オリンピックと万博を前に、
中国人のマナーに注目
「この程度の国民には、この程度の国家」と見られたくない
  渡邉明彦
   
 

 来年2008年の北京オリンピックの開催を控え、中国では国民のマナー向上に躍起になっている。同時に、海外における中国人旅行者のマナーによって国際的に浸透する中国人のイメージの悪化を食いとめようとしている。中国人ほどでないにしろ、お世辞にもいいと言えないのが韓国の人々だ。マナーの悪さと共に共通するのが、「日本が嫌い」、「アメリカが嫌い」だ。まあ、前の日本の首相が支持率を上げようとして、相当挑発したから仕方がないけれど。

 もちろん、だからと言って、日本人旅行者の海外での立ち居振る舞いがすべていいと言うのではない。かって、バブル時代に農地を売って成金になった農協の団体ツアーが世界中で日本の恥をばら撒いたし、最近ではマレーシアにもマナーを知らない中年をすぎた日本人がふえつつある。

 でも、中国に駐在していた人などの話を聴くと、「マレーシアの中国人のマナーはすばらしい」という。わたしたちはにわかには信じられない心境だ。

 おそらく育った家庭環境とインテリジェンスのレベルの問題だと思うが、きちんとしたマナー、礼儀をわきまえた人も多い。しかし、マレーシアの平均的な中国人は、わたしの受けたイメージでは「自分の占有する範囲や物以外には関心を持たない」、だから、レストランの敷地の外は生ゴミが捨てられ、悪臭が漂い、野良犬、野良猫、大きなネズミが走り回っている。自己中心的で、その典型的な例が車の駐車だ。住宅の門の前や、合法的に駐車している車をブロックするように止めて、近くの事務所で商談したり、レストランで食事をしている。クラクションを鳴らすと不機嫌そうな顔をして出てくる。ほとんどの場合、「ごめんなさい」とは言わない。あと50センチ路肩に寄せれば、5メートル先に行けば駐車スペースがあって、他の車の走行に支障をきたさないのにそれができない。うっかりブーブー鳴らすと、「そっち側を通ればいいじゃないか」と叱られる。

 10年前に比べてマナーがよくなったなと思えるのは、エレベーターに降りる人より先に乗り込んでくる人が減ったことだ。もちろん、上に行くはずの人が、下に行くエレベーターに乗って、下まで行ってから上っていくというのは変わらない。また、普通の国では考えられない、食糧を入れるショッピング用のカートに外履きの靴やスリッパを履いたままの(5,6歳の子もいる)子供を乗せたり、買い物をしながら焼き鳥などデリカの売り物を食べてしまうことなども相変わらずだ。

 レストランやスーパーマーケットで金切り声をあげたり大騒ぎをしている子供をうれしそうに見ている親たちも多い。もっとも、これは日本人の若いファミリーも一緒だから、悪口はいえない。でも、レストランで子供が飛び回っているのは、火傷をしたりする可能性が高いのだから、「本当に子供がかわいいなら止めさせるのにな」と思うし、「こういう親が、子供を虐待したり殺したりするのかな」とも思ってしまう。

 いずれにしても、マレーシアの中国人のマナー感覚をすばらしいと感じるほど、中国本土の中国人のマナーはすごいということなのだろう。

 中国政府は中国人のマナーを国際的レベルに引き上げようとしている。これを知って、ある人が「中国4千年の文化が消えてしまう」と嘆いた。中国には「中華思想」という伝統的な思考方法がある。「世界の中心は中国で、人類の英知と文化の中心で、周辺の国々には野蛮で下劣な人々が住んでいる」、これを曲解して「最も優れた民族は中国人で、自分たちがやっていることはすべて正しい」と自己中心的な発想をしてしまう人が多いのだろう。19世紀後半から20世紀にかけれやってきたマレーシアの中国人たちは、悲惨な環境から這い上がって現在のレベルにまでたどり着いた。それも、ここ10年、20年のことだ。成り上がった人たち特有の傲慢さが残っている。かっての農協ツアーもそうだ。現在の中国も同様なのだろう。全人口十二億人のうちの数%だけが気がつくと富裕になっていた。得意の絶頂なのだろう。「金さえあればなんでもできる。金で買えないものはない」と信じて、「金さえあれば何でも許される」という風に考えてしまう。(日本人の中には、この考えが間違っていることをホリエモンこと堀江貴文などに教わって知ったばかりという人もいる。)

中国人のマナー、
* 公共のバス電車で携帯で大声で話す。
* 絶対並ばない。
* 路上で子供にうんこさせる。
* おばさんが「カー、ッぺ!」と痰を吐く。
* タクシーの運ちゃんがいきなり給料の額を聞いてくる。
* マナー以前に公衆便所で中の仕切りや扉が無い。
* 大便用のトイレの鍵をネジで外して持っていく。

