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日本中の公立私立のいわゆる有名大学進学受験校で、学習指導要領が定めた必修科目のうち大学受験に関係のない科目、理科系を受験する生徒には2科目必修の社会科のうちか世界史、日本史、地理などのうちから1科目しか履修していない、あるいは家庭科といった科目の授業を行っていなかったことが、大きな問題となっている。このまま行くと、全国で10万人にも及ぶ高校三年生が来年三月に卒業できないことになる、そして、大学受験の機会を逸し、仮に推薦入学などで入学が認められても進学できない。それどころか、過去にさかのぼって、高校卒表資格が否定され、大学入学はおろか、履歴書に虚偽の学歴記載として入社資格にも影響が及ぶ。
岩手県きっての名門進学校の盛岡一高など各県の名門進学校がずらりと名前を連ねている。「自分の母校は?」と心配した人たちも多かったはずだ。わたしも母校である千葉県立千葉高校の名前が載っていないことを願った。幸い千葉県の公立高校の名前はなかった。そんなときに世界史Aなどの科目を必修逃れしていた茨城県立常陸太田市の県立佐竹高校の高久裕一郎校長 ( 58 ) が生徒に「迷惑をかけた」などの内容の遺書を残して自殺した。自校の生徒の大学受験を少しでも有利にしたいという思いで、他の進学校や前例に倣って行ってしまった「履修逃れ」が、結果的に、受験を間近にした三年生に混乱と不安を与えてしまったという自責の念が「死んで詫びよう」という決着を考えてしまったのだろう。
県立千葉高校の校長は、わたしの高校時代の柔道部の同級生なだけに、「もしも」と不安は増幅した。
その大野敬三校長と10月31日夕方、会って話を聞いた。偶然だが、9月30日から11月はじめにかけて軽い脳梗塞で入院した。校長もわたしと会った前日まで一週間入院していたという。60歳になった(大野校長はまだだが)わたしたちは、否応なく肉体の老化に苦しんでいる。仕事上のストレス、家族との問題など精神の負担も大きい。食事に気を使いアルコールの摂取も控えなくてはならない。わたしたちの母校は「自由闊達」が校風で、生徒たちの自主性を認めてくれる学校で、先生が必要以上に生徒に干渉しない学校だった。そのくせ、わたしたちは担任や教科で教わった先生方を身近に感じていたし、尊敬もしていた。今にして思えば無鉄砲で先生には迷惑だったろうが、柔道部の合宿中に、宿直中だった親しい先生の部屋に一升瓶をぶら下げていって「先生、一緒に飲もうよ」と言って何時間も様々な話をした記憶がある。教員室で先生たちに「お前、タバコを吸っているだろう」言われ、「もう止めました」と答えたこともある。そんな高校だった。
血気盛んな若い先生が受験用に指導要領にない授業をやろうとすると、生徒である私たちは激しく抵抗した。先生も生徒も自由で闊達だった。定時制の生徒たちが5時以後に登校してくるので、部活動は実質1時間半しかできなかった。おまけに高校にはいってから、スポーツや芸術に親しむ生徒が多く、指導してくれるコーチにも恵まれないという三重苦の部活動だった。県下一の進学校とあって「県立千葉と対戦する」ことになった学校は安全牌と信じていた。わたしたちはどの運動部の選手たちも三重苦を理由に「負けてもいい」と考える選手はいなかった。「なめられたまま、負けてたまるか」と頑張った。県大会で剣道部優勝、卓球部優勝、サッカー部は県でも関東大会でも準優勝、相撲部も軟式テニスも優勝候補だった。バスケット部もバレー部もベスト4、わが柔道部はベスト8、強かったと自負している。
他の高校の強い運動部、とくに柔道部のような武道系の運動部の上下関係は厳しく、しごきやいじめが日常的にあると聞いていたが、わたしたちの高校ではそんなことは毛の先ほどもなかった。自分が1年生のときの3年生から、3年生のときの1年生までの5年間の先輩後輩同期生、柔道部だけでなく他の運動部の部員たちがみんな仲良くしていた。先輩として立てるべきは立てるけれど、いろいろなことを話し、よいことも悪いことも含めて一緒に遊んだりした。柔道が強い弱いは関係なく、わたしたちは互いの個性を尊重していた。だから、サッカーJリーグの実質的な生みの親であり、日本代表がワールドカップ出場し、そこそこの実力をつけたきっかけを作った元専務理事の木之本興三さんは2年後輩ではあるけれど、わたしは十分以上に尊敬しているし、たぶん彼もわたしを尊敬しているだろうと思う。
高校を卒業して40年あまり、校風が今も変わらないとは思えない。それでも、古きよき時代、自由闊達な校風を謳歌した大野校長がいるのだから、履修逃れなどという卑劣な手段によって大学受験でいい結果を出そうなんてことはしないだろうと考えていた。
われらが母校はここ数年東大進学者数で指定席だった千葉県一位の座を私立の渋谷学園幕張にゆずっている。卒業生の中には、千葉県一位の指定席にこだわっている人も多い。当然、校長に矛先は向けられる。わが母校には「受験のためだけの高校ではない」という自負があった。先生たちも生徒たちも「受験のための勉強を優先して、不必要な必修科目の履修はしないというのは、少なくとも県立の普通高校のやることではない」と信じていたのだろう。
だからといって、必修科目の履修のがれが、東大進学者数の多寡が学校の評価で学校経営に影響を与える私立高校は赦されるということではない。進学する大学が生徒にも学校にも最優先と考えるのは、教育からの逃避、というか、「高校教育の意義・目的」を無にするものに等しい。海外で生活しているわたしたちは、学校で勉強した世界史や地理から得た知識が、地元の人々のコミュニケーションを円滑にするのにどれだけ役立っているかを感じているに違いない。マレーシアという国の地理的環境、歴史的環境を知らずにこの国にくるのはやはり失礼だ。歴史教科書が正確だとは思わないけれど、中学高校で習った歴史を基本にして、いろいろな本を読んで奥行きを深めている。音楽とか美術という科目を不要だとも思わない。大して成績はよくなかったけれど、名曲の作曲家を知り、楽譜の基本を学んだということで、友人の輪が広がっていく。美術も同様だ。印象派の作品や浮世絵についての知識をもっていることで世間が広がっている。
無駄な勉強というのはない。受験に関係あろうがなかろうが、知識が増え、感性が磨かれることはすばらしいことだ。60歳になって、もし引退したら、いろいろやりたいことがある。それらはすべて、受験科目とは直接関係はない。
高校時代、先生に対して突っ張って、勉強しなかった「英語」だけは、「もっとやっておけばよかった」と激しく後悔している。高校生には、生涯を通じて必要な勉強、不必要な勉強という区別をつけるだけの判断力はない。無駄だと思うことが絶対的に必要なことも多い。だから、文部科学省が定めた教育指導要綱を遵守する必要があるのだ。学校のランキングや先生の実績作りに協力する必要はない。受験に直接関係内必修科目を授業から除外した学校長や教育委員会の委員の出世の道具になる必要もない。それを受験生への親心という神経もわからない。「生徒にとって今なにが必要か?なにをやるべきか?」を真剣に考えるのが、「先生」と呼ばれる職業をうらんだ人たちのやるべきことだ。 |