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マレーシアに初めてやってきたひと、どこに行っていいのかわからないひと、そんなあなたにはクアラルンプールでもっとも経験豊富な旅行会社のひとつ「シャクソン」の(SIAKSON Tour & Travel)の『ハリマオツアー』がお薦めです。
旅行ガイドブックを見ながらというのもいいけれど、タクシーをチャーターしたり、レンタカーや自家用車でというのは地理も分からず交通事情も異なる国ではちょっとリスクがあります。最初の1回目ぐらいは日本語ガイド付きのツアーで安全に確実に観光するほうがいいと思います。
 日本語ガイドが案内する定期観光バス『ハリマオツアー』には下記の7種類ある。

『市内観光』
クアラルンプール市内の観光名所を約5時間でご案内する。午前9時出発、午後2時帰着予定。

『マラッカ』
歴史と港の街マラッカの名所旧跡を見て歩く午前9時から午後5時まで、約8時間の日帰りツアー。    

『ホタル』
セランゴール川河口に延々とつづくマングローブ。あたかもクリスマスツリーのようにマングローブに無数のホタルのほのかな光が点滅する幻想の世界。新鮮な海鮮料理とともに人気のツアーは夕方5時から10時半まで約5時間半。

『ゲンティン・ハイランド』
海抜2000mの山岳地帯にある一大リゾート。カジノだけでなく、最新のゲームやジェットコースターなどお子様向けの遊具などもたっぷり、大自然の中で森林浴も満喫できる。午前9時半から午後5時まで、約7時間半の日帰りツアー。

『アニマル・ワールド・サファリ』
マラッカに近い「A'Famosa」にある野生動物公園。午前9時から午後5時まで、所要時間は約8時間。

『プトラ・ジャヤ』
クアラルンプール南部の郊外にできた新行政都市。広大な地域に首相府、プトラ・モスクなど豪華絢爛な連邦政府の省庁などがある。午前9時から午後3時まで、約6時間のツアー。

『動物園・バツー洞窟』
クアラルンプール北側郊外にある。バツー洞窟は必見。午後2時から6時半まで約4時間半。

もっとも感動的なのは『ホタル』、家族連れに人気があるのは『アニマル・ワールド・サファリ』だという。歴史に残る古いマレーシアを象徴するのが『マラッカ』で、目覚ましい発展途上にあるマレーシアを象徴するのが『プトラ・ジャヤ』だ。どれをとっても「これぞマレーシア」。マレーシアを知る第一歩だ。
 

歴史と港の街『マラッカへ』

 朝9時、クアラルンプール中心部の高級ホテルのロービーにガイドのヤップさんが迎えにきた。今日の参加者は4名。「これなら静かな雰囲気でのんびりゆける」と一安心。最近ちょっと寝不足気味のわたしには、片道2時間弱の行き帰りの時間帯は貴重な休息時間だ。
 実をいうと、わたしがマラッカに行くのはこれで数十回目になる。ただの一度も旅行会社のお世話になったことがない。最初にきたのが11年前、観光客だって少なかったし、車ははるかに少なかった。地図を見ながら「あっちだ。こっちだ」とやっていても、後ろの車にクラクションを鳴らされたり、煽られたりすることもなかったのだ。昔はガイドブックを見ながら、じっくり観光して歩くことができたのだ。
 日本から友人知人がくる度にマラッカにやってくる。ここには企業で働く日本人の友人もいるし、マレーシア人の柔道の仲間も大勢いる。自分で車を運転して自由自在に観光できるし、ほとんどのことを知っている、と自分では信じていた。「でも、マレーシア人だからこそ知っていることを聞きたい」と思い、「今日はただの観光客でいこう」と考えた。午前中は、自分が『日馬プレス』の人間であることをヤップさんには言わなかった。いつもの通りのガイドをしてほしかったからだ。
  少人数なので新しく清潔なベンツのバンを使用。そう、世界の名車ベンツにだってバンもあれば、バスだってある。運転手は若くて颯爽としたインド人。名前はよく聞こえなかった。ちょっとおしゃべり(インド人としてはふつう)で、声が大きいのが難点だが、ヤップさんは比較的口数が少ないのでバランスがとれている。
 ヤップさんから、ツアーのコースの説明と簡単なマラッカについての歴史的な説明があった。インドネシア、スマトラから逃れてきた貴族パラメスワラがマラッカに王国を築いた話や、交易で栄えた話、その後、ポルトガルやオランダ、そしてイギリスに占領された話などがあった。残念ながら、この辺りから意識がなくなっていった。安眠が妨げられたのは、セレンバンの手前でのトイレ休憩。10時半頃にマラッカ出口(Air Keroh)をでた。
 本当はマラッカにつく前に「ゴム園」の見学が予定されていたが、雨模様のために帰りにいくことに変更した。マレーシア連邦を構成する13州(ほかに連邦特別区がある)の各州独特の建築を見ることができる「ミニ・マレーシア」は改装中のために当分の間、見学はできなくなっている。
 マラッカ州にはナショナル、ジャスコなどがあるが比較的日本企業が少なく、韓国系と台湾系企業が多いそうだ。1月末にHONDAの組立て工場がオープンしたことが、マラッカ州で明るい話題となっている。
 
