ボルネオ島の情報

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いざ、サラワクのロングハウスへ
 気づくと目の前には大きなロングハウス。ここはサラワク・パカンにあるイバン族のロングハウスだ。クチンのバスステーションで突然出会った友人に誘われ、このイバンのロングハウスを訪れた。
 クチンから長距離バスで6時間、サリケイという町に着く。それからローカルバスに乗り換え、1時間、パカンという山奥の町へ。そしてランドローバーに乗り換え道なき道を40分。これで到着か、と思ったが、そこは親戚のロングハウス。そこから荷物を降ろし、ジャングルの中へ。丘を越え、川を越え 30分、ようやく到着だ。

イバン族

 イバン族はサラワク州最大の民族で、サラワク州人口の約3割を占めている。川沿いにロングハウスという形態の家を構え、農耕、狩猟などをして生活している。最近は現代化の波にのって、食料などを町から買ってきたり、イバン族のカンポン内にも小さな商店があったりする。このロングハウスという家には、10前後の家族が住んでいる。各家族はロングハウスの中の区切られた各部屋で生活を営んでいる。昔は首狩族として名を馳せていたが、今は温厚な人たちで、訪問したときは暖かく迎え入れてくれた。
 

食糧確保
 彼らの主食は米。農地がカンポン周辺のあちらこちらにあり、そこで稲やらその他の野菜、果物などを栽培している。米はすでに保存してあったので、新鮮な野菜をゲットするために外へ出る。
 彼らの手にもたれていたのは大きなナタ一本。急な斜面にある菜園へ向かうことに。途中、農耕の拠点となる小さな小屋にたどり着く。ここには農耕道具が一式そろっている。なるほど、家を出るときに軽装だったのはこういうことだったのか、と納得しながらここを通過して目の前にある菜園へ。
 この菜園には、ドリアン、チュンパダック、ランブータンなどの様々な果物のほか、ウビ、さとうきびなどの野菜も豊富に育てられていた。彼らは一通り食料をゲットしたあと、先ほどの小屋に戻って休憩する。すると、頭上から大きなチュンパダックがドスン、と落ちてきた。上を見上げると、10メートルはあるかと思われる木に少年が登っていて、チュンパダックを採っていたのだ。少年時代に木登りはしたことはあったが、さすがに2メートル程度。10メートルもの木に登るとは、さすがです。
 ここで、さっき採ったばかりの新鮮なさとうきびをいただく。自然の甘さがじわっと口に染み出し、さっきの移動などの疲れがすっと取れていく感じだった。

川でお風呂
 必要最低限の野菜などをゲットしてきた後は、ロングハウスの目の前にある川でマンディ(水浴び)することに。彼らの家にはシャワールームなどはなく、マレーカンポンによくある水を汲み溜めるおおきな水桶もない。となると、マンディはどうなるのか、と心配していたが、その心配はすぐに消えた。目の前に自然の恵み、川があるのだ。彼らは毎日日が沈む前(夕方5時ぐらい)にこの川でマンディをする。
 男はパンツ一枚。女性は大きな布を体に巻いて川へ入る。川の中は思った以上に冷たく、汗を大量にかいた後なのでかなり気持ちよかった。少年達は川で泳いだり、魚を採ったり。女性達はさっき採ってきた野菜なんかを洗ったり、皮をむいたりして食事の下準備をする。食器を洗うのもこの川だ。
 一通り遊んだり、食事の準備をしたあとは、シャンプーや石鹸を取り出し、体を洗う。と同時に着ていた服も一緒に洗っておく。こうすれば2度手間にはならずに済む。
 

さて、夕食は・・・
 マンディが終わるころにはすでに日が沈んでおり、暗闇がジャングルを支配し始める。家に戻るとロウソクが灯されていた。公共の電気はここには整備されておらず、電気が必要な場合は外にあるエンジンを動かして電気を得る。ちょうどお世話になった家はエンジンの調子が悪く、ロウソクしか明かりはなかった。
 ロウソクの火に照らされながら食事の準備が始まる。食事ができるまでは友人のお父さんと談話して待つ。ちなみにイバン族はイバン語を話す。このイバン語、マレー語に似ていて、例えば、マカン(食べる)はマカイと言ったりする。マレー語教育も受けているのでマレー語が話せる。なのでコミュニケーションはマレー語が使えるとなんとか成り立つ。友人は英語も堪能なので、時には助けてもらった。

 さて、夕食が出来上がったみたいだ。メニューは、豚のイバン風煮付け、豚の揚げ物、チュンパダック・スープ、葉野菜の和え物、そしてご飯。イバン族は大半はムスリムではないので豚を食べることができる。家に来る前に豚が食べられるかどうか尋ねられたのはこのことだったのか、と一人で納得していた。
 味の方は、意外と日本人にも受けるような味で、ほのかなしょうゆの風味が効いてたりと食が進んだ。

夜の楽しみは・・・
 ボルネオ島は半島部に比べて夜が早く訪れる。しかもこのロングハウスの周りはジャングルしかない。 TVも無い彼らの楽しみは、ラジオを聞いたり、音楽を聞いたり歌ったり。あとは、各部屋の前にある廊下みたいな広場にあつまっておしゃべりをすること。時には夜食なんかが出てきたりと夜のおしゃべりをみんなで楽しんでいる。イバン語なので大半は聞き取れなかったが、戦後初の日本人とあってめずらしいのか、いろいろ質問攻めに会った。あと、デジタルカメラを携帯していったのだが、撮ってすぐに写真が見られるのが彼らには新鮮で、一枚写真を撮るたびにたくさん人が押し寄せてきて撮った写真に見入っていた。
 そして、しゃべりつかれて眠くなった人から床へつく。一人、また一人と帰っていって、10時過ぎにはみんな自分の部屋へと帰っていった。

そして、ロングハウスを後にする
 日が昇る6時ごろにはみんな起きだす。朝食を取って、仕事をしに外へと出て行く。朝食をいただいた後は荷物をまとめて、7時ごろにはロングハウスを後にする。拠点となる町、パカンからサリケイへ向かうバスは一日に数本しかなく、一本逃すと相当待つことになるのだ。
 来た道とは別の道を通り、ジャングルを抜け、川を越え、ぬかるみにはまりながらようやく道らしい道に出る。するとパカン行きのバスがちょうど通りかかり、それに乗ってパカンへ。長いようで短いロングハウス体験だった。
 一般の旅行者向けにあるロングハウスツアーとは違い、ローカルの友人を通して訪問するとありのままの生活を垣間見ることができた。


<本稿は日馬プレス第261号(2003年11月1日)に掲載されたものです。>


 

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