中央部の情報

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 クアラルンプール首都圏をクラン・ヴァレーと呼ぶ。クアラルンプールをKLと呼ぶように、クラン・ヴァレーの人々はポート・ディクソンを親しみを込めてPDと呼ぶ。
 KLから約100km、車で約1時間15〜30分にあるPDは、クラン・ヴァレーの人々にとって「もっとも身近な海水浴場」、東京にとっての湘南海岸のようなものなのだろう。ウィークエンドや祝日には家族連れや恋人同士、友達連れで海岸が埋まる。男性はTシャツにジーンズのまま、女性も着てきたままで海に入っているのを見ると文化の違いを感じる。もちろん男の子たちは日本の田舎の子供たちと一緒、元気にバシャバシャやっている。
 マラッカ海峡の海水はお世辞にもきれいとは言えない。よその国のことだから「海が汚い」と言うけれど、日本の海だって沖縄や南西諸島の海を除けば、やっぱりお世辞にもきれいとは言えない。絶海の孤島でもない限り、滅多にきれいな海にはお目にかかれないのだから、我慢、我慢。

 PDの海岸は市街の北にあるパワー・ステーション(火力発電所)あたりから、南に約20kmにおよんでいる。海岸沿いにはリゾートホテルやリゾートマンション、ヨットクラブ、海鮮レストランがならんでいる。マラッカ海峡に沈む夕日を見ながらビールを飲む。あるいは恋しい人に愛を伝える。悪くはない舞台設定だ。
 数年前、情けないことに、その舞台で突然意識不明になったことがある。意識不明の原因は不明で終わり、カッコ悪い思いをした。緊急入院した病院の隣にポート・ディクソン・ゴルフ&カントリークラブがある。中高齢者にやさしいということか。(入院して、2、3時間後に意識が回復し、元気も回復。その日のうちにKLに戻ってしまったのです。ひとりで残されたら言葉は通じないし、淋しいやら、退屈やらで、慌てふためいたというのが現実ですが‥‥)
 わたしとPDは相性がよくないのかも知れない。セレンバンへの高速道路に入った頃から小雨が降りはじめた。シトシトと降る雨はなかなかやまない。PDに着くまでに上がってほしいと願ったが、小雨は小止みなく降りつづいていた。

ラチャード岬灯台周辺は野鳥の宝庫

 海水浴にもいいのだが、自然愛好家にとっても魅力的な場所がPDにはある。PDの町の中心から南に(マラッカ方向に)約16km、マラッカまで78kmの標識をすぎ、Tanjung Tuan(Blue Lagoon)と書かれた標識にしたがって右折する。道の左側にはマレーシア空軍基地。道なりにドンドン行くと、どん詰まりにイルハム・リゾート(Ilham Resort)がある。イルハム・リゾートの玄関の先がラチャード岬(Cape Rachado)灯台への入り口だ。ここから先は、許可のない車両、バイクは入ることができない。因みに、この一帯をタンジュン・トゥアン森林保護区と呼ぶ。
 ジャングルの中の舗装道路は少し急な上り坂になっている。傘をさして登りはじめてすぐ右側にトレッキング道路への入り口がある。舗装道路を12〜15分登るとラチャード岬灯台の階段にぶつかる。階段を上っても、灯台内に入ることはできない。マラッカ海峡を行き交う船舶をレーダーが見守っている。マラッカ海峡を越えて密入国者がやってくる。航行する船舶を狙う海賊船も横行している。もちろん、海上の国境を越えてくる勢力があるかもしれない。様々な意味で重要な情報をコントロールしているのだろう。
 ラチャード岬灯台は北緯2°24.4、東経101°51.2に位置し、灯台の建物の高さ24m、海面からの高さは118m、15秒沖に点滅する。最初、ポルトガル人によって建てられたが壊れ、1863年にイギリス人によって建て直された。以来、140年間、マラッカ海峡を航行する船舶を守りつづけてきた。
 福沢諭吉が徳川幕府の竹内下野守の遣欧使節団に加わってマラッカ海峡を通過したのは文久二(1862)年だからこの灯台のできる直前だ。元治元(1864)年にはイギリスに武器の買付けに行っていた長州藩士・伊藤俊輔(博文=初代首相)と井上聞多(馨)が、同じ時期、オランダで海軍の勉強に来ていた榎本釜次郎(武陽)などが、日本人として出来たてほやほやのこの灯台を見た人達だ。
 明治38(1905)年4月、日露戦争で日本海海戦に向けてマラッカ海峡を行くロシアのバルチック艦隊43艘もこの灯台の光を見ていったことになる。明治44(1911)年8月には、日露戦争勝利の立役者の東郷平八郎大将、乃木希典大将がイギリス国王戴冠式に参列するためにマラッカ海峡を通過している。
 灯台を囲むフェンスの周りを歩くと、はるか下の海の美しさに驚く。天気がよければ、青く澄んだ海の下にサンゴ礁を見ることができるという。そして海峡の向こうにはスマトラ島が見えるという。沖合を貨物船がゆったりと通り過ぎていく。
 
