明けましておめでとうございます。
  渡邉明彦
   
 
 今年が皆さんにとっていい年となりますように祈っています。
 『日馬プレス』は昨年末をもって15周年を迎え、今年の1月1日号からは16年目になります。月に回発行していますから一年で24号、15年目の昨年の12月16日号は24×15=360となり、この1月1日号は361号になります。一回も休まずに、よく15年ももったと思っています。ご愛読いただきました皆さんのおかげと感謝しています。

 昨年11月には、クアラルンプールで大規模なインド人のデモがあり、不安に思われた人も多いと思いますが、ご承知のとおり、その後は平穏です。ブミプトラ政策もからんでちょっと深刻な部分もありましたが、ほとんどのインド人の皆さんは本国インドでそのまま生活するよりも豊かで平和な生活を享受していることを知っています。ことさらに騒ぎを大きくして、インド人社会がこの国で肩身の狭い思いをすることになるほうが嫌なはずです。デモのリーダーたちは教養もあり、ブミプトラ政策があるから多民族、多宗教のマレーシアの治安が安定し、経済的にも着実に進歩していることを知っています。
 いつの世も、どこにでも比較的恵まれている現状に不満をもつ人たちはいます。全人口の10%しかいないインド系マレーシア人ですが、彼らの多くは働き者で地道に一歩ずつ生活を向上させています。もちろん、落ちこぼれもいるでしょう。落ちこぼれには落ちこぼれの理屈があるのです。それが、あのデモだと思います。
 マレーシアという国にとってもブミプトラ政策で優遇されたマレー系だけがマレーシア人ではなく、インド系の皆さんも、中国系の皆さんも全員が平和で安全で豊かなマレーシア国民だということを、改めて考えてみるいい機会になったと思います。

 日本とマレーシアの関係で言えば、福田康夫首相の父親である福田赳夫元主意首相の東南アジアを重要視するという「福田ドクトリン」の意思を息子も継承すると思っている人も多いと思いますが、わたしは福田赳夫元首相は口だけのきれい事と言っただけだと思っていますし、息子の現首相には東南アジアに目を向ける余裕はないと思っています。福田首相は周囲の様子を見て無難な道を選択するだけの日和見内閣だと見ています。風見鶏と呼ばれた首相も群馬県出身でした。所詮、日和見、風見鶏の土地柄なのです。年金問題はうやむやで終わってしまうでしょう、威勢がよかった桝添厚生労働相もご多聞にもれず名寄せの期限が近づくにつれ、「あれは公約ではない。選挙前の意気込みだった」などと、開き直っています。
 ここ何代かの日本という国の総理大臣の程度の低さにはあきれ返っている人も多いことでしょう。森義郎首相という見かけも言動も漫画チックでアストロのNHKのニュースを見たマレーシア人に「日本の首相はあれでいいのか?」と訊かれて困った記憶があります。次いで、口先だけは威勢がよくておばさんたちの人気者だった小泉純一郎首相のおかげで、国民の生活格差、地方と都会の格差など格差が広がり、弱者が切り捨てられていきました。次の安倍晋三首相は国民の視線が分らない「裸の王様」でした。閣僚が次々に失言し、年金問題でもけちをつけました、そして、福田康夫首相です。この人も安倍前首相に勝るとも劣らぬ世間知らずです。

 落語の「落ち」で言うなら、森元首相は間抜けなことを言って終わる「間抜け落ち」、小泉元首相は「ぱっと聞いたときにはよく分らないが、よく考えると笑えてくるというか、腹が立ってくる「考え落ち」、安倍前首相は思いがけない瞬間にやめた「とたん落ち」、そして、福田首相はバランス感覚があると思われて期待されたのに現実には「見立て落ち」という具合で、自民党政権は何度目かの落ちで終わる「拍子落ち」ということになるのでしょう。
 福田首相も内閣官房も、防衛省の汚職については自民党を守るためだけにしか動かないでしょう。安倍内閣の赤城大臣、福田内閣の額賀大臣、ともに茨城県出身のよく似た「説明しない」大臣だと思います。選挙をやれば負けることが分っている福田康夫内閣は、洞爺湖サミットで歴史に名を残したいくらいしか中身のない内閣だと思います。

 ご存知の方も多いと思いますが、昨年6月、わたしは人生で二度目のガンで入院、手術しました。ガンは14年前の転移性リンパ腫と去年の咽頭ガン二回、一度目のガンのときの放射線治療の影響で脳に血栓が飛びやすくなり、東京とクアラルンプールで一度ずつ脳梗塞で入院しました。都合、四回「死ぬんじゃないか」という思いを経験しました。タバコをやめ、肉食を減らし、毎日一時間公園を歩くという健康的な生活をしていても病魔は忍び寄ってくるのです。わたしは一番の原因は『日馬プレス』からのストレスだと思っています。
 ですから、正直に言うなら、『日馬プレス』の15周年はないと思っていました。
 「わが子」とも思ってきた『日馬プレス』との二人三脚も「もう、いいや」というのが偽りのない気持ちです。ただ、死の淵から帰ってきて、まだやりたいこと、まだ行きたいところがたくさんあります。やり残しのないようにやりたいことをやり、心残りのないように行きたいところに行きたいと思っています。それを書いていきたいと思っています。
 そして、生命の代償に声を失ってしまいました。わたしは東京都から身体障害者手帳を受けた新人の障害者です。
 わたしには柔道の教え子の中にダウン症の青年や自閉症の子どもたちがいました。わたしは彼らを障害者としてでなく、ちょっと個性がつよい青年や子供たちという認識でいました。幸い、彼らの柔道の仲間たちも個性的な彼らとごく普通に稽古をしてくれました。声が出ないという障害はたしかに不自由ですが、個性だと思っています。「コラッ!」と怒鳴りたい瞬間に声がでないのはつらいものがあります。でも、怒りを紙に書いているうちに気持ちが静まることも多く、「まあ、いいか」という気分です。でも、人と会う仕事や社会活動には支障が大きく、年貢の納め時だとも思っています。
 数年前から、『日馬プレス』をはなれて、一人で歩いていきたいと思いつづけてきました。「今年こそ」、「今年こそ」絶対にです。

     
 
   
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