中国人が海外旅行でするマナー違反(中国国家旅遊局)―『北京晩報』より
* トイレにいったあとに水を流さない。
* ゴミをあたりかわまず捨てる。
* 痰を吐く。
* バスなどに乗るときに席のとりあい。
* (観光に行った建物への)参観時の順番抜かし。
* 禁煙場所での喫煙。
* 車、船、レストランなどで大きな声を出しての携帯電話。
* でかい話し声。
* 現地の風習習慣を無視して、教会やお寺で騒ぐ。
* 大衆の前で上半身裸になる、靴下・靴を脱ぐ。
* 挙動が粗暴で、言葉遣いがよくない。
* 値引きのできない店での値引き。
* 外国人を強引に引っ張ってきての記念撮影。
* 賭博に参加したり、いかがわしい場所に行く。
* バイキングでの無駄。
* 消費や注文をしていないのにレストランなどでの占拠。
* 飛行機の遅延に抗議して機内から降りることを拒否。
* 公園でのポイ捨て。
* ホテルの部屋でつばを吐く

 中国人観光客は行儀が悪く、不潔、また公共の場で悪態をつくなどとして、国際社会や国内からの非難、苦情が急増している。
 中国政府観光局は、マナーの悪い中国人観光客に関して、旅行代理店と観光ガイドに責任を取らせる方針を示している。 この数年、中国では経済の急成長によって、お金に余裕のできた多くの人が海外旅行を楽しむようになった。そのほとんどが海外旅行初体験組で、人気の渡航先はタイやマレーシア、韓国となっている。
 中国人観光客の行儀の悪さは、東南アジアや中国の新聞でしばしば報道されている。また、中国政府はこの責任を履行しなかったり、悪評を受け続けた旅行代理店などには、罰金などの懲罰のほか、改善命令が下される。 これまでに100以上の旅行代理店が、中国人観光客の無作法な行為に「宣戦布告」することに同意し署名をしているという。
 国家観光局では「観光業の急速な発展に国民の礼儀がついてきておらず、中国の国際的地位にふさわしくなにい」としている。

2010年上海万国博に向けて
  上海では「可愛的上海人」えおいうキャッチフレーズをあちこちで見かけるという。

 親の心子知らずで、現実には地下鉄では降りる人を押しのけて乗り込む人が多く、交通ルールを守らない人(車)が多い。昨年2月から5カ年計画でマナーの向上に努めようと「100万家庭礼儀学習活動」を政府主導で推進している。

 昨年5月に上映されるはずだった映画「ミッション・インポッシブル3」が上映無期延期になり、屋上や横丁などで破れた衣服が干されているシーンなど、上海のマイナスイメージが描かれているシーンがカットされて上映されたという。

「笛吹けど踊らず」で4千年の長い歴史が育んできた伝統文化となってしまった「マナー知らず」を、5年や10年で変えるのは困難だ。それだけに、「この程度の国民には、この程度の国家」という評価を聞くと、中国共産党の、毛沢東のグループが仕組んだ、知識人や富裕層を放逐したり殺害したりした「文化大革命」という蛮行のおかげで、中国から礼儀正しい、国際的なマナーや感覚を身につけた優秀な人々を消し去ってしまったことを思い出す。彼ら中国12億人の人々を啓蒙していたら、いい国になっていたのに、残念だ。
安倍首相が「美しい国、日本」を提唱している。中国も同じ事をやっている。政府が音頭を取ってマナー向上を進めるのは、どこか滑稽なものだ。マナーの悪いのは一部の人だけだろうけど、国民をおしなべて飼い馴らそうとする政府や指導者を持つことは、国民にとって不幸なことだろう。
しかし、その政府の礼儀はどうなのか。自国の国民に対しても、周辺諸国に対しても、礼儀正しいとは思えない。7,8世紀の頃まで日本は東の海の島にあるという蛮夷の国であって朝貢国、つまり、属国にすぎなかった、その当時、中国は礼節を重んじる国ではなかったか。少なくともそう自負していたことは間違いない。

  日本では、時の政府権力者、少し前は小泉純一郎前首相、今は安部晋三首相をぼろくそにけなす自由があるし、首相の主義信条を無視して、自分の自由な思想信条を大切にする権利がある。共産党独裁の中国政府には、専制・強権的な態度が目立ちすぎる。大国主義的で、利己主義的でもある。政府は人民を指導する立場にある。共産主義の抱える矛盾、ほとんどの共産党の高級幹部が陥っている権力志向、利権志向からくる腐敗構造、利権につながったごく一部の人だけが富を得て、とり残された大半の人々が虐げられ、貧困状態がつづくという、農民と労働者の国という共産主義の理想とは正反対の社会の構築に必死になって向かっている共産党政府。

