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南部(マラッカ州、ジョホール州) 1391年頃、スマトラ島のシュリビジャヤ王国の王族の一員だったパラメスワラによってマラッカ王国が誕生した。15世紀、マラッカはヨーロッパとインド、中国、インドネシアなどを結ぶ交易商人達の中継基地として、政治経済の中心地として繁栄した。興味深いのは、15世紀初頭、琉球(現在の沖縄)の交易商人達がマラッカを訪れ、丁重に扱われたという記録があることだ。そして、朱印船の到来を記した碑も残されている。 1511年にポルトガルの艦隊に敗退し、ポルトガルの支配下におかれるようになった。1641年からはオランダが、1824年からは英国の植民地となった。マラッカ海峡の交易の要衝として、新世界への影響の拡大を目指すカトリックやプロテスタントのベースキャンプとなっていた。貿易港としての機能はマラッカ河口が泥で埋まるにつれ、しだいに廃れていった。代わりにシンガポールが脚光を浴びていった。 マラッカは歴史の街として様々な遺跡を残している。ポルトガル人の居留地、形式的に中国の明の臣下となり降嫁された明の王女やお供の人々とマレー人との間に生れたババ・ニョニャ文化、聖フランシスコ・ザビエルの遺体を安置したというセント・ポール教会、オランダ軍を迎え撃つためにポルトガル人が造ったサンチャゴ砦などがある。 ジョホール州の南西にタンジュン・ピアイ(ピアイ岬)がある。世界地図でヨーロッパ大陸とアジア大陸とを合わせたユーラシア大陸の最南端を探してみると、タンジュン・ピアイにぶつかる。マラッカ海峡の南端に位置し、シンガポールのジュロン工業地帯を望むタンジュン・ピアイには灯台がある。沖合を貨物船やタンカーが通っていく。 州都ジョホール・バルは国境の街に相応しい喧騒がある。買い物もゴルフも安いから、週末にはシンガポール人が大挙してやってくる。マレーシア在住日本人とすれば、「(シンガポール人がきてくれるのは)マレーシアが儲かるのはうれしいんだけど、悔しいよな」という複雑な心境にさせられる。 ジョホール州は日本との関わりの深い州だ。 795年に平安京に遷都した桓武天皇の孫にあたる高岳親王は、父の平城天皇が政争に敗れたこともあって、空海(弘法大師)の弟子となり、真如親王として仏門に深く帰依した。862年に真如親王は唐(中国)に渡り修行した。さらに865年には海路で釈迦の聖地のある天竺(インド)へと旅立ち消息を絶った。後に、真如親王は病を得て羅越国で逝去したと伝えられた。羅越国とは現在のジョホール州にあったのではと推定されている。真如親王がマレーシアを訪れた最初の日本人だとされている。 マラッカ州に近い河口の街バトゥ・パハは、戦前は奥地のスリメダンにあつ石原産業の鉱山からの荷船が頻繁に行き来し、近くにはゴムのプランテーションが広がり、多くの日本人がこの街を歩いていた。流浪の詩人である金子光晴の『マレー蘭印紀行』にもバトゥ・パハですごした日々が書かれている。 ジョホール州の東南にある半島にジョホール川がある。この川沿いには戦争が終わるまで、日本企業が経営するゴム園がならんでいた。マレー半島で怖いものは「マラリアと虎」といわれていた時代だった。今ではマラリアは都市部では皆無に近く、数少なくなった虎も象も山奥でひっそりと暮らしている。 ゴム園のあったあたりから、フェリーボートに乗ると、シンガポールまで1時間かからない。南シナ海、熱帯のジャングル、自然たっぷりのゴルフ場、気分転換にシンガポールへ。けっこうぜいたくな生活だと思いませんか。 |
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