森林保護区でバードウォッチング

 灯台の下でマレー人の青年とあった。おとなしくて上品な猫を連れた青年は、バードウォッチングにきたのだという。「雨で鳥が隠れてしまった」と残念がっていた。ラチャード岬灯台を包み込んでいる原生林は野鳥の宝庫だという。そういえば道すがら鳥の声がひっきりなしに聞こえていた。
 「3月の第一週、3月3、4、5日ごろに中国や日本に戻っていく渡り鳥たちがここを通過していくんだ。バードウォッチングの愛好家には最高なんだ。1、2週間前に(地元の)新聞に予測日程が載るからそれを確認してから来るといいよ」という。そういえば昨年、『日馬プレス』にそんなインフォメーションが載っていたような気がする。「バックナンバーを読み返してみよう」と思った。


 

 青年はしぶとく小雨がやむのを待つらしい。中学1年生のときに生物の先生と喧嘩して以来、大の生物嫌いになったわたしは鳥も虫も動物も植物も、細胞膜や生態系、浸透圧なんて関心の外に置き去りにしたままだから未練はない。さっさと灯台をあとにした。 天気さえよければ、原生林のトレッキング・コースをすべて歩いてみようと予定していたのだ。今回はひとりできたのだから、好き勝手に歩けると思っていた。しかし、傘をさしてトレッキングというのは粋ではない。これは信念だし、腕が疲れる。というエクスキューズ(言い訳)で中止した。
 ここにきたら華人たちが「霊験あらたか」だと信じている中国寺院に詣でるべきだし、マラッカ王国の建国者であるスマトラ島パレンバンの貴族パラメスワラの足跡という巨大なくぼみのある岩を見たいとも思っていた。それは雨で断念せざるを得なかった。だいたい東南アジアの足跡の残った岩というのは眉唾物で、パレンバンのセグンタン丘にはアレキサンダー大王の足跡がある。アレキサンダー大王(紀元前356−323年のマケドニアの王)はイスラム諸国ではイスカンダールと呼ばれており、イスラムの英雄とされている。伝説とか神話とかいうのはそれでいいのだ。ジンギスカンを源義経とする伝説だってあるんだから‥‥。

リゾート・ホテルと海景海鮮村

 ラチャード岬灯台前のリゾート近くのビーチは景色はいいし、海の悪くない。ウィークデーに行けば、ひっそりとしたプライベート・ビーチの雰囲気を味わえるかもしれない。イルハム・リゾートあたりに宿泊すると、秘境といった感じがするかもしれない。
 PDには数多くのリゾート・ホテルがある。どのホテルもプロモーションをしていて、料金はやすい。そして、海鮮料理。わたしは発電所の北にある海景海鮮村(Seaview Sea food Village)が気にいっている。とはいえ、蟹と海老が見るのも嫌いなわたしにはビールが一番。ここに来るのは、同伴者に喜んでもらいたいという一心なのだ。

去年の『タカの春の渡り』の記事から
 昨年2月16日号『日馬プレス』には、「マレーシア自然保護協会は3月2、3日ポート・ディクソン郊外のイルハム・リゾートにて、毎年恒例のタカの渡りの観察を開催する」と書かれている。(「観測を開催する」と、日本語としては適切でない表現があるが、これは関係者からの投稿なので了承してください。また、繰り返しますが、この日程は去年の話です。今年の日程は地元紙などで確認してください。)
 「この時期、タカは越冬したインドネシア各地からスマトラ島に集結しマラッカ海峡を越えマレー半島に渡る。その後、繁殖地のシベリアや中国、モンゴル、日本などへ向かう。」とあり、「観察地は、スマトラ島とマレー半島が最も接近する場所。タカの飛翔は、上昇気流に乗って舞い上がり、そのまま滑空するため海峡の狭い場所を選んで渡る。マラッカ海峡を越えたタカは、観測地点に隣り合うタンジュン・トアン森林保護区で羽を休める。」ということだ。
 両翼を広げると1m以上あるタカが数百羽、群れをなして上空を飛び交う姿を見に、多くのバードウォッチ愛好家がやってくるという。

詳しいお問い合せ先:
(Malaysian Nature Society:Tel:03-2287-9422)
2001年には4日間で7,737羽が観測された。  


<本稿は日馬プレス第244号(2003年2月16日)に掲載されたものです。>


 

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