日本の調査捕鯨船に無理やり乗り込んでしまうという不法行為が英雄視されるオーストラリアが、30年前の1978年前までは捕鯨国だった。捕鯨国オーストラリアの捕鯨基地だったアルバニー港は西オーストラリア州の州都パースの南東409キロの南氷洋に面する美しい港町だ。
1826年、流刑植民地建設がはじまった。
港ができたのは1830年代、港といっても桟橋があるだけだった。イギリス本土から東部に移民する人たちの寄港地となった。最初のうちはアザラシの皮の輸出港だったが、やがて鯨製品が輸出のメインになった。アメリカ、フランス、そしてオーストラリア東部の捕鯨船がやってきた。アメリカなどの捕鯨船団は幕末の日本近海にも現れている。1840年代には地元でも捕鯨を職業とする人たちがふえた。主として油と肉をとるためだった。肉は肥料や家畜の飼料にされていた。
そのころまで良好だった先住民族アボロジニーとの関係が悪化、アルコールを体質的に受け付けないアボリジニーにアルコールを飲ませ、ヨーロッパ人の病気に免疫性のないアボリジニーに性病などを感染させた。オーストラリア東部では、白人が荒野でアボロジニーを馬で追い、銃で撃つ狩猟をたのしんだ。1851年に刑務所が建設され、本格的にイギリス本国の犯罪者たちの流刑地となった。囚人たちはパースとアルバニーを結ぶ道路などの労役に駆りだされ、インフラの整備が進んだ。
港町として発展したアルバニーも、1900年前後に囚人たちの労役によって、パースの外港としてフリーマントル港が完成すると重要性が失われていき、保養地として知られるようになっていった。一方で、1950年代60年代にはオーストラリアで唯一の捕鯨基地として栄えた。1978年、オーストラリア連邦政府は捕鯨中止を決定し、アルバニー港は捕鯨基地の看板を下ろした。現在は捕鯨基地の跡を博物館にして観光の目玉にし、ホエール・ウォッチングの基地となっている。
先住民アボリジニーの大地に囚人たちを送り込み、土地を奪い、生命を奪い、アボジリニーの人権をまったく無視して、動物として狩猟の対象としたオーストラリアの人々が、そして、捕鯨をやっていて、いまでも捕鯨の名残りで稼いでいるオーストラリア人が、鯨がどうのこうのと言うのには理解に苦しむ。
50年位前、わたしたちの食卓には、あるいは給食のメニューには鯨の大和煮とか、鯨のベーコンがあって、わたしたち庶民には大切な栄養源だった時代もあった。でも、今現在のわたしたちの食生活の中に鯨の占める割合はゼロに等しい。ムキなることはない。
鯨は巨大な哺乳動物だ。だからといって、鯨を「かわいい」という人たちの感覚もおかしい。鯨を愛する人たちの捕鯨をする日本への対応は、なんとなく朝青龍を目の敵にする横審のおばさんの感覚に似ているように思えてならない。きっと、あのおばさんは北の湖親方を「かわいい」と思っているのだろう。 |