東南アジア最大の華人墓地「ブキッチナ」

 バンは東南アジア最大、というより中国本土以外では最大の華人墓地「ブキッチナ」の脇を通った。約1万2千のお墓があると言われている。15世紀に明と朝貢関係を結んだマラッカ王国に、明の王女が500人の従者をつれて降嫁してきた。以来、数多くの中国人がマラッカに住み、新だのちは「ブキッチナ」に埋葬された。麓には15世紀に明の船団が訪れたことにちなんで1795年に建立された「三宝公寺院(サン・ポー・コン)」や明の王女の侍女たちによって造られた「スルタンの井戸」がある。

 「スルタンの井戸」と背中合わせに、日本人の観光ツアーのコースには絶対に入らない、第二次世界大戦中に日本軍に抵抗して殺された華僑の人々の碑『馬六甲僑胞殉難記念碑』がある。もちろん、『ハリマオツアー』のコースにも入っていない。
 昭和16(1941)年12月8日マレー半島コタバルなどに上陸した日本軍は昭和17年2月15日、シンガポールを制圧した。日本陸軍第25軍(司令官・山下奉文中将)はシンガポール、マレー半島の警備を強化する一方、華僑系住民の反日勢力の一掃を謀った。いわゆる華僑粛清(正しくは粛正)とも華僑虐殺ともいわれている。
 占領後のネグリ・センビラン、マラッカ両州の警備は第5師団(司令部広島、師団長・松井太久郎中将)歩兵第9旅団(旅団長・河村参郎少将)第11連隊(連隊長・渡辺綱彦大佐)が担当した。長ったらしいが広島の部隊である南警備隊(警備隊長・渡辺綱彦大佐)配属の4つの掃蕩隊によって、昭和17(1942)年3月25日、共産党員の可能性がある者、資金提供者、反日的華僑、武器保有者などを一斉に摘発した。捕らえられた者は2千人以上、そのほとんどが同日釈放されたが、300人以上が監獄に繋がれ、二度と帰ってこなかった。逮捕され殺害されたひとの多くは、中華民国に関係するものを所持していたという理由だったという。
 戦後、イギリス軍によって行われたBC級戦犯に対する軍事裁判で渡辺綱彦連隊長は死刑の判決を受け、昭和23(1948)年1月に銃殺刑を執行されている。
 『馬六甲僑胞殉難記念碑』の前に来る度に、強大な日本軍に徒手空拳で戦いを挑んだ勇士であり、英雄であるマラヤ共産党、抗日義勇軍など抗日組織に参加したり援助していた華僑の人々に、わたしは敬意の念を表することにしている。ヤップさんをはじめ、ことごとくのマレーシア華人は過去の戦争中の悲惨な歴史を口にしない。マラッカの友人たちも絶対に触れない。だから、知らん顔をしていいわけではないと思う。


<本稿は日馬プレス第244号(2003年2月16日)に掲載されたものです。>


 

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