マレーシアの独立を祝う国旗の列に思う
渡邉明彦
  「日の丸」、「君が代」への思いの変化日本人は「戦争とはもっとも縁の薄い民族」
「日の丸」、「君が代」にアレルギーになるよりも
 
 8月31日はマレーシアの独立記念日。今年も8月の声を聞く頃から、マレーシア国旗をつけた車が町中を走っていた。
 わたしたちが驚くのは、路線バスや大型トラックに縦横それぞれ1メートルもある布製の国旗を棒に括りつけて、走っていることだ。わたしは国旗をつけて走っているんだから、国の規則に則って、そして、マレーシア人としての誇りをもって交通マナーを守ってくれるだろうという期待をもってしまう。
 残念ながら、いつも期待は裏切られる。国旗をつけているということ以外、なにも変わらない。
 ある人から「今年は国旗をつけている車が少ないね」と言われた。そう言えば、例年より少ない。国旗をつけている車は、1997、8年、アジア経済ショックのころにわかにふえ出した。一台の乗用車に十数本の国旗がはためいていることもあった。国旗と同時に各州の旗を掲げている車もあった。自分の国の国旗や国歌に誇りをもっているマレーシアの人々をうらやましいと思った。
 しかし、ナショナリズムの高揚がマレーシアのように純粋に自国への誇りを表現するだけならすばらしいことだが、中国でもサッカーのアジアカップでの観衆の暴動や総領事館などを襲った反日デモ、Wカップ予選での北朝鮮の選手や観衆の暴動騒ぎの延長線上にあるものは、日華事変、満州事変から太平洋戦争へとまっしぐらに突きすすんでいった日本のようで肌寒さを感じる。
 
「日の丸」、「君が代」への思いの変化
 太平洋戦争という不幸な体験をしたことで、日本人の国旗や国歌への思い入れが大きく変化した。日本国内で日本の国旗「日の丸」が並んでいるのを見ると、戦争を知らない世代の一期生(昭和21年生まれ)であるわたしでさえ、国家意識の高揚から愛国主義、右翼思想、軍国主義と感じてしまうこともある。まあ、そうした光景は駅前などで見る、街頭宣伝車の上で演説している人を、迷彩色のユニフォームの青年たちが並んで見守っている光景に重なっているのだが。そして、いつの間にか、「日の丸」も「君が代」も疎遠になってしまった。
 しかし、海外で生活するようになって、何か日本関係のあるごとに「日の丸」、「君が代」と接する機会がふえた。少なくとも「日の丸」にはまったく抵抗感はなくなっている。その最たる場面は、シャー・アラム競技場でのサッカー、アトランタ五輪アジア予選のときと、ジョホール・バルで催されたサッカーW杯フランス大会、アジア最終予選の対イラク戦のときだった。競技場では無数の「日の丸」がふられていた。国旗掲揚とともに流れる「君が代」を口ずさんだ。わたしたちのバングサ柔道クラブにもマレーシアの国旗と並んで「日の丸」が掲げられている。
 「君が代」はというと、曲はいいとして、やっぱり歌詞が気になる。「君が代」の“君”をどう解釈するかだ。元々は“君”を天皇と考えて作られたものだ。個人的には“天皇の御世が永遠につづく”なんて詞は好ましいとは絶対に思えない。
 この“君”の解釈についてわたしが中学一年のとき、ある女性の先生が「“君”という意味は、皆さんの友達、家族、日本人全員のことだと考えてください」と教えてくれた。この先生はバリバリの日教組のメンバーで社会主義者でもあった。授業中に時間を割いて、“原爆許すまじ”という歌を教えてくれた。だからといって、生徒たちを社会主義思想に引きずり込むようなことはまったく言わなかった。ただ「戦争は反対」、「原爆は反対」と教えてくれた。
 中学一年のとき、現在の天皇と美智子妃殿下が結婚された。日本中に「日の丸」が並んだ。今にしてみれば「ささやかな抵抗だったのかな」と思う。それでも、あの先生の「君が代」の歌詞の解釈はみごとだった。それ以後、好きな歌詞ではないけれど、嫌うほどではなくなった。
 