  日清戦争前の中国(清)は「眠れる獅子」として恐れられたが、現実には「病める(肥満しきった)豚」にすぎなかった。「蟻の一穴」から崩壊しかねない危機感を中国政府の指導者たちは感じているのだろう。だから、政府自身の都合の悪い部分を隠し、さらに見栄を張るようなことする。そして、それを糊塗しようと、「間違った日本の歴史認識」と叫んで、国民の目を逸らせている。
知らぬ間に、中国の人々は自分の国の本当の姿を見失う。国民の一部(少数民族など、特に自治独立を求める人びと)を、あるいは国民全体を抑圧・統制するような政府は、どんなに経済大国になっても、国際社会からは品格が問われる。

 京大東洋史辞典編纂会編『新編 東洋史辞典』(東京創元社1980年)によると、
この語は主として日本学界の用語である。中華とは中国人が自国を呼ぶ美称であり、中夏とも書く。世界の中心・文明地帯の意味だが、このような考え方、つまり自己民族の文化地帯を世界の中心と考え、周辺諸民族を野蛮未開の非人間的地帯とすることは、古代文明諸民族に往々見られる普通の考え方である。ただ中国ではこの考え方が非常にふるい時代から20世紀初頭まで変わりなく続き、政治・外交・文化・経済の一切にそのような優越感が見られたことは、いちじるしい特色であった。近代中国の悲劇の数々は、中国人がこの優越感をみずから否定しなければ自立できなくなった点にある。
となっている。

 永原慶二監修『岩波日本史辞典 CD−ROM版』(岩波書店2000年)では
中国を政治文化の中心として周辺の夷狄と区別する思想。華は古くは夏と称し、周の直轄領域の意。春秋時代には中国中心部の諸国を華夏といい、礼俗・言語を共有する諸夏・中国と、共有せず禽獣と蔑まれる夷狄との区別が成立した。中華・中夏の語の出現は漢代まで降ると思われる。中華と夷狄との区別は絶対的ではなく、礼俗・言語に同化すれば夷狄も中華と認められた。これを王化・徳化といい、天下観念と結びついて、漢代以降皇帝の徳の高さを示す指標とされた。従って内国と外国との区別は曖昧で、皇帝が外国君主を王に任命するのは、冊書という文書による封建という意味で冊封というが、冊封は中国国内の君臣関係の外国への適用で、その外国は中国王朝に臣属するものとされた。こうした中華思想は周辺諸国に伝播し、律令制下の日本も朝鮮諸国を諸蕃、蝦夷・隼人を夷狄に位置づけた。
となっている。

中国、渤海王宮遺跡を中国様式で復元
 中国が黒竜江省の旧渤海(パルへ)王宮を中国様式に修復してユネスコ(UNESCO)の世界文化遺産に登録しようとするなど、渤海を中国史に編入する作業を本格化させている。

 中国政府が8〜10世紀の渤海の首都、上京龍泉府があった黒竜江省・寧安市・渤海鎮にある5つの宮殿遺跡のうち、すでに第2、第3宮殿の2か所の基壇(建物の基礎となる壇)を修復するなど、渤海遺跡を中国化する作業を進めていることが最近、確認された。

 中国は同地域の多くの場所に唐代渤海遺址という案内板を立てるなどして渤海が自国史であることを正当化してきた。

 本紙の取材班が先月、上京城内の立ち入り禁止区域の鉄条網を越えて潜入取材を行った結果、第1、第2宮殿周辺から約40の建物跡が発掘されたことが確認でき、発掘とは別に第2宮殿と第3宮殿には花崗岩で高さ2メートルの巨大な基壇部を築造していることも分かった。各基壇部の前には中国様式で描かれた復元図も看板に表示され、建物の復元が迫っていることを示していた。

 中国は今年初めから渤海遺跡を発掘、2007年までにユネスコの世界文化遺産に登録することを何度も明らかにしてきた。相当部分で高句麗の建築様式と文化を受け継いでいる渤海遺跡を中国様式に修復し、これを自国の文化遺産として登録することは、高句麗史に次ぐ「渤海史歪曲」になるとして懸念が高まっている。 

 現場の写真を見た尹載云(ユン・ジェウン)高句麗研究財団・渤海チーム研究委員は「唐の首都だった長安城と似た姿に渤海宮城を復元しようとする意図が明らかに見える」とし、「高句麗よりも遥かに脆弱な部分である渤海史を攻略して東北工程を本格的に正当化する作業に着手している」と解説した。

 
     
 
   
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