柔道が祐介君の世界を変えた
ダウン症の青年が初段に挑戦 その二
その一 渡邉明彦
   
 

   2005年7月16日、シンガポール柔道連盟の道場に、再審査のためにマレーシアから坂元英郎先生とわたしが訪れ、パルガ・シン・シンガポール柔道連盟会長がわたしたちふたりを迎えた。この日の再審査は二名,一人はシンガポール人のウィさん,もう一人が祐介君だった。二人とも緊張の極にあって、がちがちに固くなっているのがよくわかった。ウィさんは肩に力が入りすぎてややぎこちなかったので、わたしから「リラックス.リラックス」と声をかけた。ウィさんも半年の間にずいぶん進歩をしていた。坂元先生から少し技術的なアドバイスをして合格になった。

 祐介君は受身の前に自分の中に閉じこもってしまいそうだった。わたしが「ほら、こうやって、いっしょにやろう」と言って前回り受身を見せたら、前回り受身をはじめた。まあまあ。つぎに後ろ受身を指示すると、ひじょうにうまくできた。わたしが「うまいじゃないか」と声をかけた。たしかにウィさんよりもうまい。ゆとりができたのか、横受身も同じくウィさんより上手にできた。そして、この日の投の形の受はお父さん。さすがに親子だけあって、取の祐介君と受のお父さんの息がぴったり合って,流れるように演武した。そして、技の習熟度のテスト、坂元先生と乱取。よしよし。坂元先生がうなづいた。

 坂元先生とわたしの推薦、パルガ・シン会長が承認して二人は初段の再審査に合格した。このあと、推薦書類が講道館に届けられ、審査会が認めてくれれば初段,黒帯を締めることが許される。
 オリンピック競技である柔道は世界中の人々に愛されるスポーツとなっている。視覚に障害のある人や聴覚に障害のある人々もできるスポーツとして障害者のスポーツの祭典であるパラリンピックの競技種目になっている。盲人であっても聾唖者であってもわたしたち健常者と一緒に柔道をたのしみ、ともに汗をながすことができる。それだけではない。知的障害のある人々も同じようにできる。

 祐介君はわたしたちにいろいろなことを教えてくれた。わたしたちは、勇気をもって目標に向かっていくことが大きなエネルギーになることを知った。もっと多くの人たち、もっともっと多くの障害のある人たちも柔道というスポーツを愛する仲間になってもらえるということを知った。そして、柔道は祐介君に「自分はふつうの人たちと同じ世界に住んでいる。頑張れば,ふつうの人たちに勝てる。黒帯にもなれる」という勇気を与えた。

 知的障害をもつ子供の親の思いは様々と思われる。祐介君の両親はこんなことを語ってくれた。「わたしたち知的障害をもつ子の親は(子供に)そんなに多くを望んでいないのではないでしょうか。祐介の場合は生死の境を乗り越えよくここまで大きくなってくれた。そのことだけで本当にうれしいのです。そんな祐介が健常児の中に加わり柔道をし、さらに大きな目標をもち共に努力していく先生や仲間を得ることができました。わたしたちだけではとても与えられない陽光の当る場所に引き上げていただきました。親はただ知的障害がある子供が不憫であったり、愛しさだけで強く守りすぎてしまったりとなかなか新たな挑戦に向かえません。それは子供を誰よりも近くで見ているために、その子の能力の限界を知ったつもりになり、これ以上のことを望むのは可愛そうだというような思いかも知れません。小学生の頃までは祐介もありとあらゆる厳しいダウン症の早期療育に取り組み、健常児に少しでも近づくよう努力しました。でも健常児とは決定的な違いがあることにある時気ずき、ならば、この子らしく優しく穏やかな日々をともにすごせればよいと思うようになりました。柔道もでんぐり返しができるようになるかなとか、少しでも上手に転ぶことができるようになってくれればよいと願ってはじめました。それが、この八年という月日の中で少しずつ成長していく彼がいたのです。”頑張れば祐介君はきっとできる”と今泉先生は言って下さいました。そして初段に挑戦という大きい目標をわたしたちに下さり、あの早期療育プログラムを止めた時以来の困難な目標に向かい家族一同祐介の応援団としての日々が始まりました。柔道の稽古を中断していた弟の俊介も必死に祐介の練習相手をしてくれました。

 柔道を通じての素晴らしい出会いが、祐介だけでなく家族の私達にも生きがいを与えてくれたのです。

 知的障害を持つ子供の親は、いつも一歩引いて、我が子がその社会の中に受け入れられているか、祈るような思いで見つめています。健常者と知的障害者が“共に生きる”ということは本当はとても難しいことだと思います。お互いを知る機会はほとんどないのですから。ましてや容赦のないスポーツの世界ではなおさらでしょう。でも一緒にやろうという思いをもってくださる方がいれば、それも決して無理ではないのだということを、わたしたちは祐介を通して学びました。勝ち負けだけではないたのしみ方、取り組み方があるのです。柔道は心を育て家族の絆を深めてくれました。今はこれまで支えて下さった皆様に感謝の気持ちで一杯です」。

 どんな人であっても同じように,柔道をやりたいと心から思う人々を受け入れて,一緒に汗を流していきたい。柔道をたのしんでいきたい。祐介君はわたしたちにそんな当たり前のことだけど、わたしたちが忘れてしまいがちのことを思い出させてくれた。次号は講道館によって初段を認可された赤尾雄介君に、初段の認定証と黒帯の進呈式です。
 
     
 
   
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