日本人は「戦争とはもっとも縁の薄い民族」
 太平洋戦争という生き地獄を体験した日本人は、いつの頃からか「戦争とはもっとも縁の薄い民族」になってしまった。自国の平和について国民の間で真剣に議論されたのは60年安保、70年安保の頃までだったように思う。「自衛隊という守り専門の軍隊をもち、米国の傘の下での自国防衛」、いわゆる日米安全保障条約がいいのか、「自衛隊もいらない、米国にも助けてもらわなくてもいい。誠意をもって話し合えば、戦争は絶対におきない」という考えがいいのか、大規模なデモが暴動や騒擾に発展した。反日米安保運動の中核的役割を果たした共産主義、社会主義を標榜する中核派などは、より過激な思想、行動に走り、日本赤軍、連合赤軍となって大量殺人、テロ活動を行い、(ごく一部の国を除いて)世界中の非難を浴びた。彼らの唱える平和は、世界全体が社会主義、共産主義国家になることが大前提だった。
 東京オリンピックから大阪万国博が終わる頃、未曾有の高度経済成長を遂げた日本人の目は、次第に、経済成長のひずみから生じる公害や差別に向けられていった。オリンピックでの日本選手の活躍、その他の国際スポーツ大会や映画や音楽コンクール、ノーベル賞などで日本人が活躍し受賞するたびに、日本人の心から「日の丸」、「君が代」への抵抗感は消えていったように思える。生活が豊かになり、テレビなどのマスコミによって天皇家の人々の生活ぶりが伝えられるにつれ、天皇を信仰の対象と考えたり、絶対的な存在と考える人もほとんどいなくなってしまった。英国王室とともに、国民に敬愛される皇室に変貌した。
 「日の丸」を見て、「君が代」を聞いて戦争を思い浮かべる日本人はほとんどいない。おそらく、国民の99%以上は他国が攻めてきても「自分は戦うのはイヤ」というだろう。北朝鮮が核兵器を開発し、核兵器を搭載できるミサイルの開発をしていて、しかも、核兵器搭載ミサイルの弾道の行く先が日本であっても、ことごとくの日本人は「そんなこと信じられない」ですませてしまうだろう。
 イラクに自衛隊が派遣されていることに対しても、政党政治家とマスコミ、派遣された隊員とその家族や友人以外は無関心だ。その自衛隊員とその家族も、何の根拠もなく「自分だけは心配ない」と信じている。
 
「日の丸」、「君が代」にアレルギーになるよりも
 戦後、60年をへた現在もなお、国旗、国歌を軍国主義、天皇崇拝思想の象徴と断じている人々も多い。とくに、学校教育の現場で多い。
 「日の丸」も「君が代」もことごとくの日本人にとっては、日常的にはどうでもいい存在であり、一方で、オリンピックや国際的なイベントに日本人が活躍したときに絶対に必要なマテリアルであり、中国や韓国で「日の丸」を燃やされたときには、一時的にナショナリストになってしまう。その程度ものだ。
 卒業式や入学式で国旗掲揚のときに起立し、国歌斉唱をするのもいやだという先生たちがいる。日本以外のどの国にいても、国旗掲揚のときに起立しなければ会場中から白い目で見られる。そして、他国の人々が国歌を斉唱している間は沈黙する。自国の国旗、国歌であれ、どこの国旗、国歌であれ、敬意を表し、起立し、斉唱するか、沈黙する。それが国際人としてのマナーだ。
 国際理解教育を標榜し、平和な世界を構築し、すべて世界の人々と親しくなることを教えているのなら、国際社会のマナーの第一歩をまず自分から示すべきだろう。少なくとも「思想信条の自由」を振りかざして実践する人に、公立学校では教鞭をとってほしくはない。公立学校には公立学校のルールがあり、守るべきマナーがある。それを教えるの教師だ。
 授業中に席を立って外に出てしまう生徒がいたときに、「授業を受けたくないというのは、憲法で保障された思想信条自由だ」と考えるのだろうか。一生懸命に生徒会活動への参加を呼びかけている生徒に「(他の生徒への呼びかけは)集会結社の自由に反する行為だ」とやめるように言うのだろうか。どうでも言い存在に目くじらを立てて、自らの存在を誇示するのは、生徒から「先生」と敬称で呼ばれるに値しないのではないか。
 日本に隣接する東アジアの国々の中に、日本の右傾化、軍国主義化を警戒し、非難している国が幾つもある。だが、中国のほうが日本の数倍、数十倍も兵力を有する軍事国家であり、他民族の国家だったチベットや新彊ウイグル地区などを武力で併合し、今なお、現実に独立国家状態にある台湾を自国の領土にしようと対岸に人民軍を貼り付けている。北朝鮮の核開発、ミサイル開発はいうまでもない。韓国だって少し前までは軍事独裁国家だったし、日本や米国の国旗や小泉首相やブッシュ大統領の人形を燃やしてしまう韓国人のナショナリズムの高揚はまさに常軌を逸しているとしか思えない。怨念と狂気をこめた宗教儀式としか思えない。
 それらの国々から軍国主義化していると騒がれて日本はおろおろしている。自由とか、民主主義とか、平和とかいうものから相当遠くにある国々に、自由すぎる国、時代遅れでも民主主義をやっている国、平和すぎる国である日本が非難されている。そうすると、日本でもナショナリズムが高揚して、靖国神社を参拝する首相が賛美されてしまう。
 日本は平和国家だ。世界でもっとも戦争とは遠くにいる民族だ。愚かなほどに他人、他国を信じ、「心をこめて話せば心は通じあえる」と信じている、世界でも稀な性善説国家だ。そして、国民全体の教育レベルも高く、世界でもっとも優れた技術力を有する国の一つだ。政治家と官僚と財界と、好ましい関係とは言えないまでもとりあえず民主国家だ。不況がつづいているといっても、マハティール前首相が言ったように「日本は世界史上、もっとも豊かなリセッション(不況)国家」だ。汚職や窃盗で安直に十万円とか百万円を手にするよりも、道徳心とか世間体、待っていればもっと先に手に入るはずの資産を待つ、そうした自制心をほとんどの人がもっている。もちろん例外はいるが、平均的には日本人は、世界でももっとも自制心や理性をもっている民族ではないか。
 「日の丸」、「君が代」よりも、こうした日本人としての自信、誇りをたいせつにし、日本人としてのアイデンティティー、矜持を忘れないことだ。
     
 
   
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