一月一日から、いつもの公園で夕方およそ一時間の速歩をはじめてから、いくらか身体が軽くなって、少しづつ気力が湧いてくるようになった。わたしが歩く公園には樹木が多い、池もある。こじんまりとしているが、自然の中を歩いているように感じる。樹木から精気のようなものが出ているのだろうか、ふだん仕事で忙しくしても、あまり疲れなくなったし、柔道着を着ようとする気持ちが芽ばえてきている。ラオスに行く前々日、バングサの道場で今年初めて柔道着を着て畳の上に立った。もちろん、無理なことはしない。軽く、ただ、技を教えるだけにしている。でも、乱取稽古をしたくなってむずむずしている。
バングサ道場で気持ちをならしてラオスに行った。ラオスは来年の東南アジア大会開催を前に、競技施設の建設と各競技の強化を行っている。「背伸びし過ぎだ」という声もあるが、この機会にスポーツ施設を充実させ、普及、強化を図るのは悪いことではない。ひとつのスポーツを国民が一体となって応援する。国を愛する気持ちが湧いてくるし、自分や家族もスポーツをやろうという気になれば人々は健康になる。現実に、7、8年前、ビエンチャンに来たときにはまったく見られなかった、スポーツウェアー姿で町中を走っている人がずいぶんふえた。陸上競技場に行っても、トラックを走っている選手たちが大勢いる。何となく、人々に活気がでてきたように感じられた。
柔道も陸上競技場の脇の建物の中に百畳近い道場ができて、二、三十人の選手たちが国際協力機構(JICA)が派遣したシニアボランティアの菊池正敏さんが指導してトレーニングに励んでいる。ビエンチャンにはもう一ヵ所、ラオス労働党の青年同盟の中に道場がある。もともとはこの道場だけで細々と柔道がつづけられていた。わたしが十年前と七、八年前の二回、ラオスを訪れて柔道着を着たのは、この青年同盟の道場だ。
そして、ビエンチャンから南に車で8時間以上行った町というか都市のサバナケットにはJICAの青年海外協力隊員の伊藤心吾さんが柔道クラブをつくり、一年前から初心者からみっちりと教え込んでいる。もう一ヵ所、ダイドウさんという日本の民間企業の駐在員の柔道家が道場を造って(もちろん企業のバックアップもあって)いる。
菊池さんは前に一度シニアボランティアでビエンチャンで柔道の指導をしている。だから、わたしと菊池さんは東南アジアの大会などで幾度も顔を合わせている、菊池さんは一度、日本に帰り、シニアボランティアとして二度目のお勤めをしている。菊池さんが初めて来た2003年のころは国中で柔道をかじっている人は、たった50人だったそうだ。実際はもっと少なかったろう。でも、今は200人以上いるという。
マレーシアも同じ悩みを抱えているが、いくら教えても、学校が忙しい、仕事が忙しいと言って練習にでてこない選手も多い。代表になったり、初段をとると、慢心して練習をいい加減にやる選手もいる。そして、国外の遠征には金がかかる。各国の柔道連盟の上部団体である国が統括するスポーツ協会(体育協会)に資金が下りてこなければ、国際試合にもいけない。ベトナムでの国際大会のときなど、ラオスやカンボジアの選手団はバスに乗り、陸路で遠征している。菊池さんもお付き合いしているからご苦労なことだ。
わたしも東南アジアの柔道に関わっている同志として菊池さんに共感することも多いし、尊敬することも多い。だから、今回のビエンチャン行きもラオス柔道を見たいという希望があった。菊池さんは東京の講道館の高段者大会に何度も出場していると聞いたので、「わたしの高校の柔道部の二年後輩の吉成隆杜を知っていますか?」と訊いたら、「今日、吉成さんからメールをもらったばかりだ。吉成さんとは高段者大会で対戦し、一度目は見事に負けて、二度目は引き分けた。よく知っている」という返事が返ってきた。
吉成氏は現在。菊池さんと同じく六段で、高校時代よりも今のほうがずっとつよい。クアラルンプールに長くいる人なら日本レストラン『鳥萬』とか『いく野』というのを覚えているだろう。吉成氏は、そのレストランのママの津野アケミさんの従姉妹の旦那さんだ。津野さんは、現在、カンボジアで日本レストランをやりながら、ボランティア活動をしている。後輩で親しい津野さんの義理の従弟でもある吉成氏とライバルだったとはちょっと驚いたが、これが人の縁(えにし)というものだろう。
ビエンチャンにもうひとりコーチがいて、彼はモンゴル人だった。わたしの友人であり、ユーゴの世界選手権で60kg級三位の実績をもつ、マレーシアのコーチでもあるモンゴル人のバトゥーガ・ダシゴンブさんのことを話したら、柔道仲間で友人だという。これも「人の縁」か・・・。ちなみにバトゥーガさんは大相撲の横綱白鵬と家族ぐるみの付き合いがあるそうだ。
それから、もう一人の伊藤心吾青年は、わたしに川内光治先生の一生(『日馬プレス』に33回連載した)という大長編を書かせた張本人であり、親しい友人でもある茨城県龍ヶ崎の御手洗さんが藤代町の道場で厳しく教えた弟子だという。ラオスという半世紀以上前の日本のような貧しい田舎の国のさらに地方都市にいる伊藤青年を励ましたいという気持ちもあった。たまたまラオスにいる日本人の柔道指導者が二人もわたしと「人の縁」があったのはうれしかったし、「頑張ろう」という気持ちにさせられた。自然も活力をくれるが、「人の縁」も活力をくれるようだ。
わたしがビエンチャンにいた四泊五日の間、菊池さんは2月初めにある演武会の準備やら東南アジア大会用に日本の援助で新築される武道館の打ち合わせやらで多忙だったこともあり、練習の指導を手伝うことになった。だから、毎日夕方、柔道着をもち、ホテルから道場まで十五分以上歩いて練習に行った。わたしは声がでない。声を出さずに教えるのは難しいと思ったが、どっちみちわたしはラオス語は分らないし、選手たちは英語もほとんど分らない。言葉が分らない同士だから、声が出ても出なくても同じ、そう考えて身ぶり手ぶりでやってしまった。途中から菊池さんが戻ってきて解説してくれて、オーケー。うまくいった。たまたま三日目に、ビエンチャンに上京してきた伊藤さんも応援してくれた。
そんな毎日だったが、疲れがたまらなかったし、爽快感があった。 |