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北部の情報(ペルリス、ケダ、ペナン、ペラ)

 アンダマン海とマラッカ海峡に面したマレー半島西北部のうち、タイと国境を接するペルリス州とケダ州は豊かな穀倉地帯として知られている。おだやかなイスラム教徒であるマレー人たちが独自の文化をはぐくんでいる。
 1786年に英国の東インド会社のフランシス・ライト船長によって統治されるようになったペナン州は自由港として交易商人たちによって栄えた。現在は世界の最先端をいく工業と商業、そして観光の島として栄えている。かってはスズ鉱業が主要な産業だったペラ州は穀倉地帯であり、内陸工業地帯には日本企業も多く進出している。
 リゾートと都市が隣接しているペナン島は、日本の中高齢者のロングスティの人気スポットとして注目を浴びている。ペナン島は檳榔樹(びんろうじゅ)の島と呼ばれ、ペナンヒルから見下ろすジョージタウンは百万ドルの夜景として世界中の人々のあこがれの景勝地だった。英国によって保証された自由をもとめて、満族の清王朝の弾圧に抵抗していた福建省出身の中国人や、シャム王国の宗教弾圧を逃れてきたユーラシア人、シャム(タイ)からの侵略を逃れた国境周辺のマレー人避難民、貧困と紛争から逃れてきた南インド人たちが流れ込んできた。様々な人々が共存してきたペナン島には、マレーシアの他の地域とは異なる独特の文化が残されている。
 江戸時代末期、長州藩士だった伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)らが尊皇攘夷派のための武器の買い付けのために、密航してロンドンにいた。彼等を乗せた英国船がペナン港に停泊した。密航して英国に渡った長州藩士らは倒幕の意思は変わらなかったが、開港反対の攘夷論をすて、開港論者になったという。明治維新の英雄たちがペナンのチャイナタウンを歩いていた。想像するだけで楽しくなる。
 タイとの国境を越えれば、まったく異質の文化がある。ランカウイ島やペナン島とともに、南タイのプーケット島を訪れるのもおもしろい。飛行機なら数十分で二つの文化がたのしめる。ケダ州のアロースターからタイ南部の都市ハッチャイまで、ゴムのプランテーションの間の道を陸路で国境を越えてゆくのは、島国育ちの日本人には貴重な体験だ。

 



 

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