をしゃべる人だっている。
 要するに、『プラウ・クタム』は沖合いに浮かぶ「チャイナタウン」なのだ。島では福建語が主流らしい。北京語もなんとか通じるという噂だ。英語はほとんど通用しない。かつて、島の人々は小学校を卒業すると漁師の修行をさせられてきた。だから、中年以上の人たちは英語が苦手なのだろう。けれど、若い人たちは違う。もちろん、親たちの意識も変わってきた。
 島にないものは、自動車、交通信号、喫茶店、ディスコ、映画館、スーパーマーケット(雑貨店)。あたりまえだけど、日本レストランもスターバックス、星のついているホテルもない。まるで吉幾三の「おらあ、こんな村いやだ」の世界だ。子供たちは「おらあ、こんな村いやだ」と、クランやクアラルンプールで生活したいと願って島を出ていく。子供たちに、自分達には願ってもかなわなかった高等教育を受けさせたいという親も増えてきている。島から、若者の姿が少しずつ消えていく。やがて、老人と幼児ばかりが多い過疎の島になってしまうのだろうか。
 人々は自転車を脚代わりに使う。最近はエンジン付きの自転車がトレンディーだ。日本ならさしずめ「チャリンコ・バイク」いうところだ。クアラルンプールやペナンのような「チャリンコ・バイク」暴走族はいない。というより、できない。なにしろ、メイン道路は舗装してあっても、日本でいう1間道路、つまり幅員は2メートルに満たない。木製道路となると半間(3尺)道路、つまり幅が約1メートルしかない。その道を人が歩き、いや観光客が行列して歩き、チャリンコ・バイクや自転車がすり抜けていく。
 道路脇に手摺はなく、踏み外せば干潟や海に落ちる。「きっと、干潟も海も150年前からゴミ拾いなどしたことがないんだろうなあ」と思えるほど、ゴミだらけだ。満潮がくれば、自然の浄化作用できれいになると信じているのだろうか。太陽と月と金星が、カニ島の上で一直線になってくれれば、歴史的な大潮になってきれいになるかもしれない。それか、スマトラ島の火山が大噴火して、津波が発生したら‥‥、ん、ちょっと待て、どうなっちゃうんだろ。
 
観光地化とゴミのポイ捨て

 『プラウ・クタム』の船着き場のある集落には、郵便局や電話局、警察署などの公官庁やホテル、カラオケ、観光客相手の土産物屋やレストランが立ち並んでいる。といっても、木造平屋建ての質素なものばかりだ。当然観光客も多い。団体さんが行列を作って歩いている。圧倒的に多い中国系の観光客に混じって欧米人もカメラを持って歩いている。レストランなどからときどき、片言の日本語で声が掛かるところをみると、どうやら日本人がくることもあるのだろう。
 レストランは海鮮料理が多い。カニ島だけにカニ料理がおいしいという噂だ。おいしいか、まずいかは、死んでもカニを食べたくない人間には確かめようがない。そして、なぜか、肉骨茶(バクテー)屋さんも2、3軒ある。これは肉骨茶を名物としているクランが近いからかもしれない。商売意欲の盛んな店もある一方で、一度ポッキリの客と割り切って適当にやっている店もある。
 最悪なのが、フェリー乗り場の公衆便所。40年以上前の国鉄(現在のJR)の駅の公衆便所に勝るとも劣らないすさまじいものを感じた。築後まもないコンクリート製だけに、その荒廃ぶり、悪臭は筆舌に尽くしがたい。
 とかく人というものは、自分の所有物や管理下にあるスペースは整理整頓し飾ったりもするが、一歩でもそこからでると、ゴミは散らかす、傷つけたり壊したりする。シンガポールのリー・クワン・ユー前首相が、自国民のそんな性癖を正そうと、様々な規則を作り罰金を科した気持ちがわかる。ただ、規律正しいシンガポール人も、国境を越えると本性に戻ってやりほうだいになる。
さすが四千年の歴史は伊達じゃあないなと感心する。
 それはともかく、レストランの店員がペットボトルを海に捨ててケロッとしている。島の住民も、観光客もゴミは海にポイッと気軽に捨てている。自由の国アメリカでも、あまり見られない光景だ。

昔のままの雰囲気、人の心が残るスンガイ・リマ


 観光地化し過ぎた場所はつまらないという人は、ボートで10分ほどのスンガイ・リマ(五條)の集落の方が、昔からのいいところを多く残しているので、お薦めだと思う。観光客向けの施設などない昔からの水上集落だから、不便さはあるが村人たちの気持ちは穏やかで親切だ。
 古びたコーヒーハウスにたむろしている村人たちの脇に座って、ノンビリすると、彼等から話しかけてきてくれる。日本人だと分かると、片言の英語を話す進歩的島民が以上総代で質問をしてくる。フェリー乗り場でフェリーを待っていると、「この船に乗んなよ」と嫁入り船に乗せてくれた。「観光客はこの先のジェティーがいいから、送ってもらいな」と船頭に頼んでくれた。
 昔のままで、何にもないから、いいもの、人のよさが残っているのだろう。部落を歩いていると、人々のふだんの生活をそのまま見ることができる。これがあるから『プラウ・クタム』なんだよな、と思うのである。

<『プラウ・クタム』への行き方>
車なら、フェデラル・ハイウエーを終点まで行き、さらに直進。クランの街を通り抜け、どこまでも直進するとクラン港につく。 KTMを利用する場合は、KLから約1時間20分、終点の“クラン港(Pelabuhan Kelang)駅”で下車。目の前がフェリー乗り場。
『Pulau Ketam Air Conditioned Ferry』
切符は船内で購入する。


<本稿は日馬プレス第241号(2003年1月1日)に掲載されたものです。>


 

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