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「スルタンの井戸」と背中合わせに、日本人の観光ツアーのコースには絶対に入らない、第二次世界大戦中に日本軍に抵抗して殺された華僑の人々の碑『馬六甲僑胞殉難記念碑』がある。もちろん、『ハリマオツアー』のコースにも入っていない。 昭和16(1941)年12月8日マレー半島コタバルなどに上陸した日本軍は昭和17年2月15日、シンガポールを制圧した。日本陸軍第25軍(司令官・山下奉文中将)はシンガポール、マレー半島の警備を強化する一方、華僑系住民の反日勢力の一掃を謀った。いわゆる華僑粛清(正しくは粛正)とも華僑虐殺ともいわれている。 占領後のネグリ・センビラン、マラッカ両州の警備は第5師団(司令部広島、師団長・松井太久郎中将)歩兵第9旅団(旅団長・河村参郎少将)第11連隊(連隊長・渡辺綱彦大佐)が担当した。長ったらしいが広島の部隊である南警備隊(警備隊長・渡辺綱彦大佐)配属の4つの掃蕩隊によって、昭和17(1942)年3月25日、共産党員の可能性がある者、資金提供者、反日的華僑、武器保有者などを一斉に摘発した。捕らえられた者は2千人以上、そのほとんどが同日釈放されたが、300人以上が監獄に繋がれ、二度と帰ってこなかった。逮捕され殺害されたひとの多くは、中華民国に関係するものを所持していたという理由だったという。 戦後、イギリス軍によって行われたBC級戦犯に対する軍事裁判で渡辺綱彦連隊長は死刑の判決を受け、昭和23(1948)年1月に銃殺刑を執行されている。 『馬六甲僑胞殉難記念碑』の前に来る度に、強大な日本軍に徒手空拳で戦いを挑んだ勇士であり、英雄であるマラヤ共産党、抗日義勇軍など抗日組織に参加したり援助していた華僑の人々に、わたしは敬意の念を表することにしている。ヤップさんをはじめ、ことごとくのマレーシア華人は過去の戦争中の悲惨な歴史を口にしない。マラッカの友人たちも絶対に触れない。だから、知らん顔をしていいわけではないと思う。 |
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<本稿は日馬プレス第244号(2003年2月16日)に掲載されたものです。> |
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